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少しでもベターな場所を,ベターなやり方で─『新建築』2018年10月号月評

「月評」は『新建築』の掲載プロジェクト・論文(時には編集のあり方)をさまざまな評者がさまざまな視点から批評する名物企画です.「月評出張版」では,本誌記事をnoteをご覧の皆様にお届けします!(本記事の写真は特記なき場合は「新建築社写真部」によるものです)



評者:饗庭伸
目次
●建築をつくり出す制度とそれを制限する法
●ハレ(殊)とケ(常)
●「上がってる」感
●「多くの制度とごくわずかの法を持つ政体」
●少しでもベターな場所を,ベターなやり方で


木造って,気分が上がりますよね.
8月に東京の佃島にある住吉神社の例祭に参加してきました.木造の家屋のようなもの(=お神輿)を,無垢の梁のようなもの(=担ぎ棒)に乗せて担いで, 2日間にわたって都市の中を練り歩き,それぞれの町にそれを見せつけていく.
言わずもがなですが,非常に気分が上がるわけです.

木造特集の頁をめくりながら,気分がすごく上がりました.それぞれの現場で木材が組み上がって空間をつくった時に,さぞかし現場の人たちの気分は上がっただろうなあ,とも思いました.スーパーゼネコンからアトリエ設計事務所まで,巨大な超高層から小さな納戸まで,同じように上がっており,そして全員が上がっている状況を見せつけあっている,まさしくお祭りみたいな号だと思いました.


建築をつくり出す制度とそれを制限する法

「法と制度」という言葉を使って1年間月評を書いてきました.

「規制緩和」と「地方分権」のせめぎ合い
─『新建築』2018年2月号月評

リノベーション(=保守主義の設計手法)はリベラルと健全に戦いながら,建築と都市の進路を決めていく
─『新建築』2018年4月号月評

保育施設,「平面以外の工夫」と「子ども以外の工夫」
─『新建築』2018年6月号月評

「川」と「ため池」
─『新建築』2018年8月号月評


法は「行為の制限」,制度は「行為の肯定的な規範」と定義しましたが,今号では建築をつくり出す制度とそれを制限する法,というふうに考えたいと思います.

建築をつくり出す制度とは,設計から施工にいたるまで,そこに関わった人たちがつくり出す組織や組織間のプロトコル群のことで,建築をつくる上で重要な部分です.
実際の建築をつくるという目的の下で組成されるので,友愛や親睦といった抽象的な目的の下で組成されるコミュニティに比べると,はるかに強い結合力を持った制度がつくられますし,それを縛るための法も強く詳細にかかってきます.しかし,法に縛られすぎた自由度のない制度で建築をつくってしまうと,確実だけれどもつまらないものができてしまう.

新しい建築をつくり出すために,法をにらみつつも,新しい制度をどう組成していくのかが問われるわけです.



ハレ(殊)とケ(常)

新しい制度はどうやったらつくり出せるのでしょうか.
まず第一に,建築をつくり出すことを繰り返す中で,たくさんの人たちの動きが積分されたところに制度が発生してくるというパターンがあると思います.
同じ仕事を繰り返していくうちに,組織とプロトコルが落ち着き,あ・うんの呼吸で建築がつくり出される制度ができるというパターンですね.ハレ(殊)とケ(常)で言えば,ケから生み出される制度です.

一方で,お祭りのようにハレから制度がつくり出されることもあると思います.住吉神社の例祭は,町会というケの制度を祭りというハレの行為を通じて強化しています.
たとえばお神輿が自分の町内にやってきた時に,町会が食事を振る舞うのですが,その数百食を一度につくるという行為は町会の制度を鍛えることに繋がり,たとえば災害時の炊き出しなどにその制度が発揮されることになります.
淡々とした日常でつくり出されたケの制度が,ハレの場で再編成され,それが再びケの制度に定着する,というサイクルがあるということです.



