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まち「と/を/が/で」繋がるもの─『新建築』2018年9月号月評

「月評」は『新建築』の掲載プロジェクト・論文(時には編集のあり方)をさまざまな評者がさまざまな視点から批評する名物企画です.「月評出張版」では,本誌記事をnoteをご覧の皆様にお届けします!(本記事の写真は特記なき場合は「新建築社写真部」によるものです)


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評者:楠本正幸
目次
●「駅が街を殺す」─都市における「駅」の重要性
●まちと駅を繋ぐ─新山口駅北口駅前広場「0番線」
●まちと工場を繋ぐ─畑の下のラボラトリー
●まちの中で繋がる─殿町国際戦略拠点 キングスカイフロント
●「記憶の蓄積」がまちの歴史を繋げる─Ginza Sony Park



「駅が街を殺す」─都市における「駅」の重要性

「駅が街を殺す」.
過激な表現だが,日本のさまざまな駅ビルや駅前の開発事例を訪れるたびに周りからそういった声を聞くことが多い.

都市において特に駅周辺に投資が集まり開発が進むのは,デベロッパーや鉄道事業者の論理からすればきわめて当然のことであり,それ自体に問題があるわけではないのだが,その代償として街のアイデンティティの源である昔からの中心街が疲弊していくのを見ると,「駅」が肥大していくことがその街にとって望ましいことなのか,街にとって「駅」の果たすべき役割は何だったのか,というような根源的な疑問に突き当たってしまう.

本誌2月号の月評でも少し触れたが,「駅」はあくまでもその街の玄関であり,外界との結節点であるというのが本来あるべき姿であると思う.

ホームに降り立つ来街者に到達感と期待感を与えながら,できるだけ速やかに街にいざなってほしいのに,類型化し肥大化した「駅」は他の駅と見分けがつかなくなり,同時に街との距離をどんどん遠くしてしまっているのだ.



まちと駅を繋ぐ─新山口駅北口駅前広場「0番線」

新山口駅北口駅前広場「0番線」|
宮崎浩/プランツアソシエイツ

そういったことを考えながら新山口駅の改札を出た時の印象は,今まで経験したことのないほどの新鮮でかつ清々しいものであった.
通常の駅空間にあふれているサインや広告類を徹底的に抑制して必要な情報だけを浮き立たせており,また白を基調とした建築と洗練されたデザインの壁面緑化や植栽により空間としての心地よさと機能性を調和させ,ここにしかないという上質な唯一無二性を醸成している.
たとえば,通常はどうやって目立たないようにうまく納めるかを悩むことの多い消火栓やAEDについても,透明のケーシングにまとめることによって,デザイン性と視認性を見事に両立させている.

もちろん,より乗降客数が多く不動産価値が高い駅の場合には,ここまでピュアなソリューションは難しかったかもしれないが,新山口駅北口駅前広場「0番線」で設計者の掲げている「まちと駅を繋ぐ」というコンセプトやそのネーミングには,上述の問題意識を持って真摯に解を出そうという誠実な姿勢が感じられるし,何よりも既存の街との健全な関係性を保ちつつ本来あるべき駅の姿を具現化した意義は大きい.



まちと工場を繋ぐ─畑の下のラボラトリー

畑の下のラボラトリーは菓子工房と研究施設および物販飲食店舗を農園というコンセプトで融合したユニークな作品である.
埋立地に広がる新興工業地域というどちらかというと殺風景で非人間的な環境の中にあって,ここは豊かな自然と温かい人の営みが体感できる一角であり,訪れる顧客だけでなく,ここで働く従業員にとっても,自分たちがつくる商品の歴史やその品質を支える自然環境の大切さ,食育の意義を学ぶことができる貴重な場所となっている.

