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濡れせんべいは濡れているか

『濡れせんべい』という食べ物が存在する。
“濡れ”といいつつも、別にビショビショに濡れているわけではない。
焼きたてのせんべいの生地に醤油を染み込ませて作っており、その結果、通常はサクサクとした食感のせんべいが見事にしっとりと仕上がるのだ。

おれは昔からこの濡れせんべいに対しての
“濡れ”という表現に引っかかっていた。
実際に濡れているわけではないのなら、
“濡れ”せんべいではなく、“濡らし”せんべいなのではないかと。
しかしこれを主張すると大抵の人は「濡らして作っているんだから濡れせんべいでいいんだよ」と言う。

だがそういうことではない!
おれが主張したいのは、
濡らしたかどうかではなく、濡れているかどうかなのだ。
そもそも大抵の食べものは作る過程のどこかで必ず濡れるのだ、濡らして作られたもの全てに“濡れ”と付けていいのであれば全ての食べものが濡れ◯◯である。
例えば、しゃぶしゃぶや味噌汁のように元々しっかりと濡れているものを『濡れしゃぶしゃぶ』『濡れ味噌汁』とはいわない、濡れせんべいよりも断然濡れているにも関わらずだ。
しかし濡れせんべいはどうだろうか、たかが濡らして作られただけで“濡れ”の称号を欲しいままにしている。
これではしゃぶしゃぶや味噌汁が可哀想ではないか。

だが残念なことに、世間というのは実際はそうではないものの方を優位に立ててしまうものなのである。
例えば、普段から優しい人が見せる優しさよりも普段は意地悪な人が見せる優しさの方が優しく感じてしまうのと同じで、元々濡れている食べものよりも普段は濡れていない食べものが濡らされている方が人は濡れていると思ってしまうものなのだ。

しかしおれはこんなトリックには騙されない。
普段から優しい人が見せる優しさこそ評価されるべきであり、普段から濡れている食べものこそが“濡れ”の称号に相応しいのである。
みんなも今度から濡れせんべいを見かけたときは「お前は“濡れ”せんべいではなく“濡らし"せんべいなんだぞ」と心の中で思ってあげてほしい。
そうすることでいつか濡れせんべい自身が「あぁ、俺が間違っていたんだな」と悔い改めてもらえれば幸いである。

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