みんなと同じ写真が自分の写真なのか

こんばんは、路地裏写真家(@johnny_satoh)です。


今日は最近の写真愛好家を取り巻く風潮について。


(昔からかもしれないが特に)最近カメラ雑誌読んでも、SNSや写真関係のWEBサイト見ても、もうそこかしこにテクニックのHOW TOばかり溢れてて、写真教室やらもそれに便乗して「またこんな話題か」って告知用のタイトルだけで胸やけしそうになることが増えてきました。


自分の写真をもっと素敵に、カッコよく見せたいって人々がたくさん居て、その需要が多いからこそ、そういった情報がたくさん共有されているのだろうし、そこは否定しません。

ましてや有料のコンテンツ(サービス)ならばそれ相応に”実感できる対価”がないと売れないでしょうから、世の中の写真愛好家へ向けた情報がテクニックのHOW TOで占められるのも理解はできます。


ただみんなが本当にそのテクニックが自分の写真には必要!と思って購入したり共有したりしてるのか、甚だ疑問に感じてます。

いや、必要ならいいんですけど。

なんかこう、著名な写真家やプロカメラマンだとか、フォロワーのたくさん居る人(インフルエンサー)の言動・行動に、本来持っているはずの己の感性や感覚が侵されていないのか?と、もう少し疑った方が良いと思うんですよ。

その著名人・インフルエンサーとかに対してじゃなくて、自分自身の本質に対して。


「それが本当に自分の写真なのか?」


今の風潮ってみんなが同じようなテイストで同じようなテクニックを使って同じように共有していて、「僕も○○さんが好きなんですよー、あなたも○○さんみたいな写真好きですよね?良いですよねー○○さん!」ってお互いに嗜好を共感し合いたいのが本音で作られた写真が溢れているように思うんです。


これが日本の場合は特に顕著で、例えば音楽やファッションとかを見ても、今でこそ成熟して細分化された、それぞれのジャンルだとか個性が評価される時代になりましたが、一昔前まではブームが来るとみんながそれに乗っかるっていう時代が長く続きました。それが今や誰でも写真を撮れる身近な時代になって、写真を愛好する人々の周辺でもそんなブームが巻き起こっているんじゃなかろうか、と。

(こういうこと書くと僕がすごく洋楽ばっかり聴いてる音楽通だったりとか個性的なファッションで主張しているような人なのか?と曲解する人がたまに居ますが、全然そうじゃないですよ)


「それが本来の自分の姿なのか?」


陳腐な表現ですが「写真は自分を映す鏡だ」とよく言われます。

僕も同感です。本当の自分の写真を世の中に晒すって行為は、単純に視覚的に裸体を晒すことよりもよっぽど勇気の居ることだと思うからです。

自分の本質ときちんと向き合ってる人の写真は、その人の感性・センスなんて簡単な一言では済まされない、その人のそれまでの人生における喜怒哀楽とその歴史、そしてそれを撮った時の精神状況や、将来に対しての希望や不安も、つまり過去も、現在も、未来に対しての感情や考え方が、もっと言うなれば外見以外の全ての要素がそこに写っています


最近の世に出回る多くの写真は、みんなが本当の自分を隠そう隠そうと、みんなと同じ仮面被ってみんなに紛れとこう、っていう風に見えるんです。

街にしたってどこの町に行っても見かける、同じような道、同じような家っていう光景が増えてきて、当たり障りなくなんとなく多くの人が綺麗だと思っているような街並みに整備されることが増えてきました。


なんとなく綺麗ならまだしも、

「世の中の全ての景色が絶景になって、男子はみんなイケメンで、女子はみんな美女になった世界なんて本当につまんねぇよな」って思うんです。


カッコ悪い自分も、惨めな自分も、自分に何もないならその無を、悲観的なナルシズムに酔うことなく、愚直に吐き出してるような写真に、僕は「写真の強さ」を感じます。

自己の本質を映した写真にテクニックの介在は必須ではないのです。

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Johnny Satoh

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