note月評用4

建築の関わり方について─『新建築』2017年12月号月評

*連担当月評は,毎回新建築青山ハウスで公開収録を行っています.興味のある人はイベントページを確認して是非ご参加ください!(第4回は3月17日14:00〜です!)


連勇太朗

能作文徳


都市生活者と地方生活者の価値観の乖離

  今月は,論考,前半部,後半の福祉特集という3つの構成でしたが,軸になるような視点は見つけにくいラインアップでした.

建築論壇:世界の縮図を記述するでは,一般的な設計製図教育とは異なる建築の学び方が示されています.日本の建築教育は設計をスキルとして教える傾向があるのに対して,ここではアウトプットがフォリーやコラージュなど,科学的ではない読み取りがつくり手側にも解釈する側にも求められる探求の構造がありますね.

能作  たとえば最近のトランプ現象が起きる要因 として,都市生活者と地方生活者の価値観がかけ離れてきていることが挙げられると思います.このワークショップの意義は,都市生活者が田舎の生活を経験し,都市にはない資源から学び,今までの自分が置かれた環境や暮らしを振り返り,生きる力を取り戻すということなのではないか.そういう意味では,交換留学に近いように思います.論考の最後に,インテリアアーバニズムという概念が示されていますが,もう一度都市にその知恵を還元していくという循環構造があります.

  多くの大学研究室による地方のワークショップは,空き家の活用や祭への参加を通して,地域そのものを盛り上げることに主眼が置かれがちですが,一方でそうした参加の仕組みでは建築への想像力が偏ってしまいます.地域活性としての問題発見解決ではなく,新たな身体性の獲得のために地域との関係がある.こういう教育のあり方がアーカイブとして蓄積していくことでどのようにして次世代の建築・ものづくりが生まれるのか興味がありますが,残念ながらその点に関しては触れられていませんでした.そういう意味で,今月は「ものづくり」という視点から興味深い作品がいくつかありましたね.


「ものづくり」としての建築

能作  ガンツウは,船に見えないことに驚きました.

40〜41頁の写真を見ると,桟橋が海に張り出したレストランを建てたのかと錯覚してしまいました.通常の豪華客船だと,「船」がホテルという「建築」になる,というプロセスで考えられています.なのでそこでは「船」を経験することになります.しかし堀部安嗣さんは「建築」はどうやったら「船」になれるかという発想でつくったように見えます.建築と船の関係が反転している.さらにそのことによって縁側や切妻などの要素から堀部さんが思い描く建築像が浮かび上がっているように感じました.

  建築は細かなエレメントの組み合わせで構築していくものですが,一体的につくっていくという造船技術の持つまったく異なる論理でものづくりを達成しており,一方で,住宅の延長としての空間性を感じられ,興味を持ちました.もののつくり方で言えば,小田原文化財団 江之浦測候所において,冬至のコールテン鋼の筒を設置するための測量に5年かかったというエピソードに刺激を受けました.

これ自体はアートの側面が強いですが,こういう時間のスパンでものがつくられるということ自体に,現代においてある種の批評性があると思います.とはいえ,ある意味での数寄屋的だとも思いますが.

能作  太陽の軌道や巨石を取り入れていますね.時空を超えた凄みがあります.同時に待庵やローマの劇場などのさまざまな写しがあります.これらは歴史的に優れているとみなされた人工物です.そのことで石やコールテン鋼というマテリアルも,物質それ自体に着目するというよりは,人間が物質界に与えた価値の序列の方にフォーカスされているように感じます.人間にとって価値の高い物質や人工物を収集してきたという感じです.


メタファーとしての「野生」

  なるほど.今回能作さんは,いくつか実際に訪れたのですよね? Tree-ness Houseはいかがでしたか?

能作  北側に接道しているので,植物よりむしろコンクリートの印象が強かった.とはいえ,下から見上げるとコンクリートとコンクリートの間に雑草みたいな感じで緑が見え,そこに「野生」を感じました.

  立面で見るとよく分かります.写真のように緑が生い茂っているというよりは,ボリュームが上にいくほどポーラス状になっていく構成です.

能作  窓と緑と土が,光や水や眺めを求めて競合しているようです.緑を育てるには土が必要.土の重みを支えるために出窓みたいになっている.窓が光や空の方向を向くようにへし曲がっている.コンクリートという物質の持つ可塑性を媒介することで,その競合が形になっている.たとえば雨や汚れに関しても面白い捉え方をしています.パラペットがないのですが,どうやって雨を落としているのかと探したら,オープン竪樋がありました.ここから雨や汚れが落ちていて,雨の流れ方や汚れ方も野蛮に扱われています.数年経つとより野蛮な凄みが出ているかもしれません.

  ある種のメタファーとして「野生」という言葉を使っていると思うのですが,都市環境の中にそのように「野生」が置かれることの意味を考えるとなかなか評価するフレームワークが見つかりません.


ものと人の関わりをどう考えるか

後半の福祉特集はこうした作品群とは違った質感やものとの対話が感じられましたね.

能作  マギーズ東京を訪問したのですが,優しい雰囲気を感じました.ここで行われている相談看護は,がん患者に寄り添い対話することです.

もし自分ががんになり,余命が少ししかないと想像すると,このような対話の場所がとても大事なのだと感じました.私が通されたのはソファのスペースで,普通対話は向かい合ってするけれど,話してくれた女性の方は横に座って話しかけてくれました.同じ方向を向いて寄り添う姿勢です.また置いてある家具についても話が及び,

「IKEAのような簡易な家具だと自分が大切にされていないと思ってしまうかもしれない.長持ちする家具だと自分が大事だと思える」

とのことでした.ものによって自分の存在が許されている感覚です.そういう感覚が建築にも広がっていったらいいなと思いました.

  とてもよく分かります.一方で,そういう感受性に紐づいた建築の言説はどうしても素朴論になってしまいがちですよね.

能作  素朴なところを忘れてはいけません.人が大事だし,建築はものと人の関わりをつくる仕事です.概念だけでは建築はつくれないし,建築至上主義では人は置き去りになってしまいます.日本財団DIVERSITY IN THE ARTS企画展  ミュージアム・オブ・トゥギャザーも存在が許されるという感覚を受けました.

段ボールが展示壁面に使われていて,触ってもいいよ,近づいてもいいよ,と壁の方から声をかけられているように感じます.安価なラワン合板の手摺りも丸面をとって手触りよく仕上げている.視覚的というより触覚的な展示になっています.

  これは展示だけでなく,社会のバリアを発見し可視化する方法としても発展性があります.都市の見えないバリアは普段気付きませんが,それを可視化することで「面白い!」と思わせるユーモアが大切だと思いました.

能作さんはアクター・ネットワーク理論を建築に応用しようとされているからでしょうか,モノに対する感受性がとても強い方だと感じました.そうした感性が人間中心主義でもなく建築至上主義でもない新しい創作を可能にするのだと思います.そのためには,学びの仕組みとものづくりの方法を更新し続けること,そして関係者との持続的な対話が不可欠なのかもしれません.そんなことを考えさせられた1月号でした.

(2017年12月12日,青山ハウスにて 文責:『新建築』編集部)



「月評」は前号の掲載プロジェクト・論文(時には編集のあり方)をさまざまな評者がさまざまな視点から批評するという『新建築』の名物企画です.「月評出張版」では,本誌と少し記事の表現の仕方を変えたり,読者の意見を受け取ることでより多くの人に月評が届くことができれば良いなと考えております!


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