柄谷行人がおかしくなったのは最近のことなのか――ポストモダンと代替医療

 近代医学を「プロパガンダ」扱い

 批評家の柄谷行人が毎日新聞のインタビューで行った発言に、ウェブ上で批判が殺到している。

憲法9条の存在意義 ルーツは「徳川の平和」 思想家・柄谷行人

 発言内容は、@C4Dbeginnerさんのツイートによくまとめられているので、紹介させていただく。

 ようはむちゃくちゃな内容だ。精神分析的主張といい歴史的認識といい、どこから突っ込んでいいかわからない。さすがに擁護する人も少ないようだ。

 しかしこの件について、柄谷も老いておかしくなってしまったとか、湾岸戦争以降におかしくなったといった発言が散見されたのは気になった。柄谷は80年代に日本で起こったポストモダン思想ブーム(ニューアカデミズムと呼ばれる)を牽引した人物のひとりだが、この時点ですでに彼の発言にはトンデモな面があった、とぼくは考えているからだ。

 その例として、柄谷がニューアカデミズム・ブームの直前、1980年に刊行した『日本近代文学の起源』をとりあげてみたい。引用のページ数は1988年の講談社学芸文庫版にならっている。

 柄谷は同書で、次のような奇妙な主張をした。近代医学が結核の原因を結核菌とするのはまちがっている。結核菌感染者の多くは生涯発病しないからだ。栄養状態や遺伝的資質などの要因が重なって、はじめて症状が現れる。近代医学を生みだした西洋人はキリスト教的な発想に囚われていたため、細菌という「悪魔」が病をもたらすという考えに陥ったのだ。

デュボスのいうように、「人間と微生物との闘争」というイメージは、まったく神学的なものである。細菌とは、いわば眼にみえないが偏在している「悪」なのだ。(中略)/たしかにコッホは結核菌を発見した。しかし、それが結核の原因だということはプロパガンダである。のみならず、ひとびとがこの学説をたやすく受けいれたのは、それが神学的イデオロギーだったからだ。(『日本近代文学の起源』、p147)

 柄谷は、近代医学の主張をプロパガンダだとさえ述べている。もちろんこれはでたらめだ。彼が近代医学批判の論拠とする、結核菌の感染者が必ず発病するわけではないという事実は、そもそも近代医学があきらかにしたものである。菌を結核の原因とすることもまちがいではない。ほかの要因がどうあろうと、菌に感染しなければ結核にはならないのだから。

文化は「知覚」を支配する?

 柄谷について、彼はたんなるポストモダン派ではないという人もいる。おそらくこうした人々は、柄谷が自分の主張を神秘化するためにおこなった数々の思わせぶりな発言にだまされてしまったのだ。彼がポストモダン派以外のなにものでもないことをいまから示してみたい。

 柄谷が唱えた奇妙な結核論の背景にあるのは、文化が人間の認識を土台から支配しているとする、ポストモダン派の理論だ。彼らの考えでは自然科学でさえ西洋文化のローカルな思考パターンにとらわれており、普遍的でも客観的でもない。近代医学がキリスト教に毒されているという柄谷の説は、これをそのままなぞっている。

 柄谷の議論をよりくわしく追ってみよう。彼は同書で、明治以前の日本人が西洋人と異なる「知覚の様態」をしていたと主張している。俳句や山水画が近代西洋の文学や風景画とちがう方法で自然を描いたのはそのせいだというのだ。彼のいう「知覚」は感覚そのものではなく、複数の感覚器官からの情報が、いくぶんかの意味付けをともなって一つの外界イメージに統合されたものを指すらしい。ひらたくいえば、人間が目の前の光景にもつ直接的な印象のことだ。

すでにいったように、風景はたんに外にあるのではない。風景が出現するためには、いわば知覚の様態が変わらなければならないのであり、そのためには、ある逆転が必要なのだ。(『日本近代文学の起源』、p28)

