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再録「建築家は何を想い,何を未来へ託そうとしたのか─藤森照信氏が語る『丹下健三』の記憶」

2002年に,新建築社より限定2,500部で刊行し,長らく品切れとなっていた『丹下健三』(著:丹下健三,藤森照信)をこの度,デジタル版として2017年9月4日より配信を開始しました.
デジタル版配信にあたり,著者である藤森照信氏に当時のエピソードを伺い,Facebookで公開していたものを転載します.
2020年のオリンピック・パラリンピック東京大会を控え,2020年とその後の社会についてさまざまな議論が交わされています.こうした中,改めて前回(1964年)の東京大会を振り返り,その時,建築家は何を想い,何を未来へ託そうとしたのか,多くの施設を手がけた丹下氏の言葉と設計を通して,その思想の一端を知ることができるのではないでしょうか.(編)


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丹下はインタビューを嫌がる方で,「昔話より今の話を聞きなさい」とよく言っていました

──まずは,この書籍をつくるに至った経緯を教えてもらえますか?

この書籍が2002年に出版されるまで,丹下はモノグラフはおろか展覧会でさえ一度も開催したことがありませんでした.

にわかに信じがたいのですが,自分の事歴を振り返ったり記録することにまるで関心を持たなかったのです.インタビューでも同様で,これまでの作品について質問しても「君はなぜ過去に興味を持つのか」といって,結局,今取り組んでいる設計やこれからの都市像などの話をされていました.すべての関心が常に未来へ向いている,そんな方でした.

「改めて振り返ると、私たちは、たまたま見た作品と読んだ文と伝え聞いた話のほか、丹下についてちゃんとしたことは何も知らないのである。」
『丹下健三』序文より

当然,評伝をつくりたいと提案したところで興味を持ってもらえるわけもなく実現しないだろうと思っていたのですが,ある日突然,丹下から電話があり,中学生向けの評伝ならばつくりたいとおっしゃったのです.しかし私としては,まずは大人向けの評伝をつくり,一般の理解を深めた後に子ども向けをつくった方が,きちんと伝わるのではないかと思い提案したところ,丹下も快く受け入れてくれてました.

出版社についても丹下は慎重でした.
実は戦後のジャーナリズムにおいて丹下は批判的に扱われてきたのです.『新建築』は当時から丹下の建物をきちんと紹介していたこともあり,新建築社から出版することに決まりました.こうして「世界のTANGE」となるまでを,出自から丁寧に紡いでいくまたとない機会を得ることになりました.


コルビュジエが夢見た「ソヴィエト・パレス」を丹下が引き継いで実現しているんです

──2020年には,1964年以来の東京オリンピックが開催されます.丹下が語ったオリンピック関連のエピソードで印象深いものがあれば教えてください.

丹下が生涯で倒れるほど集中して取り組んだプロジェクトがふたつあると聞きました.ひとつは「香川県庁舎」で,そしてもうひとつが1964年のオリンピックの関連プロジェクトであった「国立屋内総合競技場(東京オリンピックプール)」です.
「広島ピースセンター」はどうなのかと思われるかもしれませんが,どうやら予算確保に時間がかかったために、その間に設計する期間が十分取れたようです(笑).
「国立屋内総合競技場(東京オリンピックプール)」について,私はこれを超える建物はもう現れないだろうと思っています.鉄とガラス,コンクリートという近代建築を構成する素材を最大限に活かしたダイナミックな造形は,コルビュジエの作品以降,世界を代表する名建築と言えるのではないでしょうか.

また,丹下はコルビュジエの夢を引き継いだ建築家でもあります.

丹下は子どもの頃からアートに強い関心をもっていましたが,高校生の頃は映画監督になろうと考えていたそうです.しかし,コルビュジエによる未完の建築「ソヴィエト・パレス」を学校の図書館にあったフランスの雑誌で目にし,その迫力に圧倒されたと回想しています.これが契機となり,その後は建築家を目指すようになったのです.
コルビュジエに薫陶を受けた建築家は世界に数多くいますが,「ソヴィエト・パレス」の構成や設計思想を自身の建築にも取り込んだのは丹下とエーロ・サーリネンのふたりだけだったと私は見ています.そして,その挑戦がもっとも建築的に表現されたのが「国立屋内総合競技場(東京オリンピックプール)」でした.

オリンピックという社会的な責任のほかに,丹下個人としても思い入れの深い作品だったからこそ,倒れるまで集中して設計に取り組んだのではないかと思います.


本に関わってくれる人全員が協力してくれる絶妙な時期に本をつくれたと思います

──本をつくっていく中で印象深かったエピソードがあれば教えてください.

主に私がインタビューやヒアリングをもとに原稿を書いたのですが,内容に関する丹下の修正は3カ所のみでした.500頁を越える内容にも関わらず,です.しかも修正箇所は事実確認のみで,私の表現を尊重してくださった.こうした考え方に,丹下のクリエイティビティに対する姿勢が如実に表れていると思います.
さらに,丹下は1枚1枚の写真選択やトリミング,そして文章の段組み,フォント,誌面レイアウトの細部に至るまで,まったく妥協せず,何度もやり直しを求めました.出版までに7年も掛かった理由はここにあります.
丹下のグラフィックへのこだわりは図面表現からもうかがえますが,その徹底した姿勢に丹下の神髄を垣間見たように感じました.

