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立場を尊重し合う人間関係──幸福感を得る家づくり

「私の失敗」は建築家自身が自分たちの失敗を赤裸々に語るコラムです。建築家たちはさまざまな失敗を重ね、そこから学び、常に自分たちを研鑽しています。そんな建築家たちの試行をご覧ください!


執筆者:川口通正(建築家)
1952年兵庫県生まれ/独学で建築を学ぶ/1983年川口通正建築研究所設立/2006年〜工学院大学非常勤講師/2008〜10年NPO法人家づくりの会代表理事/現在、NPO法人家づくりの会理事、家づくり学校副校長/1992年「草絲館」(本誌9108)でUD賞都市建築部門賞受賞/1999年「土庵」(本誌9507)で川口市都市デザイン賞受賞まちかどスポット賞受賞/2012年「木竃」(本誌1001)で軽井沢・緑の景観賞2011年度最優秀賞受賞/2014年「NPO法人家づくりの会・家づくり学校」で2013年度日本建築学会教育賞(教育貢献)受賞/主な著書に『狭い敷地での間取り』(共著、1996年、彰国社)、『日本の住宅をデザインする方法』(共著、2011年、エクスナレッジ)



目次
●多くの課題に直面する住宅設計
●コンクリート打放しへの幻想
●失敗を乗り切る方法


多くの課題に直面する住宅設計

住宅の設計は、障害物競走だと思う。

だから面白いとも思う。自然の猛威や周辺環境の変貌、法規、それに複雑な人間の暮らしの計画、予算、スケジュールなど、多くの課題を深く読み抜かなければならない。

もちろん実際に家を建てる技術をすべて修得していなければならない。それにはハードウエア商品のデータストックや素材の生産と流通、職人の手技を知ることまで含まれる。加えて行政の面倒な手続きと検査もある。

今、住宅が直面する問題は山積みでハードルが高い。だからまず失敗しない手始めは、クライアントが切望しない限り、軒の出や庇がない住宅、トップライトだらけの住宅を設計しないことである。

どんなにディテールを突き詰めても、雨の力に対応できず、最長8年から10年でシーリングやパッキンゴムの寿命劣化で雨が漏る。そのような時、瑕疵担保履行法があっても、クライアントには建築家設計委託契約の10年の責任を問われる羽目になる。

しかしそんな苦労をしても、少しも懲りずに斬新なデザインを求めて、また同じ結果に陥ってしまうのも建築家の性である。 



私の失敗というテーマで何を書こうかと考えた時、いろいろな失敗が沸々と湧き上がってきた。

思えば私も多くの迷惑をクライアントと工務店にかけてきた。設計上の問題に気付けば工務店の社長や職人たちと一緒に悩み、みんなの経験と知恵で考え抜いた解決策をクライアントに伝え、受け入れてもらってきた。そのような時、何があってもクライアント、工務店の社長、そして職人とはケンカをしないことだ。みんなで是正を考える。もしつくり手が投げやりになって、つくることに誠意がなくなってしまったなら、しばらく付き合いは休憩する。そうすると技術的失敗の可能性は減るし、誰に迷惑をかけることもない。


コンクリート打放しへの幻想

失敗したからといって、悪いことばかりではない。

こんなことがあった。築後20年過ぎた住宅の建主が、私の設計上の問題箇所の解決を含む改修を新たに依頼してくれたのだ。竣工後に問題に気付いたものの、改善しようにも容易ではなく、私がもがいているのを見て温情をかけてくれたのだ。

その時、私は悪いことをしてしまった罪悪感と、神か仏が舞い降りた安堵感を同時にもったことを覚えている。どんなにありがたかったことか。「上月邸」(『新建築住宅特集』1986年4月号掲載)という私の初期の作品の話である。

その当時、事務所を開いて間もない32歳だった私は、「上月邸」を壁厚150mmの鉄筋コンクリート壁式構造2階建てで設計した。

外部はすべてコンクリート打放し、内部はルナファーザー(ドイツ製壁紙)コンクリート直貼りで断熱材はなし。スチールサッシに単板ガラス。予算がかなり厳しかったので、徹底して素材と部位をそぎ落としたのだ。

結論からいうと、内外コンクリート打放しの住宅は、物凄く寒かった。

中が外のように寒いという現実を、身体的に深くイメージできずに設計してしまったのだ。私が「上月邸」に食事に誘われるたびに、床と壁面から底冷えしてくる。外気温の変動のまま内部温度が変動していると感じた。

