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人間の叡智に連なる何かを未来へ投げかける思考─『新建築』2018年10月号月評

「月評」は『新建築』の掲載プロジェクト・論文(時には編集のあり方)をさまざまな評者がさまざまな視点から批評する名物企画です.「月評出張版」では,本誌記事をnoteをご覧の皆様にお届けします!
(本記事の写真は特記なき場合は「新建築社写真部」によるものです)



評者:中山英之


最近,1969年発行の,日本全国の手漉き和紙を綴じた重厚な紙見本帳を見る機会がありました.
装丁は日本のグラフィックデザイン界の草分け的存在であった原弘さん.そこに寄せられていた原さんの文章には,当時,既に和紙文化の衰退を深く憂いつつも,過去の封建制を背景に研ぎ澄まされた職人の技術を失わせているのが,今日の民主主義社会であることに,引き裂かれるような思いが書き連ねられていました.
献上品として最大限の技巧が凝らされていたものづくりは,新しい平等な社会の中には成立しない,というジレンマです.

半世紀後の今日はどうでしょう.
そこは上位1%の超富裕層が世界の富の半分を所有するとも言われているような,封建制の時代を遥かに凌ぐ格差の時代です.格差社会と自由で平等な社会の間で伝統技術の未来を憂いていた原さんが,今日の新しい格差社会を知ったらどう思うでしょうか.今が,もしかしたら,半世紀前,既に途切れかけていたものづくりのバトンを未来に手渡す,最後の機会と捉えたかもしれません.



技術や風景の間の産業

ちょうどそんなことを考えていたせいもあって,変化する社会や経済と,伝えられるべき技術や風景の間に,今日的な産業のあり方を考える秋吉浩気さんのテキストは強く響いてくるものがありました(特集記事:自立分散型の生産システムをつくるVUILDの活動)
一般流通材の創造的な活用から固有解を導く建築表現や,新技術の法的,技術的ハードルのクリアを掲げたプロジェクトに優れたものは多々あれど,ここでは建築家自らが工作機械の輸入元となり,山主からユーザーまで一気通貫した産業モデルのプロトタイプを,既に実践段階にまで移しているというのですから驚きます.

古くから林業の歴史は,流通と保管,つまり物流の歴史でもあります.林道の整備から始まって,産地と都市を結ぶ流通網なくして構想しえない場所に,林業は置かれていました.
秋吉さんの慧眼は,高性能ながら手ごろなサイズのNCN工作機を全国に分散配置し,木材ではなくデータを流通させることで,材料を売ることを製品を売ることとほぼ同一化してしまおうとすることにあります.

その試みは目下,ベンチのような運搬可能なスケールのプロダクトから出発し,住宅サイズの出力,はたまた建設までを「林業」の範疇に置くところにまで到達しつつあります.地域の建設需要は地域で満たし,大規模なプロジェクトにはデータ共有を前提とした複数地域の並列稼働で対応する.文中引用されているエルンスト・フリードリッヒ・シューマッハーの言葉を借りるなら,まさに「スモールイズビューティフル」.




私たち自身の歴史と文化,芸術に向けられた問いかけ

E.F.シューマッハーの著作は,約半世紀前に書かれた原子力技術への警鐘,という予言的なトピックから3.11以降しばしば,改めて採り上げられており,恥ずかしながら僕が初めて読んだのもそのタイミングでした.
『スモールイズビューティフル』が出版されたのは1973年.

そもそもは英国による途上国への(戦略的な)技術支援を念頭に書かれたこのテキストが今日,インターネット時代の「自律分散型の生産システム」を考える上でのモデルとして再読される.その時,何が問題とされるのでしょうか.

自らの実践について,秋吉さん自身がそう書いてはいませんが,本の中でシューマッハーはそれを,経済や産業の問題としてではなく,政治や歴史,そして芸術の問題として捉えることの重要性を指摘しています.
もっと平明に言ってしまえば,先進国の途上国支援は,被支援当事国による自身の文化や歴史,芸術への学びを抜きには無意味である,と捉えることもできるでしょう.そういう意味で秋吉さんの実践もまた,単なるビジネスモデルであることを超えて,私たち自身の歴史と文化,そして間違いなく芸術に向けられた問いかけであると僕は思います.同じように,冒頭に引いた原さんのジレンマを50年後の今に考える時,研ぎ澄まされた職人技を後世に繋げるのが現代の超富裕層なのだとしたら.皆までは書かないけれど,おそらく問題は当時シューマッハーが考えたことと何ら変わらないのでしょう.