畑の下のラボラトリー|
中村拓志&NAP建築設計事務所 大和ハウス工業

元もとこういった菓子などの食品工房は,街の中にあってつくり手と顧客がコミュニケーションを持ちながら,その場でつくり販売するというのが当たり前だったはずだが,工房が企業として成長し,また都市が用途地域制度などによって機能ごとにゾーニングされていく中で,製造現場と一般の人びとが生活する街とが隔離されてしまったのである.
近年は工場内に見学コースを設けたり,さまざまな顧客サービスのイベントを企画したりなど,その距離を縮めようとする試みが増えているが,本件は非常に自然でかつ洗練されたかたちでそれを実現し,働く環境としても地域への貢献という意味でもより進化した事例となっている.



まちの中で繋がる─殿町国際戦略拠点 キングスカイフロント

殿町国際戦略拠点 キングスカイフロントは,多摩川を挟んで羽田空港の対岸に位置する,広大な工場跡地に開発されたリサーチパークである.
羽田側と連結する道路もまだ建設途中であり全体の完成までにはもう少し時間が必要だが,既に多くの施設が運用を開始しており,いよいよ新しい「街」が始動し始めたというところである.

全体を俯瞰した印象としては,従来のサイエンスパークのイメージを超えておらず若干もの足りなく感じた.
個々の建築は事業主や設計者それぞれの個性を表現しつつ高い完成度で実現されているが,総じて研究開発施設というビルディングタイプの幅に収まっている.
今後の新たなイノベーションを生み出すフィールドとしては,外部も含めて互いに交流し刺激し合えるようなオープンで多様な空間がもっとちりばめられていてもよかったし,研究者にとっては働く場所と同時に大切な生活の場でもあるという発想に基づいたデザインであってほしかった.
その中でA地区の計画には,ホテル等のにぎわい機能が複合されていることもあるが,建築の素材選定やランドスケープデザインに上述の「今後のイノベーションのために」という意識を読み取ることができる.
「閉じないまちづくり」というコンセプトを掲げて公園や河川敷との境界フェンスをなくしており,研究者や施設利用者と近隣住民とが自然に同じ空間を共有する情景が既に生まれ始めている.一方B地区においては,セキュリティや管理上の問題があるのだろうが,たとえば研究者が通勤や昼休みでランニングをする,あるいは自転車を使うというようなシーンを想像すると,河川敷の遊歩道と敷地とが空間的かつ動線的に分離されているのはやはり不自然だと感じた.また,敷地の南側に広がる既存の街区から見ると,多摩川との間に排他的な存在があるのは以前の工場の時と基本的に変わっておらず,せめてマスタープランにおいて,A地区のように敷地を横断する歩行者通路が計画されていてもよかったのではないだろうか.



「記憶の蓄積」がまちの歴史を繋げる─Ginza Sony Park

「記憶の蓄積」.
これは都市の本質を語る時に筆者がよく使う言葉である.たとえば,何も特別な建物ではないのにある有名人の生家というだけで世界中から人を集める観光名所になっている例がよくあるように,物理的に同じものだとしてもそこに人びとの記憶が積み重ねられているか否かで,言い換えるならば物語が存在するかどうかで,まったくその存在価値が異なるのだ.

Ginza Sony Park|Ginza Sony Park Project

Ginza Sony Parkはまさにその「記憶の蓄積」の結晶とも言うべき作品である.あのソニービルの思想を引き継ぎ,減築という手法によってよりピュアなかたちで「銀座の庭」という当初からのコンセプトを昇華させており,ところどころ露出した昔の地下躯体からは長い時間の経過なしでは決して実現できない空気感が醸し出されている.特に地下へ降りる階段上部のスリーブ開口が並んだコンクリート梁や,ずっと隠されていたといううろこ状タイルを見た時の印象は,歴史的建築物の骨格と新たに付加された空間要素がそれぞれ響き合いながら美しく融合されているカルロ・スカルパのカステルヴェッキオ美術館を初めて訪れた際の感動に近いものであった.
また,当初からの情報発信機能や集客装置としての役割がより一層街から見えるかたちで具現化されていることに加え,たとえば以前は建物の背後にあったメゾン エルメス(『新建築』2001年8月号掲載)のジュエリーのような特徴的ファサードが,暫定的であるにせよ数寄屋橋交差点から「銀座の庭」越しにはっきり視認できるようになったことなど,周辺街区の付加価値を高める効果も非常に大きいと感じた.



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