note丹下健三

テラーニ,そしてモダニズムによる日本建築の解釈・民主主義が先か,ピロティが先か─「磯崎新氏が述懐する丹下健三」中編

この度、『丹下健三』の再刷が決定しました。
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再刷決定を記念しまして、『丹下健三』執筆のベースとなった『新建築』掲載の藤森照信氏によるインタビューシリーズ「戦後モダニズム建築の軌跡」を再録します。



目次
●テラーニ,そしてモダニズムによる日本建築の解釈
●屋根の取り払われた桂離宮
●民主主義が先か,ピロティが先か
●コアシステムを正当化する
●都市的スケールのピロティ


テラーニ,そしてモダニズムによる日本建築の解釈

磯崎 この間,ジュゼッペ・テラーニの展覧会に併せてシンポジウムがありまして,そのときにもしゃべったことですが,テラーニのEURの国際会議場のコンペの落選案と広島の本館のデザインには共通性が多いように思うんです.
最初に目にしたときから,広島のデザインというのは,どこかで見たことのあるような気がしていたんですが,どうもそれは桂離宮じゃない.それで学生のときだったと思いますが,気になって,図書室で調べたんです.
そうしますと戦時中の『CASABELLA』の中に,EURの国際会議場のコンペの記事があって,その中にテラーニの落選案も掲載されていました.
1等は例のアダルベルト・リベラの,屋根がクロスヴォールトの作品ですが,テラーニの落選案というのは,柱が均等に配列されているのではなく,ペアの柱が並んでいるんですよ.そしてエレベーションがほとんどフレームだけでできている.部分的にはガラスもないフレームだけの回廊になっている.僕は広島ピースセンターの本館というのはあれじゃないかと思っているんです.プロポーションというより,あのフレームの表現が,木造からきているわけないと僕は思っていた.そうかといって,ペレでもない.そうするとテラーニのこの作品なのではないか,戦時中に『CASABELLA』もきていたわけですし,あながち間違いではないのではないかと思った記憶があります.

─大学院のときに?

磯崎 図書館に頻繁に出入りしていた時期ということですから,卒論をやっている頃でしょうね.だけど,それはあまりにも突拍子もない関係だから,確証も何にもなくて,ただフレームによる構成の類似ということだけが,遠い記憶のように自分の中に残っているのです.

それと桂離宮の問題に関していえば,1951年だったでしょうか.石元泰博さんが桂離宮の写真集を出しています.吉村順三さんが石元さんを桂に連れていって,モンドリアンそのものといった風情の桂のモノクロ写真を撮って写真集を発表した.
イサム・ノグチさんとの関係もあったと思いますが,この頃から,石元さんの写真集に象徴されるようなアメリカのモダニストの目で日本の伝統を解釈するというようなことが始まったように思うのです.吉村さんの書院造りをニューヨークの近代美術館でやるなどということも,仕掛けたのはアーサー・ドレクスラーですが,おそらく,いわゆる近代建築のコンセプトと日本の伝統建築とをつなごうということに端を発したものだと考えていいと思うんです.石元さんはもっとストレートに表現して,それが桂という作品集になったという感じがしますね.
だから丹下さんの,桂離宮を美学的に柱梁の構造に還元するという方法は,コルビュジェ経由のモダニズムにはないものだと思うんです.ピロティまではコルビュジェであったとしても,その先はコルビュジェじゃないんです.しかもミースでもない,そうするとそれはなんだろうと思うと,それはアメリカ経由の日本の伝統解釈であり,そこにはテラーニなんかが介在しているんじゃないかと思うんです.


屋根の取り払われた桂離宮

─丹下さんは戦前からその問題,つまりRCの四角な断面の柱梁によって建築を構成するということに取り組み始めているんです.丹下さん自身,戦前の大東亜記念造営計画のコンペに関して,今でもある部分が気に入らない,回廊の部分で柱梁と軒の関係がうまくいっておらず,今でも直したいとおっしゃるんです.
ですから,おそらくこの問題は間違いなく戦前からすでに取り組んでいた.大東亜では乗り越えられなかった壁を,広島のピースセンターでやっと突破することができた.丹下さんにとって,自分の関心と美学とが深く複雑に絡んだ問題なんだと思います.

