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「規制緩和」と「地方分権」のせめぎ合い─『新建築』2018年2月号月評

「月評」は『新建築』の掲載プロジェクト・論文(時には編集のあり方)をさまざまな評者がさまざまな視点から批評する名物企画です.「月評出張版」では,本誌記事をnoteをご覧の皆様にお届けします!


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評者:饗庭伸
目次
●「制度」について
●「規制緩和」と「地方分権」のせめぎ合い
●大学における学生寮のあり方
●民間企業がつくる学生寮の可能性
●事業の収益性の中で有名性を持てるデザインを成立させる
●魔法を持続させるには
●制度の再編成・発生


「制度」について

前評に引き続き「法」と「制度」という言葉を使いながら考えていきたいと思います.

北山恒の巻頭論壇大月敏雄の特集記事は,集合住宅特集の全体を方向付ける論考でした.北山は「新しい時代の建築類型」として「家族という形式を超えた新しい人間集合を支える空間」を示し,大月はその類型を「深謀遠慮」のさまざまなパターンとして描きなおしています.評者なりに言い換えると,北山は「超家族」の「制度」が必要とした空間を例示し,大月は限界集落を抱えた自治体,高齢者住宅のデベロッパー,大学,新建築社,神社,分譲マンションの管理組合という各種の「制度」が必要とした空間を示しています.

評者の月評では,こうした制度をどう読み切ったのか,さまざまな制度の組み合わせがいかに巧みになされているのか,そしてその制度がどのように持続する可能性を秘めているのかということを第一の視点としたいと思います.


「規制緩和」と「地方分権」のせめぎ合い

加えてもうひとつの視点も持っておきます.

2000年頃に都市計画の世界で「規制緩和」と「地方分権」が起きました.このふたつは成熟した都市社会を抱えている日本において,それまでの成長期の都市空間を規定していた「法」の役割を縮小し,「制度」の役割を拡大する変化でした.

規制緩和はデベロッパーをはじめとするさまざまな民間の主体が内部に成長させてきた「制度」に都市計画を委ねるということ,

地方分権は地域社会のさまざまなアクターや地方自治体が成長させてきた独自の「制度」に都市計画の権力を委ねるということです.

前者の制度は会社経営のように,限定された利害関係者の中で持続的にヒト・モノ・カネが循環する制度を組み立てます.後者の制度はミクロな政府のようなもので,誰かが他者をきめ細かく律する制度を組み立てます.

このふたつは本質的に異なります.北山と大月が例示した制度の多くは,規制緩和によって自由を得た民間の主体の制度であり,都市空間はこれらばらばらの小さな制度によってパッチワーク的に支えられるように変化してきています.かたや地方分権によって権力を得た制度はやや旗色が悪く,民間の主体による制度の「使い走り」くらいの役割くらいしかないこともありますが,このふたつのせめぎ合いを第2の視点としたいと思います.


大学における学生寮のあり方

まずは大学という制度を使った4作品(東京工業大学緑が丘ハウス+大岡山ハウス,首都大学東京によるシェアプレイス調布多摩川+グローバルハウス調布,桜美林ガーデンヒルズ)です.

東京工業大学緑が丘ハウス

大岡山ハウス

シェアプレイス調布多摩川+グローバルハウス調布

桜美林ガーデンヒルズ

4作品のいずれもが,ダイアグラム化すると共用部に均質な個室群が連結されているという点でほぼ同じようなものであり,3作品はリノベーションという制約があったとはいえ,空間構成としては物足りなく思いました.

大学という制度の読み込みも,他の制度との組み合わせも十分ではなく,ビジネスモデル的な制度だけを手がかりに建築をつくってしまったのではないでしょうか.全国,全世界から集まる学生たちに内在するはずの豊穣な制度が読み取られた気配もなく,大学が持っているカリキュラムや研究室といった制度が読み取られたのかも分かりませんでした.さらには世界の学生寮に対してどういう強みを持っているのかも不明です.ただ,今時の学生は忙しく,学習する場所もめまぐるしく動きますから,学生寮なんて止まり木にすぎないと考えることもできます.これらの作品のあっさりした平面は,建築の役割を冷静に見きわめた結果なのかもしれません.


