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西洋美術館で用いたモデュロールは正しいか・日本にはないがらんとした空間─「磯崎新氏が述懐する丹下健三」後編

この度、『丹下健三』の再刷が決定しました。
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再刷決定を記念しまして、『丹下健三』執筆のベースとなった『新建築』掲載の藤森照信氏によるインタビューシリーズ「戦後モダニズム建築の軌跡」を再録します。

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目次
●西洋美術館で用いたモデュロールは正しいか
●プロポーションの概念を解体すること
●日本にはないがらんとした空間
●スケルトンで決まるインテリア


西洋美術館で用いたモデュロールは正しいか

─前川さん以外で,たとえば坂倉準三さんの仕事に関していうと,丹下さんとの相違点はどこだと思いますか.

磯崎 パリ万博の日本館は見ていないのでよくわかりませんが,神奈川県立近代美術館に関していうと,あれはまさに1930年代のコルビュジェの感覚なんだろうなという風に思いました.コルビュジェは西洋美術館をやるときに神奈川の近代美術館を見にいってるそうですが,このふたつの美術館は非常にプランが似ています.小さい中庭を中央に設けて,神奈川のほうはそれをオープンにしている.それだけの違いなんですけれども,神奈川は成功していて,西洋美術館は失敗していると僕は思うんです.なんで西洋美術館が失敗しているのかという理由を考えるとき,僕がひとつに感じていることは,モデュロール体系というのがありますよね.あれを使い間違えたんじゃないかなと思うんです.

─コルビュジェが?

磯崎 それがコルビュジェが間違えたのか,日本側の前川さん以下の解釈が間違えたのか,見ていないのでわかりません.ですが,現場まで携わった藤木忠善さんによると,コルビュジェの図面はノンスケールだったというんです.ということはそれに日本側でモデュロールを当てはめた,つまり日本側である解釈をした,ということになる.それによって,全部スケールがダウンして,ちまちましてしまったのではないかと思うのです.

─少なくともコンクリートによる建築のスケールじゃないですよね.

磯崎 コンクリートにしているからポテッとしてしまう.鉄骨でやらないといけないんですよ.あそこの中2階天井高は2,260mmしかありません.7尺5寸しかね.2,260mmのコルビュジェのモデュールではなくて,もうひとつ上のモデュールをあそこには使うべきだったというふうに僕は思うんですよ.
アーメダバードにコルビュジェの設計した美術館がありますが,この作品,施工は雑なんだけれども西洋美術館とほとんどいっしょなんですが,でき上がったものを較べてみると,どうも何か日本側で間違いを起こしたのではないかと思わざるを得ないんです.
でも,もしそこに丹下さんがかかわっていたら,そのあたりのことはちゃんとわかっていたのではないでしょうか.丹下さんはわかったと思うけれども,前川さん以下はわからなかった,どう見ても坂倉さんはほとんどノータッチみたいな感じでしたから,今考えてみると,吉阪さんなのか,前川事務所なのか,そのあたりはよくわかりませんが,モデュロールの用い方に問題があったのではないかと思います,ただもしかすると予算がないから小さくしようと,意識的に小さなモデュールを採用したのかもしれませんが....

─使用するモデュールで体積は相当違ってきますからね.

磯崎 半分冗談ですが,スケールというのはそれくらい決定的な差が出てくるものだと思います.


プロポーションの概念を解体すること

─丹下さんが用いていたモデュールは,伝統の尺寸を基本にして決まっているのですか.何か具体的な検討があったのでしょうか.

磯崎 1,860mmというコルビュジェのモデュロールがあるんですが,日本の京間にあわせて1,820mmにしたのが丹下さんのモデュールです.日本の尺間にあわせて,数字を選んであります.コルビュジェのモデュロールが出てきて,それを丹下さんが日本風のモデュロールにつくりかえようとして,ずいぶん何回も計算を繰り返しながら苦労してつくり上げたのを記憶しています.

─コルビュジェみたいに体系化したわけですか.