磯崎 それに関連して思い出したんですが,柱梁という部分に焦点を当てるということは,石元さんの写真に非常にはっきりと見て取ることができるということです.石元さんの写真を見ていただくとすぐわかりますが,不思議に屋根を全部取り払っているんですね.レンズを下げて撮るから,全景に屋根が見えるくらいで,後の写真には屋根が出てこない.このことは,以前,浅田孝さんがいった「何だ広島の本館ていうのは,桂の屋根をとっぱらったもんじゃないか」という発言と奇妙なくらいにつながってくるんです.
屋根を取り払う,陸屋根にするということは,建築を考える上でとても大きな問題だったわけですよ.それはなぜかというと,あの柱梁のプロポーションというのは,屋根の重さ,ヴォリュームを支えていることを前提に成り立っているものだからです.浅田さんとしては,屋根がない建築というのは,頭が吹き飛ばされた人間と同じくらいに思えたのではないでしょうか.
どちらが先かよくわかりませんが,石元さんの写真には屋根が出ないし,建築からも屋根が消えていく.つまり荷重を支えるという感覚が消えてしまうということ,そこに僕の関心はある.軽く,不安定で,しかしそれが故に気取っていて貴族的だという,あの時代の丹下さんの作品に対する印象は,屋根がないせいだと僕は思っているんです.ですから僕は,丹下さんのところに入ってスタディをする中で,さっきいったような荷重,ヴォリューム,あるいはテンションの問題を僕は個人的にものすごく考えましたね.
そして,本館のもってるあのきゃしゃな繊細さというのが頼りなく思われるようになるにつれ,僕の設計する建築は,自然と部材が太くなっていきました.鼻隠しも太くなるし,手摺りもごつくなるし,すべてがだんだん太くなった.丹下さんも最後はクラシックにたどり着き,そういう状態になるんですが,この事件というのは建築のもつ重さのせいじゃないんだろうかという感じもするんですね.


民主主義が先か,ピロティが先か

─香川県庁舎の設計については,どのような段階から関係されたんですか.

磯崎 おそらく一番下っ端でしたが,最初からやりました.

─神谷さんと沖さんのふたりがチーフですね.あの案については,さまざまな変遷があったということをお聞きしているのですが,最初はどんな案だったんですか.

磯崎 僕もあまりはっきりとはしませんが,外務省の案をもとに出発したように思います,マッシブなオフィス棟があって,それに議会棟がかんでいるというようなものでした.

─議会棟との関係はどのようなものだったんでしょうか.

磯崎 最初はかなり曖昧でしたね.オフィス棟の低層部に議会棟はくっついてるわけだけれど,そのくっつき方が中途半端だった記憶がありますね.それが気に入らないということで,ずいぶん検討した記憶があります.最後は,オフィス棟と議会棟を明確に分離して,それで決まりました.

─これで戦後のいわゆる地方自治体の庁舎のビルディングタイプができたんだと思うんです.おそらく丹下さんは,戦後の建築家でビルディングタイプをつくった唯一の人なのではないでしょうか.これの影響は全国各地に見ることができますよね.

磯崎 広島の本館は非常に特殊なものですからマネすることができませんが,香川県庁舎はマネができる.だからもうどんどんリプロダクションされてしまったんでしょうね.

─今見ても戦後民主主義のにおいがそこここに感じられるんですが,ピロティが理想的に使われたことと密接につながっていると思うのです.一般の人が気楽にピロティの下を通って中に入り,自由に新聞を読んだりすることができる.コルビュジェのピロティが巨大な床下化しているのとは対照的だと思います.こんなによく使われているピロティというのは例を見ません.
当時,建築ジャーナリズムにおいて,戦後民主主義の問題に対しては多くの人が文章を寄せています.もちろん丹下さんも書いていて,そこでピロティは明らかに戦後民主主義を意識したものであるということをいっておられます.神谷さんはそれに関して,ある種の説得の技術としてそのことを書いていたように思うとおっしゃられているんですが,その辺はどうですか.丹下さん本人にしかわからないことだとは思うんですが....丹下さんは,どこまで民主主義を建築の問題として考えていたんでしょうか.

磯崎 正当化するためには何でもする,どんなことでもし,どんな理屈でも借用するという,それくらいの意識だったと思うな.ピロティが欲しい,だから戦後民主主義を使うのであって,戦後民主主義のためのピロティなどはなかったと思います.

─研究室の中でもそういう議論はされてなかったということですか.

磯崎 それはなかったね.


コアシステムを正当化する

磯崎 コアシステムの問題と戦後民主主義というのも,非常に密接な関係にあるんですよ.要するになぜコアシステムがよいのかというときにも,窓際にできるだけたくさんの平等な条件の空間,今でいえば均質的な空間をとることができるという理由づけをするわけです.だけど僕はそう思っていなかった.
コアシステムにしないとエレベーションにつまらない壁が出てくる.スカッとしたエレベーションをつくるためには,絶対にコアシステムでないとだめなんです.だからなんとしてもコアシステムを正当化する.そのためには平等という論理もだす.そういう感じがありました.ですからコルビュジェでも,エレベーションの途中に壁が入ったりするわけですが,丹下さんのにはないわけです.コアシステムというのは,それが故にコアシステムというのです.

