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【第5話】元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯 〜準備編〜

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是非 【第1話】元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯 〜感化編〜

、【第2話】元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯 〜変化編〜

【第3話】元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯 〜躊躇編〜

【第4話】元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯 〜視察編〜

から先にどうぞ。
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さてさて、そうしてあっという間の10日間のNY旅行を終え日本に帰国。本当に実りのある、大きな意義のある視察となりました。

渋谷の街並みを眺めながらも、心は確実にニューヨークに置いてきていたと思います。
もうこうなったら止まらないのが筒井ですから。

早速話は逸れますが参考までにこの”視察”という形で訪れた旅行で気付いたこと。
この旅が非常に有意義になった理由の一つとして

“一人旅だった”

という点が大きかったのではないかなと思います。

もちろん慣れない海外旅行。危険や不安もたくさんあります。慣れ親しんだ誰かと行動を共にすれば安心ですし、1人に寂しくなることもありません。

ですが時としてそれは身軽さを奪うことになることもあります。

というのも、どれだけ仲のいい友人とは言え趣味嗜好はどこかで少なからず違うものです。

何かをする上で決定の基準が”自分がしたいから”ではなく、”自分「達」がしたいから”になってしまうとどうしても行動に制限が生まれてきてしまいます。

旅をしていると思わぬ出会いで人と知り合ったりすることもあります。いきなりクラブに行こう、と誘われたりするかもしれません。そういう時にもし同行者がお酒を飲まない人だったら?その人に気を遣ってしまって行きたい気持ちを押し殺し、行かないことを選んでしまうかもしれません。

それともう一つ。
一人旅の場合、自分から行動をしない限り誰かと会話する機会すら生まれません。そのため現地での人のコミュニケーションに対しての気概も変わってきます。事前に会う人を紹介してもらったり、出先でのちょっとした人の出会いに積極的になったりと結果的に現地でのリアルな経験に繋がりやすいです。

そうでもしないと一人でひたすら街を徘徊する、言葉も交わす相手のいない旅になってしまいますからね。

もしバカンスではなく”視察”や”経験”として何かを得るための旅行の際は不安をちょっと横において1人分のチケットを購入してみることをお勧めします。まさに僕のこの旅がそうだった様に”旅行”とは一味違った踏み込んだ経験ができるかもしれません。

さてさて、話は戻ります。
日本に帰って来てからの自分は今振り返ってみても実に迅速でした。

帰国と同時にその時の彼女と住んでいた家の退去を申請をし、同時にお金の限り買い集めていたブランド服のほぼ全てを友人を招いてフリマ販売して資金の足しに。

当時のブログに残っていましたが、ニューヨーク旅行中の時点で既に告知してました。やる事がはえー。
当時わざわざ我が家まで出向いて服を買ってくれた友人知人の皆様。感謝しております。

そして一番の関門であるのがビザです。

ビザというのは海外に居住する際に必要となる、滞在の許可証のようなものです。ゆえに、どの様な理由で滞在するのかによってビザの種類も変わってきます。

その中で一番簡単で長期の滞在が認められるビザと言われているのが”学生ビザ”。

学生という立場でアメリカから認可を受けた学校に通う事で、滞在を認められるという形です。

そして特にニューヨークには数多く点在する”語学学校”という種類の学校。これらは言ってしまえば英語塾のようなもの。入学に際してテストもなく、基本的に高卒者であれば誰でも入学する事ができます。即ちほぼ全ての人が取得出来ると言っても過言ではありません。そしてなんと言っても魅力的な点は、最大5年間の滞在が認められるというところ(例外もあります)

よって、このビザで語学学校に通いながらアメリカ生活をスタートさせるという流れが一番メジャーな道程だと思います。

事実、僕も当時このビザを取得して語学学校に通いました。

ちなみに僕は学校探しやビザ取得、渡米にあたっての準備、諸々を代理店にサポートして頂きました。

僕がお世話になったのは東京ですと渋谷にオフィスを構えるDEOWという代理店です。彼らの提携する語学学校に入学する、という前提で無料で全てのビザ取得工程のサポートをしてくれます。(現在の運営方針に関しましては変更している可能性もありますので、もしご利用の際は確認をしてみてください。)

当時の僕の担当者の方には親身に、迅速に対応して頂き本当に感謝しています。

それとニューヨーク滞在を通して写真の事でも少し変化がありました。
当時まだインスタグラムなどのSNSは主流ではなく、その前身となるブログが大流行した頃。

特に海外のフォトグラファーは、自身の写真を気軽に高頻度で更新できるこのシステムをいち早く取り入れ、ブログで作品を公開していました。

ええ、もちろんドップリ感化されました

ニューヨーク旅行から帰ってくるや否や、自身のストリートスナップブログ、”Culture & Journal”を開設 (現在では”#TheWayYouWEREThatDayに改名)。

そしてブログで写真を公開し始めた事が、その後インスタグラムへ、そして今の自分の写真に対する考え方や方向性へと導いてくれるきっかけとなります。

そんなこんなで出国準備は完了!
あとは飛行機のチケットを買うだけ。

正直ここまで勢いに乗ってトントン拍子で進んできていたのですが、最後の最後、日付を決める段階で少し躊躇が生まれました。

生まれてからずっと住んでいた日本を出て、違う国に住む、そのリアリティがここへ来てずしりとのしかかって来たのだと思います。

そうして少し間延びしそうになっていた時期に街で偶然すれ違った、ストリートフォトグラファーの大先輩Rさん。彼女は今でも自分と同じ分野の中において遥か先で一つの指標となり、大きな影響を与え続けてくれている人の一人です。

彼女にポロっとそんな弱音を吐いたところ、

“タラタラするな!しっかりと覚悟を決めて、それをはっきりと形にしなさい。そうしないといつまで経っても物事は動かないよ。じゃあ何月何日に行くか今ここで決めよう!”

と、叱咤とともにまさかの提案を頂きました。

ちょっと励ましてもらおうくらいに甘ったれていた気持ちがまた改めてピリッと緊張を帯び、背筋を伸ばしてもらいました。

そして、本当にその場で
”7月16日”
のその日を決めました。

まさかの展開。
ただ、一度決めると何かが吹っ切れてなぜそんな小さな事でクヨクヨと悩んでいたのだろう思うようにことを覚えています。

これまでにも何度も書いてきていることですが、勢いは何より大事。そこに覚悟が伴えば、大抵のことは大したことないではないのかもしれないと、改めて気付かされる一つの出来事だったと思います。

そこからはラストスパート。
借りていた家の引き払いも済み、当時の彼女は韓国に留学先を決定(第3話参照)。僕より2週間早い出立でしたので成田空港まで見送りに行き、そこでお別れ。帰り道はあまりの呆気なさ物事の進むスピードの速さに、しばし呆然と物思いにふけりました。

ただの結果論ではあるかもしれませんが、もし彼女の存在がなければ僕は今もまだ日本に住んでいたかもしれない、そう思うことがあります。

振り返って見ると自分の人生の大きな局面は全て素敵な女性方に背中を押してもらっている気がします。

いい人生だ!

準備は万端、あとは飛ぶのみ。家族の見送りを受けていざアメリカへ!

この時、来年くらいには帰ってくるよと軽く母親に言っていた事を思い出しました。まさかこの後6年間も息子に会う事がないなんて予想もしていなかったと思います。

-つづく-

【最終話】元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯 〜上陸編〜

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