見出し画像

🆕【最終話】元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯 〜上陸編〜


色々な人の発破や手助けを受け、ついに全ての準備を完了し、ついにニューヨークに移り住みます。ついに完結です。
これまでのストーリーも是非⬇︎

【第1話】元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯 〜感化編〜

【第2話】元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯 〜変化編〜

【第3話】元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯 〜躊躇編〜

【第4話】元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯 〜視察編〜

【第5話】元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯 〜準備編〜

2012年7月16日、ついにニューヨークへの片道チケットを手に飛行機へ。

ここでもとてもラッキーな事に、視察旅行の際知り合ったWくん(第4話参照)のルームシェアしている家の一部屋が空いたという事で、入居させてもらえることに。海外移住の際に家探しは最初の関門となる所なのですが労せず完了。

なんつータイミングの良さ。今思うとツキすぎていて少し怖いくらいです。

この後、約3年間彼とルームメイトとしてお世話になるのですが、着いた翌日から携帯電話の契約、銀行の開設など中学校の基礎英語(会話能力ほぼ0) だけの僕一人では到底手に負えない諸々の必要事項を全て手伝って頂きました。

そして同じくストリートで写真を撮る同士である彼。毎日のように色々な所に連れ出してもらい、彼の友人や、その他にも様々な人と出会うことができました。

本当に感謝しています。

当初は一年程英語を勉強して”ある程度”話せるようになったら帰国しようかな、くらいに考えていました。

ところが学習していくうちに気付いた事は大人になってから第二言語を学習する場合、”ある程度”や”それなり”という感覚はなかなか得づらいという事。

どれだけ勉強して訓練してもそこは第二言語。

生まれた時から周りの人が話しているのを聞いて覚えた母語のような、感覚で捉え、操るようになる事は不可能に近いと思います。それゆえ自分の能力を推し量るものさしすらその定義が曖昧になります。

どの程度の発音になったら、どの程度の語彙力になったら、どれほどの理解力をつけたら、”ある程度”なのか?そうなってくるともはや”完璧”の定義とは?と。

そんなこともあり、ただでさえ流暢なアメリカ英語への異常なまでの執着に燃えていた筒井(第2話参照)。
在米1ヶ月目の段階で

“期限を決めるのはやめて、満足行くまで本気で英語を学ぼう”

という結論に至っていました。いやー英語マジでむずいわ。

当初は語学学校に通っていたため、その授業でテキストブックの基礎を、そして友人との会話でカジュアルな会話英語を、そして一人の時間は常に頭の中で考えている事を英語に言い換えられるか、そして出来ない場合は辞書やインターネットでひたすら検索していました。

発音に関してはユーチューブ講座などで日本人が苦手な音の出し方、どうやったらその音が出るのかを学びんだり、ドラマの中で使えそうなフレーズがあったら何百回と聞いて繰り返し発音していました。音声つきの辞書アプリで聞くのもありですね。

ちなみにこれを部屋で一人でずっとやっていたため、その漏れてくる声を聞いて隣の部屋のルームメイトは僕が誰かと電話をしていると勘違いしていた、という逸話さえ誕生。完全にヤバいやつです。

でもこれらは今だに継続して行っています。

ちなみにですが個人的にオススメなスマートフォンの辞書アプリは”英辞郎”です。

英語の達者な友人に教えてもらい、かれこれ7年程使っています。

このアプリの特徴としては、一つの単語だけでなく”二つ以上の単語”や”文章”で検索できる事です。

そしてその検索結果は打ち込んだ言葉に関連する色々な例文を参照にした文章メイン。なので、熟語やフレーズの検索にとても優れていています。

そんな訳で渡米から頭2-3年くらいは何を差し置いても英語が一番!という生活でした。

もちろんスナップも渡米した次の日から街に出て手取り足取りのコミュニケーションで撮影に臨んでいました。(ちなみにこの荒療治もまた英語習得における一つの大きな糧となりました)

幸いな事に当時(2012年前後)は海外のストリートスナップブーム。その上まだストリートスナップ専門のフォトグラファーが少なかったため、日本の知り合いの方々などを通して雑誌社、ウェブサイト、様々なメディアから依頼を頂いて写真を提供していました。

依頼を受け、クライアントが求める被写体の像を共有し、自分なりの解釈でそれを膨らませて、それに沿った人を街で探し出し、写真に収める。
ほぼ毎日、日没まで街に立ってたただひたすら被写体を探し回っていました。
真冬のニューヨークは時にマイナス10度を下回る日もあり、ホットコーヒーが2分後にはアイスコーヒーになります(マジで)。
どうやってあの中で数時間も外に立っていられたのだろうと不思議に思います。

そんなこんなで有難いことに常に何かしらの依頼を受け忙しく街に繰り出していたと記憶しています。

ただ、そういった幸運の上に成り立つ栄光は長くは続かないのが世の常。

ちょうど渡米3年が過ぎた頃。SNSなどの普及による雑誌やウェブサイト、そのコンテンツの一つであるストリートスナップの需要の低下の煽りを受け、毎月レギュラーで受けていた仕事が全て打ち切りになり、その他単発の依頼も激減。

フリーランスとは言え、それまでクライアントにのみ写真を提供しているだけの写真家だった筒井。

完全にやる事がなくなりました。

正直この時はもう写真をやめようという気持ちが強かったと思います。

自分が写真家として形にしたい!と思うものを考える事を放棄して求められる物だけを撮り続け、安穏としていたツケが回ってきたという事だと思います。

ストリートスナップというジャンルが世間でいう”写真家”という位置付けとは少し違うという情勢もあり、自分自身を”写真家”や”アーティスト”と認識する事に怖気付いて、逃げていたからというのも一つの大きな理由だったと思います。

そしてこの出来事が、読者モデル時代からニューヨーク初期のスナップブームまで、自分の人生は幸運と人様との縁の上でのみ成り立ってきていたなあ、と自分のこれまでを振り返るきっかけとなりました。

何かを自分で考えて予想して、それを実行し、また推敲し修正して、更にそれを継続していく。そのような事を自分はこれまでただの一度もした事がない。そう気付いた時は少し衝撃でした。

何かしなれば!