磯崎 まったく使い方はいっしょです.寸法を決める際に,たとえば65cm近傍の寸法はモデュロールにある69.5cmに直して使用するということです.モデュールの中から寸法を選び出すのですね.
僕が独立してはじめて設計した大分図書館(『新建築』1966年10月号掲載)も,実は丹下さんのモデュールをそっくりそのまま使っています.
オイルショック以前は,型枠の造作などに対しても,非常に細かい要求に応えてくれる現場環境がありましたので,モデュールが成立できたように思います.しかし,それから後の時代になってくると,そんな細かいことはいってられなくなってしまいました.
ただ,そういった時代背景とは別に,僕自身,モデュロールであるとか木割りといったプロポーションによって建築が成立するということに対して疑いをもつべきだと思うようになりました.ブルーノ・タウトによる桂離宮の解釈以来,日本の建築界には,近代建築の空間を決定づけるものはプロポーションであるというテーゼが根づいていました.丹下研などはその源流の真っ只中にあったということができる.
僕がその丹下研で学んだことを,あらたに僕なりに展開するとすれば,あるいはもっと批判的に何かを学ぶとしたら,それは,この建築の表に出てくるプロポーションを完全に解体するということだと思ったんです.つまりそれはプロポーションでは成立しないシステムをつくる,モデュロールを壊せということなんです.
大分の図書館の場合もこのことを試みまして,エレベーションを全部正方形のグリットにしています.しかし,ここではまだ使っている寸法が依然として丹下さんのところから借用してきているものでしたので,丹下色を払拭できてはいません.それを一切なくすことができたのはやっと群馬県立近代美術館(『新建築』1975年1月号掲載)になってからです.1,200mmという数字に全部置き換えてしまったんですね.僕なんかが丹下さんのところでとことんやっったことというのは,広島ピースセンターの本館のあの美学へ至る方法論であって,それはすでに完璧にでき上がったものなんです.それをどう僕らが変え得るかといったら,その手法そのものを別のものに置き換えるより仕方がない.とすれば,プロポーションの問題と対峙せざるを得ないのです.

─以前,磯崎さんは,自分は完全に丹下さんのプロポーションが描けるということをおっしゃられていて,とてもびっくりしたんですが,今でも描けますか.

礒崎 描こうと思えば描けますよ.

─そこまで仕込まれたかというか....

礒崎 それくらい.だって延々と描いたんだから,それはそうですよ.


日本にはないがらんとした空間

─丹下さんのプロポーションというのは,基本的に長方形ですよね.

磯崎 大きくいうと畳の寸法からくるようなもので,畳とか障子のプロポーションに近いんじゃないかな.
昭和10年代のはじめのころに,寸法の大きい障子が出てくるでしょう.あれはおそらく吉田五十八さんが始めたと思うのですが,あれが出てきたときは大変な衝撃だったらしいんですよ.丹下さんは,どこか借家に住んでいたときに,たぶん戦争直後だと思いますが,障子だけを吉田五十八流の寸法のものに取り替えたらしいんですね.これは浅田さんから聞いたことだから,確かだと思います.

─プロポーションの問題をすごく意識していたということですね.

磯崎 ええ.ですからその頃からずっと丹下さんはスケールとプロポーションのことを考えてこられたんだと思います.

─磯崎さんの建物はすごくがらんとしてますよね.やはりそれは,丹下さんのもっているものとは違うスケール感を求めた結果なのですか.

磯崎 そうですね.僕のものががらんとしているのは,平面と立面が連動しているからで,あまりに日本から学んでいないせいかも知れませんね.

─磯崎さんがはじめてヨーロッパを回られたとき,パッラーディオとかルドゥーとか,いうなれば磯崎的な矩形なりキューブなりのプロポーションと,基本的にスケール感があるのかないのかわからないような作品を見たときに,自分の感覚と近い人たちがいるんだなという共感はあったのですか.

磯崎 後でわかってきたね.60年代はわからなかった.

─作品はいいと思いましたか.パッラーディオとかルドゥーとかについて.

