プロジェクトを通して社会・世界を考える重要性─『新建築』2018年7月号月評

「月評」は『新建築』の掲載プロジェクト・論文(時には編集のあり方)をさまざまな評者がさまざまな視点から批評する名物企画です.「月評出張版」では,本誌記事をnoteをご覧の皆様にお届けします!(本記事の写真は特記なき場合は「新建築社写真部」によるものです)


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評者:中山英之(建築家)
目次
●それが人のための街と言えるのか
●海そのものがつくり直されうる世界で
●あらゆるものに「固有」が与えられる世界


この原稿にとりかかるちょうど今,流れてくるニュースはロシアでのワールドカップサッカー,オウム真理教事件死刑囚7人への刑の執行,西日本豪雨,水道事業の民営化など大きなものばかり.

ワールドカップサッカーに限らず,国際的なスポーツイベントと開催都市の建築事業にまつわる諸問題は,都市のモビリティとセキュリティに関する議論も含め,強い関心が持たれているテーマであるように思うのですが,これで8回目となる月評を通して,そうした問題に迫る批評や話題に触れる機会は残念ながらまだありません.

世界中の都市で,暗渠河川の開渠化事業やダムの解体を伴う流域生態系の復活事業などがトレンドと言ってよいほどの注目を集めている一方で,治水や土木にまつわる都市と自然と人間の環境を考えるような広視野の論説も,3月号巻末の「パブリックな水辺のつくり方」に少し触れられてはいるものの,特筆すべきものは見られません.

たとえば10年後にリニアモーターカーの新駅ができた時,建築誌の役割が単に駅デザインの紹介に留まるのなら,建築は社会の中で,単にその末端に姿形を与えるのみの存在であることを宣言するようなもの.だから雑誌には,批評や時評の寡少などあってはならないと強く思います.月評の場で触れるなら,小さくともそうした批評に届く何かを選びたい.毎月そんなふうに考えながら誌面の隅々まで目を通しています.

だからというか,そんな気持ちで読む今月号は,僕にとって考え込んでしまうような内容でした.どのプロジェクトも,それぞれの設計者が積み上げてきた実績や経験が遺憾なく投じられた洗練されたものですが,それがいったい誰の何に向けられたものなのか,そこのところが見えてこないのです.


それが人のための街と言えるのか

msb Tamachi 田町ステーションタワーS|
三菱地所設計・日建設計

msb tamachi 田町ステーションタワーSは,設計者なら誰もが憧れる夢のようなプロジェクトです.
東京の主要鉄道路線の駅に直結し,敷地をモノレールの高架がかすめる.ほんの僅かの開削工事で,半ブロック隣まで迫る運河ネットワークにも接続できそうな,まさに江戸/東京のモビリティ・スケープが結節する奇跡的な立地です.計画にはエネルギー企業が参画し,来るべきスマートグリッド社会を見据えた地域コジェネシステムが実装されており,概念図には熱交換のための地下水トンネルまで見られる.そんな立地と座組みに,日本を代表するデベロッパー2社がタッグを組んで向かうのだから,どんなに素晴らしい現代都市が出現するのかと思いきや,誌面にあるのは雛形的なデザイン言語を適宜スケーリングしながらアセンブルした結果こうなりました,としか言いようのない風景.
自然環境と高度連携した設備システムの働きが,都市生活の中に鮮やかに実感されることへのアイデアも,新旧さまざまなモビリティの交差がもたらす都市的なスペクタルも,まるでそうすることが当然であるかのように隠されている.透明なサイクロン掃除機の例を挙げるまでもなく,働きの視覚化や実感は現代デザインの基本中の基本のはずなのに,傘を閉じて歩ける通路で諸機能を繋ぎ,空地に木を植え,そこに書店を併設したカフェを配置すればそれが人のための街と言えるのか.