「上がってる」感

今回の月評もやたらと前置きが長くなりましたが,今号の頁に次々と現れる「上がった木造建築」をつくることは,まさしくハレの場で,「建築をつくり出す制度」を再編成するということではないでしょうか.
私自身,なぜ木造を見て気分が上がるのか,うまく説明することができません.法とか制度とかつまらない理屈をこねるのではなく「日本人だから木だよね」「和の精神だよね」のような大雑把な感覚に身を委ねる快感は,お祭りの時に見知らぬ人と掛け声をかけながら連帯感で結ばれている時の快感に似ています.
おそらく建築をつくる側も,この大雑把な快感に身を委ね,気分よく知恵と力を出し合い,それによって制度を再編成しているのではないでしょうか.

木造特集なのに鉄骨造がたくさんあって,それでも木造だと言い切ってしまうほどの大雑把さ.
世界中から木を買い付けているのに,和だと言い切ってしまうほどの大雑把さ.
無垢でも集成材でもCLTでも木の手触りがあると言い切ってしまうほどの大雑把さ.
まったくオーセンティックでない歴史的景観の再生の大雑把さ.
「見たことがない木の組み方」を見せ合っているような無邪気さ.

木材を使う,手触りがよい,森林を稼げるようにする,どこまでも高くする,どこまでも大きくする,見たこともない造形にチャレンジする……

あらゆるモチベーションを総動員して,お互いどこまで上がれるのかを競っている感じがいたします.

今号の作品のほとんどすべてから,この「上がってる」感を共通して覚えたのですが,ひとつだけ典型的なものを挙げるとすると,超高層木造建築W350でしょうか.
本当に解体して再生利用するのだろうか,独特の建物緑化は超高層木造の本質なのだろうかなど,細かなところはたくさん気になりますが,専門家だけでなく,普通の人たちの気分まで上げてしまえるくらいの普遍性があります.
この建築のことを考えるために新しい制度が組み立てられるのでしょうし,それはこの企業のケの制度を再編成するのではないでしょうか.



「多くの制度とごくわずかの法を持つ政体」

制度は漸進的に変化するものなので,新しい制度は必ず古い制度に規定されて生まれてきます.
QWERTYというタイプライターのキーの不思議な並びがその後のキーボードの進化を不恰好に規定してしまったように,この異形にも見える木造の建物をつくるための制度が,少し先の未来の制度を規定し,さらにそれがその先の未来の制度を規定していきます.
制度は厚みを増し,異形さを内包して複雑化していきます.それは建築をつくるということを,どう発展させていくのでしょうか.
それが爛熟した建築文化ということなのかもしれません.
「多くの制度とごくわずかの法を持つ政体」が民主主義です.法だけが建築をつくってしまうと,都市はつまらない建築ばかりになってしまいます.
多くの制度があちこちに勃興してそれぞれに基づく建築をつくり,それをごくわずかの法が規制している都市こそ民主的な都市であると言い換えることもできるでしょう.
その民主的な都市の実現には,私たちの気分を等しく高揚させ,建築をつくるということに巻き込んでくれる「木造建築」が有効なのかもしれず,それが日本型の民主主義ということなのかもしれません.



少しでもベターな場所を,ベターなやり方で

1年間「法と制度」という言葉を切り口として月評を重ねてきました.
通読してみると,ひとつの大きな主題のまわりをぐるぐるとまわりながら評を起こしていたように思います.
改めてひとつに繋いでおくと,建築をつくる時に,設計する側とされる側の制度をどう読み取るか,それを保守的,あるいは革新的な態度でどう再編し,法とのせめぎ合いの中でどう空間に反映させるか,そして空間が新しい制度をどのように生み出し,都市の中に新しい制度がどれほど増え,それが民主主義をどう実現するか,そんなことが大きな主題でした.

完全な民主主義など「幸せの青い鳥」みたいなものでしょうから,民主主義は不完全なまま,たくさんの制度と少ない法によってアップデートされ続けるのでしょうし,建築ができ上がったその瞬間が民主主義の最高地点である,ということ信じて,私たちは建築や都市をつくり続けるしかないのでしょう.パッツィー・ヒーリーという都市計画学者が著書『メイキング・ベター・プレイス』(鹿島出版会,2015年)のタイトルに込めたように,少しでもベターな場所を,ベターなやり方でつくり続けるしかない,ということです.





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