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ASIMOは「あえて転びにいく」─『新建築』2018年2月号月評

「月評」は『新建築』の掲載プロジェクト・論文(時には編集のあり方)をさまざまな評者がさまざまな視点から批評する名物企画です.「月評出張版」では,本誌記事をnoteをご覧の皆様にお届けします!


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評者:中山英之(建築家)
●「あえて転びにいく」プロセス
●「建てる前の情報量が増え続ける歴史」
●明確すぎる解答を示さ「ない」
●時代は加速し続けている


「あえて転びにいく」プロセス

ここ最近SNS上で,ジャンプや宙返りをこなす人型ロボットの動画が盛んにシェアされているのを目にします.

なぜ唐突にこんな話を始めるのかというと,二足歩行ロボットが駆け足で走ることができるようになった頃に何かで読んだ,姿勢制御の概念の転換にまつわる記事を今,思い出しているからです.

全然理由の説明になっていませんが,もう少し続けます.ASIMO(本田技研)についてのその記事には確か,一歩一歩,あらゆる動作中にも重心を逃さないセンサーとサーボの不断の協調を追及していたそれまでの試行錯誤に,「あえて転びにいく」プロセスを持ち込むことでブレイクスルーがもたらされた,といったようなことが書かれていました.倒れそうになった時,その一瞬の無制御状態をセンシングし,転倒に向かうベクトルを打ち消すための最適な一歩を割り出す.

つまり「走る」ということを,「転ぶ」こととそこからのリカバリー動作の不断の連続であると定義し直したとき,センサーとサーボのフィードバックプロセスの多くがごっそりそぎ落とされ,ダイエットに成功したロボットはすたすたと走り始めた,というわけです.


「建てる前の情報量が増え続ける歴史」

さて,巻頭のEXHIBITIONコーナーに紹介されているPAFF(Projectile Acoustic Fibre Forest)は,もうこれは作品ページを割くべきと思わせるプロジェクトです.

ヘッドホン越しに伝えられる,構造体の不安定モーメントを打ち消すベクトルを示唆する大雑把な指令(音楽!)に基づいて,ヤシ繊維を装てんしたバズーカが発射される.ユルい指示へのユルい対処は局面に新たな不安定状態をもたらし,ヘッドホンに新たなベクトルが鳴り響いて,以下その繰り返し…….

この冗談のような構造体のスタディは言うなれば,建築に「あえて転びに行く」プロセスを持ち込もうとするものです.建設にと書かなかったのは,おそらくはこのスタディの射程が,建築をつくるプロセスを超えて,使われている状態を含んだ,もっと言うと,計画,建設,供用,といった建築にまつわる暗黙のフェーズ分割そのものへの問い直しが意図されたものであるように感じられるからです.

人が動く,物が動く,環境が動く,情報が動く.静止して立っているかのように見える建築はその実,不断の入力を受け続ける存在です.そうした入力が過大に振れたとき,建築は一気に転ぶ.それはインフラの陳腐化かもしれないし,大災害かもしれない.あるいは破産や,家族形態の変化みたいなものかもしれません.だから設計では「転ばないこと」が目指される.PAFFの解説文中ではこのことがやや批判的に,「建てる前の情報量が増え続ける歴史」と表現されています.


明確すぎる解答を示さ「ない」

そんなことを考えながら,2月号の白眉,北山恒さんの建築論壇:再び集合へとそこに添えるように紹介されている超混在都市単位のページをめくります.

住戸間間仕切りの「ない」バルコニー,使い切られ「ない」容積率,水回りの「ない」部屋,ロビーを介さ「ない」歩道直結のエレベーター.

実は周到なアリバイに基づくそれらの選択を指して「転びにいっている」としてしまうのは的確ではないかもしれません.けれども設計を,「建てる前の情報量」に明確すぎる解答を示さ「ない」方向へ振ることで,むしろこの建築はさまざまな局面に転ばぬ一歩を踏み出すことができる.

そんなふうに考えてみると,超混在都市単位PAFFにまつまる思考が,なぜだか重なっているように感じられてきます.この先この建築も他の例にもれず,転倒に繋がる入力を受け続けるのでしょう.けれども,いかにもありそうなものがそこに「ない」この不思議な欠落感は,あらゆるフィードバック機構を実装したロボットが無様に転倒するさまを脇目に,すたすたと駆け出し始めたASIMOのように,小さな転倒と子気味のよいリカバリーを繰り返しながら,走り始めようとしているように感じさせます.


その北山さんの文中に,こんな記述がありました.

「資本主義社会における商品としての建築は,おそらく近い将来,すべてAIが設計を行うようになる」.

今回はこの原稿を巻頭のちいさな記事から始めてしまいました(僕が雑誌のこういう伏流が好きというのもあります)が,2月号ではそこに,新建築住宅設計競技の課題発表が続きます.

タイトルは「AIの家」

当然ながらコンペは応募者による提案が競われるものですが,このコンペだけは特別.

単独審査員を務める建築家には,その課題文にステイトメントや今日性が期待されているからです.重松象平さんによる今年の課題文も,それそのものが既に創造的でわくわくさせられます.もちろん,ここでその内容に分け入って論じてしまうわけにはいきませんが,課題文の結びで,このコンペが建築家以外にも開かれていることが強調されていることはとても暗示的です.


時代は加速し続けている

ASIMO世代のロボットに自己学習機能を重ねることで,ご存知のように彼らは宙返りをこなすまでになり,実験室から飛び出して街や野山へと活動の領域を広げ始めています.

自動運転車が走り,すでにニュース原稿の一部はAIによって書かれていると聞きます.ロボット単体の能力から,そうした技術が浸透した社会や私たちのあり方に議論が広がる中で,個々の条件とそこへの回答であることに留まらない建築設計の新しいあり方を模索する動きもまた,加速しつつあります.

アメリカでリノベーションによるコワーキングスペースを運営するある企業は,自社の先行事例から収集された設えと利用者のふるまいの関係をデータベース化し,既存建物の3次元計測システムとBIMを組み合わせたプログラムと連動させた独自のシステムによる,半自動設計を実用化させています.


奇しくも表紙の新建築社 北大路ハウスについて書かれた平田晃久さんによる解説文の中でも,プロジェクトが設計の主体やそのフェーズ分割への問い直しを強く意識したものであることが述べられています.あるいは北山さんやアトリエ・ワンによる「ヴォイドメタボリズム」的都市観は,生成変化し続ける粒状の建築が総体として志向する様相として,都市と建築の関係に再定義を試みようとするものです.

今月は個々の作品について言及する糸口を見つけ出すことがうまくできませんでしたが(作品の側ではなく評者の側の問題です),2月号の深層にあるいくつかの潜流の徴はいずれ,誌面やこの場所での議論の大きな潮流となることは間違いないのでしょう.表紙やPAFFの写真に写る学生たちこそがその流れの担い手であることもまた,間違いないことなのだと思います.


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