過去生と母(途中閲覧ご注意ください)

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今日は自分の「過去生」について書いてみようと思います。


前回の記事でも少しお話したように、私は音楽での挫折から「自分が本当に求めているものは何なのか」を知ろうと決め、原点へとかえる道を歩んでいくうちに、自分の過去生を思い出しました。(詳しくは前回記事をお読みください)


それは「日本兵」という過去生でした。


おそらく、いくつもある過去生の中のひとつですが、その「日本兵」という過去生が、より強く今の私にメッセージを送っているという事も後にわかりました。


彼の見たもの、思っていた事が、

今の私の内側で見た景色に繋がっており、

その景色や思いを、知らぬ間にこれまで作品にしていた事も多々あったようです。

つまり、過去生はずっと今の私に必要な事を送り続けてくれていたのではないかなと思います。


自分の「自由」を探求する心
自分のしあわせを感じる心

他の誰でもない、自分の心の基準を大切にする事にフォーカスして生きている今の私に至るまでの、

彼がくれたメッセージをここに残しておこうと思います。



みえてきたのは、昔ながらの日本の家屋でした。


夕暮れ時なのか、辺りは茜色に染まっていました。


縁側に腰掛けている青年がおり、彼はひとりきりで憂鬱そうに顔をうつ向けています(少し疲労しているような感じでした)


彼の心の中にある感情は、憂鬱の他に、迷いや本心を口にできない苦しみのようなものを感じました。

そこには「自分の本心がわからない」という苦しみが強く混じっているようでした。


「兵士となり戦いに行く事、

本当は自らの死が恐ろしい事、

しかし大切な人(家族や国など)を守るためには仕方がない、他に方法は無い。

だけど、霧がかかってわからない、もっと本当の、自分の気持ちがある気がするのに、わからない。


といった感じでした。
そして、それを打ち明ける事はできなかったようです。

それは、特に母親に心配をかけたくなかったためであり、母親の顔を見るたびに


「自らのしあわせは、ふるさとのこの国や大切な母親や家族を守るために兵士となり戦える事だ。なんて名誉な事なのだ」と思い直していたようです。



(ここからは死ぬ瞬間の事について描写しております。ダイレクトなものはなるべく避けましたが、ご注意ください)


そして、場面は切り替わり、前線に駆り出された彼がいます。


轟音に包まれて、自分が今どこにいるのか?何をすればよいのか?

実際に自らが本当に死ぬという瞬間を目前にすると、これまでの訓練で教えられた事などすべて頭から吹っ飛んでしまい、息が上がって震えています。


しかし、その瞬間彼は、
今までわからなかった自分の本心をやっと鮮明に感じられたのでした。


『自分は、本当は、自分の事をもっと大切にしたかったのだ。

この命を大切にしたかった、この人生を大切にしたかった。

そして、本当は大切にされたかったのだ。


国にも、母親にも、もっとこの命こそを、自分こそを、大切にされたかったのだ。

この思いが何なのかも知る事なくこれまで生きていた、

そしてこんな時になって思い知るという無念さ、悔しさ、かなしみ以上の何か。


幼い頃、

自分を愛してくれたふるさとの懐かしい風景が、

遊んだ山や川の美しい自然が、

そしてどんな時にも、

優しくてあたたかくて大好きだった母親の腕の中が、

恋しくてたまらない。

もうここに居たくない。あの安心の中へ帰りたい。

恐い、本当に恐い、死ぬのが恐い』


「おっかさん」と叫んでいました。




はじめは、彼に何と言葉をかけてよいかわかりませんでした。


「あなたのおかげで…」というような言葉は、私にとって「何か違う」と感じたからです。


その「何か違う」と感じた自分の心の違和感から、
そうだ、彼は私でもあるのだ(魂を共有しているのだ)」という事に気づき、


では、私がほしい言葉を彼に言う事にしました。

記憶や、思いを、彼と今、共有している。
今も、彼は私の中にいる。

今、私たちはここに一緒に生きている。


私と一緒に自由になろう。本当の自由になろう。


この言葉を伝えると、彼の強張った顔がぐるっとこちらを向き、次第に目にちからが宿り、その両目から涙をこぼしながら笑顔を見せてくれました。


彼が彼の人生で感じていた心の不自由さは、状況は違えど、私が音楽で挫折した頃の心の不自由さと似ていました。

私も、自分の本心や、内側の景色などの本当に表現したい事を無視して、うたで仕事の結果を出すために躍起になっているうちに、どんどん自分の本心も表現したい事もわからなくなり、挫折というものを経験しました。

自分の本心を、
自分の心の自由さこそを、
決して放してはならないんだ!