磯崎 それはいいと思いましたよ.

─だけどそれがなぜかはわからなかった.

磯崎 そう.彼らのもっている空間,日本のものとはまったく違う空間から感じる衝撃というのは猛烈なものでした.しかしそれをどう掴まえてよいかはその瞬間にはわからなかった.それは70年代に入ってやっと自分なりに解釈できるようになった気がします.

─やはり解釈のほうが遅れてくるわけですね.衝撃よりも.

磯崎 衝撃が先ですね.今度全面的に改修された大分の図書館,あれは手探りで丹下さんのところからどう抜けるかということを考えていた時期のものですから,僕なりに丹下さんと違うところを一生懸命考えているわけですよ.ですから大きい部屋などは多少がらんとした空間になっている.だけど小さい部屋は相変わらず丹下プロポーションに近い.丹下さんのモデュロールを使っているんだから当然ですね.


スケルトンで決まるインテリア

─以前,磯崎さんから,丹下さんがあるとき,自分はインテリアが上手くないから村野藤吾さんの作品を見て勉強してこいということを所員にいわれたというお話を聞いたように記憶しているのですが,そのときのことをもう少し詳しくお聞かせいただけませんか.

磯崎 それは大谷さんがよく知っていると思います.僕は担当していなかったのでよく知りませんが,大阪電通支社(『新建築』1960年7月号掲載)の設計の際,丹下さんがある日みんな集めて,ちょっと見てこいと,お前らの感覚はなってないと,そういうことをいわれたことを聞いています.

─村野さんの作品の何を見てこいということだったのでしょうか.

磯崎 わかりません.ただ,少なくとも丹下さんのいわんとするところは,マネしろということではないと思います.しかし,あまりにもスタッフにインテリアの意識がないと感じられたんでしょうね.実際にわれわれもそうだったんです.外をやるつもりでインテリアをやっていましたからね.ピースセンターの本館なんて,中も外もないでしょう.ただ,中も外もないということが,ある種,今となって見て思うと,丹下さんが日本の建築から受け継いだ大きな部分だったのではないかと思うんです.

─香川県庁舎にもエクステリアに匹敵するインテリアはないですよね.

磯崎 丹下さんの作品の系譜の中では,いまだにインテリアは出てきてないんだよね.

─僕の解釈によると,丹下さんはダイナミックな構造を採用したときにインテリアを表出させることができるんですね.構造の力によって強引にインテリアを表現する.

磯崎 それはあるね.だけど代々木の体育館の内部空間は内部かっていうと,外部だよね.

─丹下さんの場合,純粋に完全な箱,つまり構造的に何もない箱を与えられて,インテリアをやれっていわれたら,ものすごく大変だろうと思うのです.そのことを痛切に感じたのが,倉敷市庁舎(現・美術館)のインテリアを見たときです.壁面を凸凹させたりして,何とも困ってるなという感じがしました.磯崎さんとか事務所の人たちは,丹下さんの建築にインテリアがないということに自覚的だったんですか.

磯崎 いや僕らは気づいてないですね.

─ということは,磯崎さんがいたとき,インテリアに関してはあまり議論にならなかったということですか.

磯崎 つまりインテリアをごちゃごちゃやるとか,飾りをつけるというのは,女々しくはしたない行為だという認識があったということです.内と外で違う発想するなんてあり得ない.そんな感じでした.それが1950年代における当然の発想だったのです.建築とはスケルトンそのものだったのです.それはもう徹底していました.
浅田さんというのは,その内部にいながら,批評家として非常に面白い視点で丹下さんの仕事を見ていた人ですが,その浅田さん曰く「丹下のは骨しかないよ.肉がついてない」と.ただ,その感覚というのは実感ですよね.僕らは骨でいいと逆に思っていたんですから....ということは内部空間がないのと同じなんです.50年代において建築は構造で決まったのです.内部空間も外部空間も構造で決まる.ですから構造が決まれば,それでデザインは終わったんですよ.もうほとんど終わったんです.
(『新建築』1998年11月号掲載)



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