リコビネイショナブルな易加工性

小さなプロジェクトですが,伏見稲荷の納戸とその解説文を読むと,建築を文化や時間の上で考えることの何たるかが,教条的でない,もっとずっと当たり前で普通のこととしてよく伝わってきます.

伏見稲荷の納戸|垣内光司/八百光設計部

伏見稲荷大社近くの敷地に建つ企業の倉庫.千本鳥居を参照した柱間2,730mm,高さ3,385mmのフレームが,910mmピッチで並ぶ.鳥居型フレームは貫工法で地組みし,基礎にアンカーボルトとハイブリッド座金で固定.

鳥居を模した構造形式は,単なる意匠的判断からではなく,建て方精度を基礎側からではなく架構の頂部から定める,という独特な,しかしたいへん理に適った構法から導かれており,かたちを多義的な領域から縦横に思考する建築家の軽やかな知性が窺われます.

ところで,この小さな納屋の計画は移設を前提としているとありましたが,さざなみの森仮ぐらしのロッジもまた,その名の通り移設を前提とした計画です.

さざなみの森 仮りぐらしのロッジ|竹原義二/無有建築工房

認定こども園さざなみの森の園舎大規模修繕工事に伴い,駐車場内に建設されたマンサードフレームの仮設園舎(2017年9月~2018年3月).園の保護者や学生有志と共に組み上げた.現在は解体されたが,フレームと床材建具は保管されていて,リユースが計画されている.

ビニルハウスを木造に置換した試案が元になっていると説明されている架構は,可逆的であるがゆえに,ボルト・ナットやロープの結び目といった原理を直截に体現した要素が視覚化された,まるで知育玩具そのもののようです.

大きな木造プロジェクトへの挑戦が並ぶ10月号の中で,こうした小さなプロジェクトばかりに言及するのはフェアではないかもしれません.

ただ,ここに挙げたふたつの実施プロジェクトに惹かれるのは,やはり木造という架構形式がそもそも持つリコビネイショナブルな易加工性にどうしても反応してしまうからなのだと思います.もちろんエンジニアリングウッドの将来性を,必ずしも従来的な木造の規範で測ることには意味がないでしょう.

そう思いながらもう一度全体を精読すると,たとえば冒頭の日建設計によるW350が,まるで街区内での小住宅の建て替えのように,高層ビルの計画の内に漸次的な部材更新が組み込まれていること.ゆすはら雲の上の図書館/YURURIゆすはらの佐藤淳さんによる構造解説文中で,鉄骨造と木造のハイブリッド造の理論構成が,まるで江戸の火消しのような感覚で,木は燃えるものであることに抗うことなく展開されていること.富岡商工会議所会館で設計事務所自らが鏝を握って漆喰細工を修復し,同時にそれを頂いた平入りの姿に現代的な解析から導かれた架構を重ねること.

ゆすはら雲の上の図書館/ YURURIゆすはら|
隈研吾建築都市設計事務所


高知県梼原町に建つ図書館と福祉施設.保育施設と体育館に隣接し,多世代が集う場となることが目指された.図書館の天井には120mm角のスギ材で構成された木組.また館内はすべて上足,階段状の空間とすることで,さまざまな居場所をつくり出している.

富岡商工会議所会館|
手塚貴晴+手塚由比+矢部啓嗣/手塚建築研究所 
大野博史/オーノJAPAN


道路拡張に伴う旧商工会議所の解体に伴い,富岡製糸場と富岡市役所(『新建築』2018年7月号)の中間に位置する「吉野呉服店」の跡地に新しい商工会議所を建設するプロジェクト.建物を細長い敷地の片方に寄せることで,路地空間をつくり出している.1スパン1.8×1.8mの斜め格子のアウターフレームによりかつての呉服店の建物のボリュームを意識したノコギリ屋根を形成.

そうした,与件への直接的な応答から軽やかにズームアウトした視野から捉えた事象や時間をプロジェクトに重ね合わせる言葉が,時にプロジェクトの内に部分的ではあっても,建築家,あるいは構造家によって語られている時,そうした思考は50年の時間を超えて原弘やE.F.シューマッハーや,きっと人間の叡智に連なる何かを未来へ投げかけるに違いない.そんなふうに思うのです.





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