Shinji_Cate

シンジケートを文字って付けました。スピリチュアルと呼ぶのか宗教と呼ぶのかトンデモ系と呼…

Shinji_Cate

シンジケートを文字って付けました。スピリチュアルと呼ぶのか宗教と呼ぶのかトンデモ系と呼ぶのか…訳の分からない話を中心に書いています。 興味を抱く方々の集まりとしてのシンジケートを目指します。少しだけ(笑)

最近の記事

linux

更新しない間、osをwindowsからlinuxに変えたままnoteは放置してた。 試しに書き込んでみる。問題無さそう。

    • 失われた仏像を探せ 6(全面書き直しとNOTE機能)

      Yさんからの突然の電話。 Yさんとのやり取りは殆どメールでしたので電話での会話は確か三ヶ月弱ぶりでした。 個人的にはメールのほうが助かります。 言葉の情報量が多い相手の場合は特にです。 文章量ではなく情報量。 追記:出だしから全面書き換えています。 グダグダなってました。理由は記憶だけを頼りに書いていたから。 時系列順に書く事はせず、今、思い浮かんだテーマをライブ感を大事にしながら書いていましたが、流石に記憶が曖昧な所が出てきました。 と言うか、今回知りま

      • 失われた仏像を探せ 5 (言葉の意味)

        「一度田舎に帰って仏像を見てみろ。仏像が悲しそうな顔に見えた時が今だよ。その時また教える」 霊視・霊能力者のYさんを通して話を伺いながら、走り書きでメモを取りつつ同時に言葉の意味を探る。 何処の仏像を見ればいいんだ? 悲しそうな顔とは? 「悲しそうな顔に見えた時が今だよ」という言葉の構成、少し妙だな… 詩的な言い回し? また教えるとはどういう意味だ? 瞬間的に複数の疑問が生じる。 言い回しについてはYさんに出会う一年以上前に出会っていた女性のSさん(クリスマス番

        • 失われた仏像を探せ 4 (言葉の源)

          3の文末で書いていた霊感・霊能力者のYさんの場合の言葉の出所を書いてみます。 Yさんから伺った言葉ですが正確にはYさんを通して伺った言葉です。その違いについて。 Yさん御自身もその言葉の意味を分からないまま伝えている事が有ります。 出口ナオさんや岡本天明さん達のように勝手に腕が動く自動書記であったり、降ろして質問して言葉だけを聞く場合など一つではない感じです。 降ろさず霊視だけの場合など。 詳細には知りません。 伝えられた言葉の意味を掴み切れ無かった時、改めて質問

          失われた仏像を探せ クリスマス番外編

          既存宗教への反発心があり、偶像を拝む行為にも抵抗感があるのだけど… 「失われた仏像を探せ」と霊感・霊視・霊能の力を持つ御二人から同様の話を伺っていた出来事より更に前に出会っていた、もう一人の特殊能力者。 ※出会った時には霊感の持ち主とは気付いておらず、一ヶ月以上経ち、ある理由で交流が増えて以降、もしかして?と思う出来事があり、さりげなく聞いてみました。 御二人とはまた別系統の特殊能力者Sさん(女性)と出会ったキッカケがユニークなのでクリスマス番外編として今のタイミングで

          失われた仏像を探せ クリスマス番外編

          失われた仏像を探せ 3

          霊感・霊能力を持つYさんとOさんの系統の違いなどを書いていきます。 御二人から別々のタイミングで「失われた仏像を探せ」という感じの話を伺いました。 Yさんは強いて言えば神仙道系です。 当時、神仙道系の中の一つの系統に属している形ではありましたが現在は離れている可能性も充分有ります。 敢えて五年ほど連絡を取っていませんのでハッキリした事は分かりませんが、当時からちょっと違う存在でした。 自分は属していた訳でもなく、Yさんから話を聴いたり、文章を通して内容そのものもです

          失われた仏像を探せ 3

          失われた仏像を探せ 2

          前回は別系統の二人の霊感・霊能力者から「失われた仏像を探せ」という感じの話を伺ったところまでで終わりました。 今回は御二人の系統の違いや、伺った話の詳細を書こうと思っていましたが、その前にどうしても先に書いておきたい事があります。 何故、自分が探すのか? 仏教に関して言えば魅力をそれほど感じません。それどころか反発心すら生じます。 前回、神道に関して少し触れたのと同様に、たんに無知から来る反発心かも知れませんので、生じる感情を客観的に見つめる、もう一人の自分も居ます。

          失われた仏像を探せ 2

          失われた仏像を探せ 1

          訳の分からない経緯で、ある仏像を探しているのですが、同時に宗教への反発心もあります。これは後天的なのか生まれ持ったものなのかハッキリしません。 「米一粒にも神様が宿っていますよ」や「オテントサマが見てますよ」の言葉には自分の感覚ともシックリ来ます。 コレを神道と呼ぶのか古神道と呼ぶのかアニミズムと呼ぶのか、宗教学の学問上の定義を正確には把握していませんが、この感覚を宗教と呼ぶのなら自分には宗教心が有るのでしょう。 でも現在の神道に全面的に魅力を感じている訳でもないですし

          失われた仏像を探せ 1