 柄谷が「風景」と呼んでいるのは、西洋流に「知覚」された外界のことだ。彼によれば、いまでは日本人も外界を「風景」としてとらえる。明治に「知覚」のありかたが西洋化したからだ。柄谷の主張では、ぼくらが山水画より西洋の「風景」画をリアルに感じるのはそのためで、後者の描く景色のほうが現実に近いからではない。
 では、文化はいかにして「知覚の様態」を変化させるのか。ポストモダン派がよく語るのは次のようなロジックだ。ぼくらの「知覚」は、外界の対象を分類し整理することで組みたてられている。文化圏によってこの整理のしかたはちがう。たとえば日本語では緑色と青色を区別するのにたいし、ツェルタル語は両者をおなじ名前で呼ぶ。どの言語を母語とするかで、ある対象をふたつのカテゴリーに分類するか同一視するかの基準は異なるわけだ。よって「知覚」のありかたも変わってしまう。

 ようするに、各文化はそれぞれ異なるヴァーチャル・リアリティーを形成し、人をそこに閉じこめているというのがポストモダン派の考えだ。柄谷もむろんこの見解にしたがっている。

だが、それは視覚の問題ではない。知覚の様態を変えるこの転倒は、(中略)記号論的な布置の転倒にこそあった。(『日本近代文学の起源』、p31)

 ここで「記号論的な布置」と呼ばれているのは、外界の対象を整理する方法のことだ。彼によれば、日本人の「記号論的な布置」は明治に「転倒」した。よって視覚器官そのものはおなじにもかかわらず、知覚のありかたは変わってしまったのだ。
 柄谷によれば、ぼくらが客観的に存在すると思っているものも、西洋由来のヴァーチャルな「風景」の産物にすぎない。

風景がいったん成立すると、その起源は忘れさられる。それは、はじめから外的に存在する客観物のようにみえる。ところが、客観物(オブジェクト)なるものは、むしろ風景のなかで成立したのである。(『日本近代文学の起源』、p42)

 よって近代医学による病気のとらえかたも、やはり「風景」のもたらしたヴァーチャルなもので、客観性はないことになる。 

(前略)病気は諸個人にあらわれるのとはべつに、ある分類表、記号論的な体系によって存在する。それは(中略)社会的な制度である。病気はそもそもの最初から意味づけなのであって、「最も原始的な文化では、病気を敵意のある神や他の気まぐれな力の訪れと考えている」(ルネ・デュボス)。(中略)“客観的”な病気は、じつは近代医学の知的体系によって作り出されたものである。(『日本近代文学の起源』、p145)

 柄谷が薄弱な根拠しかないにもかかわらず、自信満々で近代医学を否定できたのは、このポストモダン理論を後ろ盾にしているからだ。

柄谷、代替医療を推す

 柄谷はこの結核論で、近代医学を否定しただけではない。彼はそれにつづいて、東洋医学を推奨する。近代医学の覇権により、代替医療は不当に抑圧されているというのだ。

周知のように、明治以後、東洋医学は制度的に排除されている。西洋医学だけが医学となり、それ以後、国家による認定を受けない医療は、民間療法、迷信とみなされている。知と非知がこれほど露骨に分割された領域はほかにない。(『日本近代文学の起源』、p149)

 柄谷がこう主張した背景には、ホリスティック医学といわれる代替医療の思想があるようだ。ためしに、ホリスティック医学コンサルタントがWEBで行っている解説と、『日本近代文学の起源』の記述を比較してみよう。

「大塚晃志郎の、経営者とその家族のための健康管理と自然治癒力を生かした『命もうけ』の知恵」より「ホリスティック医学とは?」

 まずは柄谷の記述。

結核は、昔からある結核菌によってではなく、複雑な諸関係の網目におけるアンバランスから生じている。(中略)しかし、結核を、物理的(医学的)であれ、神学的であれ、一つの「原因」に帰してしまうとき、それは諸関係のシステムをみうしなわせる。(『日本近代文学の起源』、p152)