巻頭,藤森照信さんによる建築論壇:都市の記憶を伝える超高層ビルの中には,同じ2社による丸の内,日本橋におけるそれぞれのオフィスビル開発戦前史が紹介されています.
文章では,建築を大きく政治の系と経済の系に分類し,国家のレガシーや公共空間の理念を謳い上げる「政治の系」としての建築を,「経済の系」としての高層ビル群が高さとスケールで凌駕するに至った,その出自に2社の攻防を据えながら,現代の東京が描写されます.高層ビル群が単に「経済の系」であることを超えて,それが公共性や都市の記念碑性に,「政治の系」を肩代わりしながらいかにして到達することができるのか.論文はそのことを強く問う言葉で締めくくられています.

現実はどうか.
おそらくはそれぞれに異なる思惑を持った多くの人びとが関与し,そこに渦巻く膨大な配慮や斟酌を万事整える術の体系を建築設計と呼ぶのなら,この風景がそれだと僕は思います.本当に夢のような立地とチームが揃ったプロジェクトなのに,その設計をどんな人たちがどんな顔で進めているのか,見えてこないのがもどかしく,なぜか悔しくてたまりません.


海そのものがつくり直されうる世界で

もどかしさで言うなら,10年以上前の自身の造形言語の反復展開に映る伊東豊雄さんの仕事にも,悔しさを感じずにはいられません.
それならばとさらに20年遡り,1989年新建築発表の「消費の海に浸らずして新しい建築はない」と題された文章をもう一度読んでみる.そこには,「経済の系」を泳ぎ切ってみせるんだという建築家の所信が書きつけられていて,今なお強く心動かされます.海を泳ぐとは,それを征服することではない.かといって,海を無限に広くて深い,理解の届かない対象としてしまうわけでもない.
ブロックチェーンなどの新しい技術によるオルタナティブ経済の議論など,私たちにとっての海そのものをつくり直してしまうかもしれない可能性だって,日常的なニュースの合間に見つけることができるのが現代です.


あらゆるものに「固有」が与えられる世界

そんなニュースの中に小さく見つけたのが「what 3 words」なるプロジェクト.地球上のすべての領域を3m四方に区切り,57兆にもなるグリッドのすべてに3つの単語を組み合わせた固有名を与えるサービスです.

2013年,イギリスでローディ(バンドのツアーに帯同する機材係)の仕事をしていた青年が,運搬中に多発する機材の紛失や積み忘れに,そのつど特定の場所の情報をやりとりする際に感じていた不便から思い付いたのがそもそもの発端なのだそう.
ニュースはドイツを代表する自動車メーカーがこのベンチャーに行った大口の出資を伝えるものでした.道や街区に沿うことなく目的地に直行するドローンや,特定のドアや街角のベンチにものを届けるシェアリング・エコノミー型のデリバリーサービスなどを前提とした時,従来の道路と街区によるアドレスの絞り込みでは不足する位置特定に,このサービスは威力を発揮します.そこに目を付けるのが「道路」を走る代表格たる自動車メーカーなのだとしたら,彼らは未来のモビリティやロジスティクスをどんなふうに想像しているのか,興味を惹かれます.あなたの部屋のベッドにも,どこかの砂浜に立てたビーチパラソルにも,固有名が振られる.私たちにとっての居場所やその所有を表す輪郭線が,街区や建築物がつくり出す物理的な輪郭線を離れたところにもうひとつ現れる.その時,建築家は世界を,どんなふうに捉えることができるのでしょうか.

萬代基介さんによるテーブル(Prototyping in Tokyo 会場構成)には,そうした今日的なイシューに接続する回路を見て取ることができるかもしれません.このテーブルでは,そこに置かれるものが周囲にもたらす力学的,視覚的な影響状態への応答が,設計の過程に解析的に回収されています.想定される荷重を卓越した構造体をつくり,結果として卓上の状態の偏在を凌駕するのが従来のテーブル(建築)なら,萬代さんの実践は,スラブ上のあらゆる点に固有の場としてのアドレスを定着する試みであると言えるからです.

僕などが上段から批判めいたことを書き連ねてしまい,これまででいちばん入稿を戸惑う今回ですが,この小さな実践が,巻末ではあるけれど大きく紹介されていることに救いを感じます.



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