40代の建主夫妻はアラジンのストーブを点けて、じっと我慢して私に優しくしてくれた。私はいつも申し訳なく暗い気持ちになった。その時、どんなにローコストでも断熱材は絶対にいるということを思い知らされた。おまけに単板ガラス入りスチールサッシの開口も大きく、窓側からコールドが押し寄せてくる。確かにでき上がった住宅はカッコよいのだが。

「上月邸」は20年後の再設計依頼を受けて、高性能な断熱材を入れ仕上げを施し、開口部をペアガラスに改修した。今、建主夫妻も70歳を超えた。室内はとても暖かい。


「映水庵」(同1987年10月号掲載)でも同じことが起こった。

竣工した年の大晦日にクライアントから電話が入り、かなり叱られた。「寒くて住めない」と。やはり内外コンクリート打放しは駄目なのだと、かなり落ち込んだ。

新年になって謝りに行き、現場をよく観察した。すると、スチールサッシの戸尻のゴムパッキンがコンクリートにピタリと納まるはずのところが、コンクリートが7mmほど曲がって打設されていたため、隙間が空いていて風が侵入していたのだ。

私は愕然とした。コンクリートは打設時に側圧で5mmから10mmぐらい曲がってしまうことがあるということをはじめて知った。この住宅では寝室は内部を仕上げ、断熱材を入れてあった。しかし、窓に隙間が空いていたので冷気が入り、寒くて最悪の状況であった。その後、この工事をしたスチールサッシ屋に厚さ2.3mmのスチールプレートを曲げ加工してもらい、エアタイトゴムを取り付けてもらって風を止めた。

またこの作品でコンクリートは1年間ほどはどうしても乾きが悪く冷え気味であり、2年目から少しずつ改善されることを実感として知る。すべて私の若気の至りだ。この2軒の住宅のクライアントは、住宅の使い手側からの意見を、長年にわたって、本音で伝えてくれた。30年経った今、私にとって大切な住宅設計の恩師である。


そもそもこうした失敗をしてしまった30代の頃、著名建築家のディテール集をバイブルのように信じ、日々の設計の参考にしていた。

時代背景もあって、コンクリート打放しが多い住宅ほど、建築として空間性が高いと思い込んでもいた。この考えがとても危険で私の大きな問題であった。しばしば建築家を志す人が陥った問題でもあるが、建築雑誌や作品集を読み込んだ知識だけで建築を考えてしまい、実作品を体験する経験があまりにも少なすぎたのだ。



失敗を乗り切る方法

そのほか住宅設計に役立つ私の失敗例を挙げておきたい。

「墨いろの住宅」(同1998年11月号掲載)では見積調整段階で、雨樋を銅製から塩化ビニル製にグレードダウンした。その時に、見せ場である中庭の樋も誤って変更してしまった。現場に取り付いてからそのことに気付き、自腹で銅製に戻した。


「黒蓮」(同2010年9月号掲載)では、目の前の環境が読めていなかった。北側道路の反対側に小学校の校庭があり、子供が遊ぶ度に乾いた土埃が風に乗って家の中に入ってくる。

竣工後「少しでも風があると窓が開けられない」とクライアントから意見があった。


「杣」(同2014年1月号掲載)では、一昨年2月に降った大雪で、北側の20分の1勾配のコンクリート庇に雪が積もり、1週間後に氷の板になって落下した。庇の出は1m。その後すぐに黒のアルミアングルの雪止めを取り付けた。

このような「読みの浅さ」が失敗する大半の要因になることを、肝に銘じなければならない。


しかし、一方で向う見ずな無知の中に、建築に挑む大きな想像力が隠されていることも事実だ。設計上の失敗がなくなってくると、建築のスタンスの根っこであるチャレンジ精神が萎縮する。失敗と是正を重ね、それに慣れてきた時にこそ、臆病にならずに、新たな姿勢で建築を創造するエネルギーをもちたい。


失敗を乗り切る唯一の方法とは、クライアント、工務店、職人、建築家が人間的な付き合いを形成し、住宅をつくることに幸福感を得られる状況にすることだ。

それぞれの立場で夢に向かって納得できることが大切だ。失敗があったとしても、よく話し合い、その責任をなすり合うようなことをせず、みんなで粛々と是正作業に取りかかる関係を築くのだ。それがもっとも失敗があった時、救われる道だ。


もし、私たち建築家に責任があるなら、即座に行動を起こし問題を解決するしかないのだが、みんなの愛情が注ぎ込まれた住宅は、みんなが幸福な夢を見る。きっと、クライアントも工務店も問題を解決する仲間になってくれる。



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