民間企業がつくる学生寮の可能性

新建築社 北大路ハウスも学生寮として語られるものなのかもしれませんが,これは大学という制度ではなく,豊富なコンテンツを持つ民間企業の制度を使ったものと読むべきでしょう.個室がギリギリまで狭く,ここで暮らす学生は寝ても覚めてもコモンスペースで『新建築』に囲まれ,そのことは何かに突破した学生を育てることになると思います.この作品は民間の一企業の特異な制度を使って空間をつくることの可能性を拓いたもので,あらゆる出版社,コンテンツ産業,メーカーが同じようなことに挑戦すれば面白くなるのではないかと思いました.


事業の収益性の中で有名性を持てるデザインを成立させる

学生寮は単身者の集合住宅と似ていますが,学生は大学という制度を通じて社会化されているという意味で単身者ではありません.しかし学生ではない単身者は捉えどころのない砂粒のようなもので,彼ら向けの集合住宅(ときわ台のアパートメント,荘–kazari)は,空間を規定する固有の制度がなく,賃貸住宅市場という漠然とした制度の中で有名性を持てるデザインをせざるを得なかったと思います.

ときわ台のアパートメント

荘–kazari

つまり,建築家のデザインと,それをジャッジする事業の収益性だけがこれらの作品を規定しているのですが,いずれも,路地,階段,室内の段差といった建物内部だけで有名性をつくり出していることが興味深かったです.

段差に腰掛けて友達とパーティーしている私がインスタ映えする,だから借り手が付く,ということなのでしょうか.ただ,内観のデザインに比して,外観は個室の集合が表出しただけにとどまっています.商業施設のように,もう少し立面のデザインにこだわり,そこにインスタ映えする風景をデザインしてはどうかと思いました.


魔法を持続させるには

単身者向けの住宅は,その成立時に制度の関与が弱く,入居者がそこで制度を育てることもあまりないので,建築家がかけた魔法がとけてしまったらあっさり壊されてしまうことがあります.五本木の集合住宅JURAKU ROは,入居者を半強制的に制度に巻き込み,このことに抵抗したものであり,そこで何が起きてくるのかが楽しみです.

五本木の集合住宅

JURAKU RO

ただ,SOHOもDIYも,設計したり,家具をつくったりするだけでは文脈を限定してしまうので,もう少し外部の住宅地への構え,つまりここで生み出された制度によって他者を律する,他者へと介入していく仕掛けがあると面白いと思いました.人の家の外構を勝手にDIYしちゃうとか,雨水を勝手にもらってしまうとかです.



制度の再編成・発生

規制緩和と地方分権のせめぎ合い,という意味において,京都のJ.GRAN THE HONOR下鴨糺の杜は考えさせられました.

記事には出てきませんが,少し前に報道されていた,周辺の人たちが世界遺産の緑を守ってほしい,と訴えていた案件で,まさに規制緩和と地方分権のせめぎ合いが起きていました.

神社は複雑な固有性が強い制度を持っており,その制度を再編成することで,このせめぎ合いがどう解決できたのか(できていないのか),集合住宅という解き方が正解だったのかを見極めたく思いました.世界遺産の森にフィットするようつくり出された空間は見事で,建築として考えられるだけのことはできたと思いましたし,入居者が氏子的な存在になれる仕組みには可能性を感じました.これらが規制緩和と地方分権のせめぎ合いの中で生み出されたということであれば,せめぎ合いに意味があったと思います.


左近山みんなのにわは集合住宅のそのものの作品ではないのですが,団地が持つ風景の独特の一体感=オープンスペースと住棟の関係を手掛かりとして,広場で生まれた制度が住棟の風景にどう波及していくのか期待したくなりました.隣に掲載されていた目黒駅前地区第一種市街地再開発事業と比べると,左近山団地が62棟1,300戸の住宅地であったのに対し,目黒は2棟940戸の住宅地で,住宅地の規模としては遜色ありません.

どちらも短期間で均質な人たちが大量に流れ込むことからスタートした住宅地です.目黒にも左近山のようなことが起きるという仮定に立つと,「森の広場」にも十分に面白い制度が育つ可能性がありますし,左近山のように外部の専門家が介入することによって,より早く制度を発生させることができるかもしれません.ただ,超高層の住宅地で人びとがどのように制度を発生させるのか,よく分かっていないことも多いので,どう変奏するかがこれからの課題なのでしょう.





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