彼のいない世界。
私は時々、プロに靴磨きを依頼するが、
私自身の靴を依頼したのは、ほんの数回。
最初の依頼品はフリーライターになった年に大きな仕事を依頼してくれた女性カメラマンとの初仕事で購入した靴だった。
とあるセレクトショップの取材で出会ったその靴は、世界を知りながら「本物の美しさは沖縄にある」と移住を決めたデザイナーが作った靴で、
それはそれは滑らかな肌触りの上質な革が使われていた。
その数年後、仕事を依頼してくれた女性カメラマンは癌を患い、40代の若さで他界してしまった。
彼女との仕事で得た収入で購入した特別上等な革靴を滅多に履くことはないけれど、右も左もわからないフリーランス成り立ての時期に仕事を依頼してくれた彼女を偲ぶように大切にしている。
さらに最近、靴磨きに依頼したのは8年前に亡くなった弟の靴。
亡き弟の部屋で見つけたその靴は彼が小学生の頃、社交ダンスの発表会で履いていた靴で
『黒猫のタンゴ』
を踊る可愛い盛りの弟の姿を思い出すことの
出来る遺品だ。
磨きを依頼した後にわかったのだがその靴は本革ではなく経年劣化も酷かったことから、彼がダンスで踊っていた時のようにピカピカには仕上がらなかった。
それでもプロの靴磨きが丁寧に手入れした弟のダンスシューズは、少しだけ息を吹き返したように私の手元に戻ってきた。
こうやってつらつら書いていて感じるのは、
私は靴を媒介にして縁あった死者との対話を
続けているということだ。
私が彼がいない世界に生きて8年が経った。
今年も彼が亡くなった年と同じくらいに寒く、
寒さに気が取られることで悲しみが和らぐような気がする。
もし彼がいなくなったのが夏だったとしたら、
私は年中、彼を思い出しては鬱々と涙に暮れていただろう。
私は自分の住む土地が常夏の島であることにあらためて安堵し、日々の暮らしと人生を整えていくのだ。
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