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天才を初めて男にした馬 〜名馬たちの記憶7〜


1988年 菊花賞。
もしもその馬が、その男に出会わなかったら。
もしもその男が、その馬に出会わなかったら。
天才を天才にした馬、スーパークリーク。
本当の出会いなど、一生に何度あるだろう?
―2013年 菊花賞JRA CMより―

ご存知の方も多いだろう。
当時19歳だった武豊騎手に初めてG1という勲章をプレゼントしたのが、スーパークリークである。

また、
オグリキャップ
イナリワン
誰もが知っている2頭の名馬とともに平成の3強と呼ばれ、第2次競馬ブームの立役者でもある。

天才 武豊騎手を初めて男にした男。
今回は、そんな彼の記憶を辿りたい。


彼の父は、ノーアテンション。
長距離を得意としたが、32戦して2着14回と詰め甘タイプだった。
母はナイスデイ。その父インターメゾは、長距離戦線で大活躍した菊花賞馬グリーングラスの父でもある。
よって、
スピードよりもガチガチのスタミナ血統(配合)であった。

長距離血統を背負い産声をあげた彼は、幼少期に左前脚の外向があったためか、1歳(現0歳)及び2歳(1歳)のセリ市で買い手が付かなかった。
いわゆる、売れ残りである。

その後、
生産者は旧知の馬主に庭先取引にて、売却。
取引価格は810万円という。
のちに取引価格の70倍となる約5億6000万円の賞金を獲得するのだから、競馬は馬券だけではない、ギャンブルである。だから競馬は面白い。

ただ、あくまでも生産者の苦労を知らない、いち競馬ファンの目線としてだが……。


馬主は「今は小川(クリーク)でも将来的には大河になるように」との願いを込め、スーパークリークと命名された。

普段のおとなしい性格とは裏腹にレースでは力強さを発揮した。🐴画像jra-vanより🐴


そんな、脚に外向があって、売れ残りだった彼は、デビューから2戦目で初勝利を挙げる。

この時n騎乗した、元祖天才と言われた田原成貴元騎手が、
「この馬は、ひょっとすると大変な大物かも知れない」
と大物の片鱗を匂わす発言をしている。
その言葉通り、中長距離G1を3勝する名馬となるのは、まだ先の話である。

さて、
元祖天才に大物になるかも知れないと言われたスーパークリーク。
しかし、
詰めの甘いタイプは父親譲りなのだろうか、5戦2勝となかなか勝ちきれない中で迎えた春先のすみれ賞(オープンクラス)で彼に運命の出会いが訪れる。
それは、このレースで若き武豊騎手とコンビを組むことになったのだ。
ここでは、3番人気も物ともせず、辛勝。見事、オープンクラス入りを果たした。

その後、
夏を経て彼は、牡馬クラシック最後の栄冠、菊花賞に出走するため、京都新聞杯G2に出走。
しかし、
アクシデントが待ち受けていた。
それは、ガクエンツービートの騎手が振るった鞭が何度も顔に当たるという物であった。
結果的に6着敗退。
菊花賞の優先出走権を逃してしまう。ちなみにガクエンツービートは9着だった。

その結果、菊花賞の出走は、キャンセル待ち状態。
主戦となった武豊騎手も
「クリークがだめ(菊花賞に出走出来ない)なら、参加出来なくても仕方ない」
とコメントするほど、彼の能力を見抜いていた。

そんな彼らに幸運が舞い降りるのである。
出走馬確定日の直前、2頭の出走予定馬が急遽、回避を表明。
これにより菊花賞への出走が叶うことになった。

菊花賞は3番人気だったが、蓋を開けてみると2着馬ガクエンツービートに5馬身差の圧勝。
見事、重賞初制覇がG1初制覇となった。
なお、キャンセル待ちにて、出走した獲得賞金最下位 2頭のワンツーとなった菊花賞でもあった。

この姿から彼の優しさが伝わってくる。
🐎画像uma-furusato.comより🐎


菊花賞馬となり、彼が2つ目の勲章を手に入れたのは、記念すべき100回目となった天皇賞(秋)
1番人気だったアイドルホース オグリキャップの猛追をクビ差だけ残した形で勝利。

翌年の天皇賞(春)G1では、宿敵イナリワンを半馬身に抑えて勝利。3つ目となるG1タイトルを獲得。

併せて、史上初となる天皇賞秋春連覇を達成した。

今でこそ、日本の競馬レベルが格段に上がり海外の大レースを勝ち負け姿も珍しくなくなったが、
当時は、海外の大レースなど夢のまた夢の話。
それを彼の陣営は、凱旋門賞を視野に入れた。
その前哨戦として、宝塚記念の勝利を前提に凱旋門賞を登録。

ところが、
競馬の神様のイタズラだろうか。
筋肉痛により宝塚記念を回避。
残念ながら、凱旋門賞挑戦は白紙となった。

それだけ期待された彼は、陣営の期待に応えるべく休養明けの初戦となった京都大賞典を快勝。
天皇賞(秋)連覇に向け順調な滑り出しを見せる。

だが、
再びのイタズラか。レース直後に左前脚の繋靭帯炎を発症。
志半ば、そのまま引退となった。


落ち着いていて、物事にも動じない性格は、種牡馬入り後も変わらず、このように落ち着いた種牡馬は珍しいと言われたほどだった。

しかし、
世に残した204頭の産駒は、父同様おとなしい性格だったのか、残念ながら重賞勝ち馬は現れなかった。

「僕が初めて惚れ込んだ馬、僕の期待に応えてくれた大事な馬です。あの馬がいなかったら、僕はこんなにたくさんのG1に乗れなかったと思う。本当に強かった。ある意味で僕の原点かな、この馬と一緒に全国区になった」

と、天才・武豊騎手に言わしめた競走馬スーパークリーク。

武豊を初めて男にした男。
彼の名は、日本競馬史に永遠とその名が刻まれ続けるだろう。

スーパークリーク
父ノーアテンション
母ナイスデイ
母の父インターメゾ
16戦8勝
主な勝鞍 菊花賞


後世に残る日本競馬史上、最強の騎手、武豊騎手が初めて勝ったG1レースは、間違いなく永遠に語り継がれると思います。
その都度、人々はスーパークリークの名を耳にすることでしょう。

それだけ偉大となった彼の記憶。楽しめて頂けましたでしょうか?

併せて、私の刊行物も一緒に楽しんで頂けると光栄です!
kindle電子書籍にて、絶賛発売中です!






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