 この主張は、ホリスティック医学解説の、この個所によく似ている。

ホリスティック医学とは、ひとことでいえば、「生命まるごとの医学」といえるかもしれません。(中略)/だから、本来全体として関連性のなかでダイナミックに生きている人間存在やその生命を、そのままとらえようという視座を持ち、単にからだを部分にバラバラにして修理するという機械論的な発想をのりこえて、医学と医療をとらえようとする医の哲学といったほうが、より正確かもしれません。(中略)/すなわち、胃が悪ければ、それを修理して直すといった機械論的な医学のアプローチをするより、その胃の悪くなった根本原因、すなわち、生活習慣、環境、心理状態まで含めて、いいかえれば、患者の生命まるごとに関わる情報を観察・洞察して、ケアしていこうとする考え方です。

 ふたたび柄谷の記述。

ヒポクラテスの医療において、病気は特定の、あるいは局部的な原因に帰せられるのではなく、心身の働きを支配する各種の内部因子の間にある平衡状態がそこなわれたものとみなされている。そして、病気を癒すのは医者ではなく、患者における自然治癒の力である。これはある意味で東洋医学の原理である。(『日本近代文学の起源』、p147)

 この記述の内容は、ホリスティック医学解説の、次の二つの個所に酷似している。共通の種本があるのかもしれない。

(前略)西洋医学の歴史をひも解いてみると、実は、西洋医学の父といわれる古代ギリシャのヒポクラテスの医学と医療の考え方は、今日の、病気を叩く対症療法中心で病気志向の現代西洋医学の考え方と大きく異なり、もともと全人的医学・医療としての、ホリスティックな医学・医療であり、むしろ、その考え方は、アジアの伝統医学や東洋医学に相通ずるものをたくさんもっているものでした。

それゆえに、患者が本来持つ自然治癒能力が、うまくそのバランス回復能力を発揮できるようガイドしていくことが基本となっています。

 柄谷がなぜホリスティック医学に魅せられたのかはわからない。ただ、彼の愛用したポストモダン論法には、カルトの論法との共通性がある。

 柄谷は、日本人が近代医学を信じてしまうのは、西洋由来の「風景」というヴァーチャルリアリティにのみこまれているためだという。ならばなぜ、当の柄谷だけが「風景」の洗脳を逃れ、近代医学の誤りを指摘できるのか。彼の主張は「世間の人々はみなまちがっている。私だけが真実を知っている」という独善的な前提にもとづいているように思える。

 この特徴は、柄谷だけにみられるものではない。ポストモダン派は人間の認識能力がいかにあてにならないかを語り、自然科学のように、真理を求める実証的な学問を批判してきた。そのいっぽうで彼らは、しばしば実証的な学問ではありえないような乏しい根拠にもとづき、歴史や社会をめぐる壮大な議論を展開する。こうした態度の裏には、やはり「私だけが真実を知っている」という慢心があるのではないだろうか。

追記

 柄谷はその後、2019年11月16日の『近現代日本の民間精神療法 不可視なエネルギーの諸相』の書評で、自分は若い頃から民間療法を試しており、効果を感じていると述べた。

「近現代日本の民間精神療法」 国境越えねつ造された起源を暴く 朝日新聞書評から

私は学生の頃から、催眠術、西式健康法、野口整体、手かざし、静坐法などをやってきた。医者に行ってもどうにもならない問題があったからだ。一定の効果が感じられる以上、それらの療法を斥ける理由はなかった。それらにどういう「科学的」根拠があるのかわからないが、そのうちわかるだろうと思っていた。まだ、そうなってはいない。ただ、「民間療法」と呼ばれる、これらの療法に関する研究は進んできている。

 よって『日本近代文学の起源』にみられる独特な医学論は、やはりホリスティック医学の影響のもとに書かれたものなのだろう。


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