今自分がしたいこと、出来ること、色々な可能性を視野に入れ一晩、知恵熱が出る程考えました。(一晩だけ?)

結果的に辿り着いたのは

”ストリートスナップ”

昔、STREET magazineを見て心の底からワクワクしたあの感覚(第2話参照)。幸いにも今、自分はその海外にいる。それをもう一度自分のため、自分のいいと思うもの、撮りたいと思うものだけで、このニューヨークでやってみよう。

一晩で考えられる事をどれだけ後回しにしてきたのか。自分がいかに考えない人生を送ってきたのか改めて思い知らされました。

でもここまで来たら後はもうやるだけ。
写真への気持ちが英語への情熱に並んだのはこのあたりからでしょう(おせーな、おい)

2015年10月より、自身のストリートフォトプロジェクトを”#TheWayYouWEREThatDay”と題し、気持ちを新たに街で写真を撮り始めました。

ちなみにこのタイトルの直訳は”あの日のあなたの在り方”、意訳すると”あの日、君こうだったよね!”のような感じでしょうか。
日本語にするとちょっとダサさがすごいです。

今日という日の記録をユースたちのその瞬間のファッション、トレンド、カルチャーという軸で継続的に切り取り続ければそれは先の未来から見た時に、その時間の記憶や情報など、あらゆる物を引き出す因子になり得るのではないか、という着想に基づく記録集。

具体的に説明するとそんな感じです。

少し話は逸れますが、僕がギャル男に憧れ、必死に肌を焼き襟足をのばした事と、今ニューヨークの若者達を記録している事は遠縁ながら自分の人生のストーリーの一部として繋がっているのだと思います。

誰が作ったでもなく、自然発生的にどこからかやってくるその時代の流行り、カルチャー。そしてそれはいつだってその街のストリートから生まれるもの。

ただお洒落かどうか、ではなくその時代の状況の中でその時代だから一際目立つ、”イケてる”ヤツらが持つ刹那的で、だけど物凄く強いパワーに溢れる何か。

そしていつの時代もその時を生きる若者がその何かを肌で汲み取り、体現する。
それが”カルチャー”という形になる。

同じくストリートから発生したギャル男も今ニューヨークのストリートシーンで生きる若者達もどちらもその”カルチャー”そのものなのだと思います。

荒削りで、ちょっと尖っていて、少し近付き難いけどどこか目をひかれてしまう、そんな何かを持った若者たち。もう自分では体現出来ないそれを、今度は代わりに傍観者として写真という形で記録して行く。

少々暑っ苦しくなりましたがそれが”#TheWayYouWEREThatDay”です。

その写真を”STREET”の編集長も見てくれており、それがきっかけで2016年の9月より、憧れの雑誌だった”STREET”のニューヨークでの撮影も担当させて頂けるようになりました。これは本当に嬉しかったです。

2019年1月現在、ニューヨーク在住歴が6年と半年程になりました。

この街に来て良かったと思う一番の理由は”自分で考える”という事が出来るようになった事だと思っています。

日本ほど気心の知れた友人ももちろん家族もおらず、何か問題、もしくは苦難に直面した時、全てを自分で受け止めて解決しなけれはなりません。必然的に一人で色々な事を考えるようになります。

加えて、”人それぞれの違い”が”変質”ではなく”当たり前”として、当たり前に存在できるこの街。

自分で考えた事、取り組んでいる事を胸を張って言う事が出来る環境だと思います。だから仮にそれが失敗に終わったとしても、また自分で考えてやってみようと思える。

恐らくニューヨークに来ていなければ、写真についてここまで考えることも、何かを自分で始めようとも思えていなかったのではないかと思います。

もちろん大変な事もたくさんありますし、途方に暮れる日も今だにあります。

でも6年という月日をこの街で過ごして、自分という人間が少しずつ変わっていく様を見て、そしてそれが日本では恐らく起こり得なかったであろう変化だと思わされる事が多々あって、本当にこの街に来て良かったと思います。

先の何編かでもお伝えしましたがもし海外に出たいと本気で思っている、でもどうしても二の足を踏んでしまっている方へ。

とりあえず出て来いや!

改めて声を荒げてしまいましたが、こちらを結びの挨拶と代えさせて頂きます。

“元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯”、6編にわたりご精読頂き本当に有難う御座いました。
タイトルにもある通り、あくまで”移り住む”所までのお話ですので、ここで終わりとなります。

ですが、現在実際の感覚としてはやっとニューヨーク生活のスタートラインを踏み切ったところぐらい。

これから自分がどうなって行くか、想像も出来ない事はたくさんありますが日々精進して行きたいと思います。

また何かの節目で何かをシェアするかもしれません。

またその日まで!

しんち

#海外 #ニューヨーク #写真家

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

28

Shinichi Tsutsui

ギャル男雑誌『men's egg』の読者モデルとして活動した後、ストリートで写真を撮り始める。旅行で訪れたNYで感銘を受け渡米。ギャル男から写真家になってNYに渡米した経緯を綴っています。NYでゲストハウスもしてます⇨www.nyphotolab.com/guesthouse

元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯

東京からニューヨークに来るまでの成り行きを自分で振り返るという意味でも記していきます。自己紹介の様な形で読んで頂けたら。
他 1つ のマガジンに含まれています
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。