丹下が晩期に差し掛かっていたこの時期でなければ『丹下健三』は出版できなかったと思います.それくらい成熟期における丹下の表現へのこだわりはすさまじかった.年齢的に人生を振り返る余裕が持てたタイミングで,かつ関係者がまだご存命で直接話を聞くことができた,まさに絶妙な時期だったのです.さらに谷口吉生といったインタビューを引き受けない方々も『丹下健三』であればと協力してくれた(笑).当時既に著名であったカメラマンの石元泰博も同様に丹下であればと写真版権を無償で提供してくれた.

「しかし、それまでコツコツ続けてきた資料集めと、丹下側の家捜し的調査にもかかわらず、丹下の全体像を明らかにするには足りないので、『新建築』誌上に「丹下健三とその時代」と題する関係者へのインタビューを連載することになり、高山英華、清家清、石元泰博、大谷幸夫、川添登、神谷宏治、槇文彦、菊竹清訓、磯崎新、渡辺定夫、川口衞、黒川紀章に貴重な話を伺うことができた(1998年1月号から1999年11月号まで)。
『新建築』誌上には出さなかったけれど、谷口吉生にも聞いている。もしこれに浜口隆一と浅田孝のふたりを加えれば完壁な顔ぶれとなるが、すでに幽明境を異にしているのだから仕方がない。浜口と浅田と西山夘三、今泉善ーには、生前、別の機会にインタビューしたのが、このたび生きることとなる。こうした関係者の肉声なしにこの評伝は成り立たなかったし、たとえ成り立ってもずいぶん痩せたものにしかならなかったろう。」
『丹下健三』序文より

いくつかの運が味方してくれたこと,そして何よりも関係者の丹下に対する敬意が出版を後押ししてくれました.結局,この書籍が丹下自身の手による唯一のモノグラフとなりました.
(2017年9月4日収録)


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『丹下健三』

20世紀の建築をリードした丹下健三
近代建築史に精通した藤森照信
ふたりが21世紀を拓く人たちに贈る新建築社の書籍
書誌情報(発売当時)
2002年発売
定価: ¥30,780(本体¥28,500)
278mm x 278mm


目次


第1章 生い立ち
生い立ち
日本のモダニズム
社会政策派
マルクス主義の流れ

第2章 学生時代
マルクス主義への傾斜と離脱
卒業設計

第3章 修行時代──前川事務所にて
MICHELANGELO頌
ハイデガーと出会う
岸記念体育会館

第4章 戦時下のデビュー
伝統の問題
大東亜コンペ
国民建築様式

第5章 戦争の果て
在盤谷コンペ
戦争とモダニズム

第6章 焼け野原にて
NAUの時代
戦後復興都市計画

第7章 広島ピースセンター
広島平和記念カトリック聖堂コンペに始まる
広島ピースセンターコンペ
第8回CIAM大会で発表
[作品]
広島平和記念カトリック聖堂 1948
広島ピースセンター 1952-1955

第8章 柱梁の系譜
香川県庁舎にきわまるもの
伝統論争
[作品]
展覧会と舞台の構成 1947-1958
住居 1953
東京都庁舎 1957
清水市庁舎 1954
津田塾大学図書館 1954
倉吉市庁舎 1957
香川県庁舎 1958

第9章 シェルの系譜
[作品]

広島子供の家 1953
愛媛県民館 1953
図書印刷原町工場 1955
駿府会館 1957

第10章 壁との格闘
[作品]

旧草月会館 1958
墨会館 1957
今治市庁舎・公会堂 1958
電通大阪支社 1960
熱海ガーデンホテル 1961
倉敷市庁舎 1960

第11章 彫刻的表現
[作品]

WHO(世界保健機構)本部計画 1960
日南市文化センター 1962
戸塚カントリークラブ・クラブハウス 1961
香川県立体育館 1964
東京カテドラル聖マリア大聖堂 1964
戦没学徒記念館 1966

第12章 東京オリンピックプール
東京オリンピック
ソヴィエト・パレスから東京オリンピックプールへ
[作品]
国立屋内総合競技場 1964

第13章 東京計画1960
加納構想に始まる
CIAMの最後とメタボリズム
東京計画1960
[作品]
25,000人のためのコミュニティ計画 1960
東京計画1960──その構造改革の提案 1960
東京計画1986 1986

第14章 都市と海外への転身
都市デザインへの転身と大阪万博
日本から海外の建築へ
海外での都市デザイン
[作品]
築地再開発計画 1964
山梨文化会館 1966
スコピエ都心部再建計画 1965-
静岡新聞・静岡放送東京支社 1967
日本万国博覧会会場・基幹施設計画 1970
ミネアポリス・アート・コンプレックス 1976
ボローニャ・フィエラ地区センター 1987-
サウジアラビア王国国家宮殿 1982
キング・ファイサル財団コンプレックス 1984
シンガポールのオフィスビル群
グラン・テクラン(パリ・イタリア広場) 1992
ナポリ市新都心計画 1995
ナンヤン工科大学 1986
セーヌ左岸都市計画 1990-1993
サイゴン・サウス・プロジェクト 1993-1996

第15章 新都庁舎コンペ──帰ってきた丹下
新都庁コンペ
21世紀の初頭に
[作品]
草月会館 1977
赤坂プリンスホテル新館 1982
横浜美術館 1989
東京都新庁舎 1991
愛媛県県民文化会館 1985
シンガポール・インドア・スタジアム 1989
新宿パークタワー 1994
ニース国立東洋美術館 1998
東京ドームホテル 2000
フジテレビ本社ビル 1996
BMWイタリア本社ビル 1998

作品年譜
作品分布地図
丹下健三経歴
主な著書 主な論文・評論
歴代協力者および所員 現スタッフ

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