という彼からのメッセージだったのです。


彼が生きた日本の戦時下に比べて今は豊かになり、とてもしあわせであると思います。


しかし、この時代にも、

この平和に見える場所にも、

形を変えた「戦争」は起きていると彼は教えてくれました。

それはどこで起こっているのかというと、


」だと。


心で自分と戦争をしているのだ」と。


確かに、彼の戦時下でのあの心境は、音楽で戦おうとしていた私の心とよく似ていました。

自分を痛めつけるような我慢や努力をし、成長すると信じこんでいた私には、彼からのメッセージは衝撃でした


彼は「自分を大切にしたかった」、

そして「大切にされたかった」。

私も、本当はそうだったと認める事からはじめました。

自分の心にしたがって生き、作品をつくりたい。

そんな作品づくりをする自分を愛したい。

そして、そこから生まれてきた作品たちを、
愛してもらいたい


彼が死の間際に気づいた本当に大切な事を、
今を生きている私に送って、教えてくれたのでした。



彼はこの「自分を大切に」という事を伝えるために、これまでもたくさんのサインをくれていました。

ただ、私がそのサインにその時は気づけなかったのでした。

事務所に所属していた時代に、私が東京での生活が合わず度々実家に帰る事を、事務所からかなり咎められた事がありました。

その時、強烈な悲しみと怒りが心にこみ上げたのを覚えています。


事務所には事務所の考えがあり、売り方や、私の作品づくりのために…という社の方針などもあっての事だと、あの頃の私であれば少し考えを巡らせればわかった事です。
(当時はとにかく売れるための作品をつくらなければという思考で生きていたので)

しかし、その瞬間の私は、そのような事務所側の事情や売れる作品のためという意図など、何もかもを差し置いて、


なぜ、自分の大切な家族に会う事を制限されなければならないのか?


という気持ちで心がいっぱいになったのです。

今思えば、このような小さな事も心へ送られたサインであったような気がします。

日本兵の彼は、家族(特に母親)をとても愛していた人でしたし、最期まで会いたくてたまらなかった存在でしたから。

そして、一番大切な事を、私が本当の意味で理解するには、その出来事すべてが必要な事であったと今は感じています。


一瞬、一瞬、心で感じた事を大切にする。
頭で考えた事ではなく、自分の心が感じる事で選ぶ。
『自分を大切にする』とは、本当はそういう事なのだ
」と。


そして心が感じる事を、もっと自分の行動に許していく。
今度こそ、それをいつも実行しようと思います。


それこそが、彼と私が望んだ「自由」だとわかりました



この私の過去生である「日本兵の彼」がくれたメッセージは、先日9月29日に行ったワンマンライブ「明日の化石 〜名もなき幸福〜」にて表現をしました。


彼の思いや、メッセージ、
そしてそこから私が解釈した音楽、
人が死んで生まれてを繰り返して、何をここまで運んできたのか?

などなど、様々な見方から、様々な表現をしたライブでした。

たとえ、「日本兵の彼」というのが私の壮大な妄想であったとしても、
その妄想から自分の中に新たな世界の見方が生まれました。

そこから、また新たな作品が生まれてくるのなら、私にとってそれはとてもうれしい事です。


現在、この日発売となった、

漫画つきCD「明日の化石 〜名もなき幸福〜サウンドトラック」と、

日本の偉大な詩人や小説家の言葉に私なりの解釈で作曲したCD「田端文士と私」が、


↓公式通販サイトにて販売中です
「深海ストア」https://shinkaikanojo.stores.jp/

もうすぐこのワンマンライブの『ライブDVD』についてのご報告もできるかと思います。
また記事にしますね。



最後に…


私は今、家族と音楽活動をしています


特に母には、私のマネージャーを担当してもらって一番近くで、音楽や作品づくり、心で感じた事をいつも話し合い、共有をしています。(母が見えないメッセージを私の心に運んでくれる事も多々あります)


もしかすると…、


日本兵だった彼の、家族や母親への願いや、想いは、ここにもしあわせとなって届けられているのではないでしょうか


また、彼がくれたほかのいくつかの言葉についても記事にしますね♪

あと、漫画やイラストについてもまた記事で書いてみたいと思っております♪



そして、
こんなに長い文章を、ここまで読んでくださったあなたへ、
本当にありがとうございました♪
心から感謝します!


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