─「美しいもののみ機能的」という丹下さんの思想ですね.

磯崎 もちろんそれに近い発想だと思いますね.

─それによって丹下さんは,近代建築にテラスをきれいにつけるということに成功するわけですね.

磯崎 しかし,このテラスというのは,けっこうばかにならない面積になるんですよ.

─それはすごいでしょうね.しかも各階にあるわけですから....

磯崎 私はやってみたんですが,キャンティレバーのテラスの出を1cm減らすだけで,面積がぜんぜん違うんですよ.予算オーバーなんていうと,そんなことをしなければ収まらなくなるかと思いましたが,実際にはプロポーションなりモデュールなりが優先されましたから,そこまではしませんでしたけれど....

─普通コアシステムでいうと,超高層の実用性から説明されますが,丹下さんの場合にはアプローチがちょっと違ったんですね.

磯崎 違うと思いますね.でももちろんその前にはロックフェラーセンターのような実際のオフィスビルの寸法を調査して,奥行きを決めて,もっとも効率のよいオフィスというものは何かということも研究していたわけですから,単なる思いつきではありません.だけど言説に見られるような対外的な説明より,もっとそれを上回る次元のことを常に考えていました.


都市的スケールのピロティ

磯崎 僕は丹下さんの当時の仕事を見ていて,一番すごいと思っていることはピロティの寸法なんです.特に高さ.

─相当高いですよね.

磯崎 ちょうどこの頃,前川さんの世田谷区民会館(『新建築』1959年7月号掲載)ができたというので見にいったのですが,これはいけないと,思ったんですね.あれこそ縁の下なんです.ピロティが,1階分しかとっていなくて薄暗い.それに対して丹下さんは2階分とっているんです.つまり丹下さんの作品には,メザニンという概念があるんですね.前川事務所の仕事にはそれがない.ということは要するにピロティという空間が都市的なものではなくて,単なる建築的な部分だと,そういうことなんですね.
丹下さんは,パブリックなものであるなら,それを都市的スケールにしなければいけない,建築的スケールを上回らないといけないと,おそらくそういう信念をもっていたに違いないのです.これはやっぱり丹下さんと前川さんの大きな違いなんではないかと思います.

─このことがおそらく,ビルディングタイプになり得た理由ですよね,高さがあって,うっとうしくなく.

磯崎 うっとうしくない,これは一番大きな理由ですね.

─コルビュジェのピロティもうっとうしいですね.高いけど上にうんと重いものが載っているのがわかる.やはりピロティは,スカーっとしたものではなくては....

磯崎 そうです.丹下さんのつくるピロティにはスケール感があるんです.

─そのことに関しては,丹下さんが自分の口でおっしゃられたことはあるのでしょうか.

磯崎 直接いったかどうかは覚えていませんが,少なくとも,都市的スケールと建築的・人間的スケールという二重構造をパブリックな建築はもつべきだということは何かに書かれていたように思います.

─丹下さんはあまり自慢されない方なんですが,広島ピースセンターに関しては,ひとつだけコルビュジェを越えた部分があるということをおっしゃられています.それは要するに都市と建築の中間的領域を考えたということなんです.コルビュジェの作品には都市的スケールと建築的スケールとをつなぐものがないけれど,ピースセンターにはあると,それだけはちょっと自信があるんですよ,といわれた.

磯崎 なにしろコルビュジェにとって,実現したピロティらしいものはスイス館と,マルセイユのユニテぐらいしかなかったんだから,無理もないという気もしますね.
ピロティの高さの問題に関しては,オスカー・ニーマイヤーもサンパウロの教育文化省のときに同じようにいっています.ニーマイヤーのスケッチを見ますと,ちょっと高いピロティのものと,いくぶん低いもののふたつがあるのですが,低い方には×が記してあります.あれは戦前の建物ですけれど,おそらくそのあたりの情報はあまり日本には入ってこなかったみたいですね.

─そうですね.あまりに現場的で細かいことですからね.

磯崎 ニーマイヤーの理屈でいうと,世田谷区民会館は×だと思うのです.理屈は全部わかるんだけれども,こうじゃないと,それで僕はついていけないと思ってしまったんです.
(『新建築』1998年11月号掲載)


後編は次週公開予定です!



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