段ボールはどうして茶色いの?─『新建築』2018年3月号月評

「月評」は『新建築』の掲載プロジェクト・論文(時には編集のあり方)をさまざまな評者がさまざまな視点から批評する名物企画です.「月評出張版」では,本誌記事をnoteをご覧の皆様にお届けします!


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評者:中山英之(建築家)
目次
●段ボールはどうして茶色いの?
●「ゆえに茶色である」の地点まで遡上する力強さ
●あえて「茶色」を着てそっと紛れ込む
●これからの日本の風景を問う
●グレーの段ボール箱



段ボールはどうして茶色いの?

先日とある縁で段ボールの製造過程を垣間見た時に,段ボールはどうして茶色いの?という話になりました.

理由は単純で,すべての段ボールが段ボールからのリサイクルでつくられているからずっと茶色い,のだそうです.けれども,ではそもそも段ボールはなぜ茶色かったのかというと,その理由が判然としない.

現行の段ボールは,そのよく分からない理由のために茶色の顔料が適宜加えられ,ロットのばらつきが均一に保たれているのだそうです.ものごとが洗練され,ワークフローの定式化や様式化が徐々に進行すると,次第に個々の定式や様式の遂行そのものが目的化され,そもそもの像から細部が離脱,解離していく段階というのはどんな物事にも少なからず存在すると思うのですが,そうした現象に付けられた名前って,何かあるのでしょうか?誰か教えてください.

それまでは仮に「段ボールの茶色」現象とでもして,話を続けましょう.


「ゆえに茶色である」の地点まで遡上する力強さ


震災復興が端緒となったプロジェクトが多く報告される3月ですが,個々の議論や実践にはむしろ,その出自にとどまらぬ,建築における「段ボールの茶色」現象を遡るような意志が感じられます.

特に CAtと乾久美子さんらによる,釜石でのそれぞれのプロジェクトにおける造成と建築の関係への探求は,「ゆえに茶色である」の地点まで遡上する力強さを感じます.

CAt,乾さん共に,建築計画から造成計画を逆算的に見直す視点を導入することで, 異なる発注原理のもとでサイロ化が進行していた両者の重複項目の相殺が図られ,同時に相互補完的なシナジーの最大化が目論まれていて,しかもそれぞれが固有の建築的な喜びを生み出すところにまで到達していることに驚かされます.


CAtのそれ(釜石市鵜住居小学校・釜石市立釜石東中学校・釜石市鵜住居児童館・釜石市鵜住居幼稚園)は,計画中央に谷筋を取り残す選択をすることで造成工事にもたらされた掘削土量の削減と,その谷をブリッジするために建築計画に課される負担が,空間的な固有性の創出を伴ったかたちでトレードされる,というアクロバットを着地させています.しかも,復興事業という何よりもスピードの問われる要請に対して,造成規模削減による3年半もの工期短縮をもたらしたというのですから, 本当に凄い技です.


ただし巻頭の対談の中には,この膝を打つようなストーリーとは裏腹の苦労が語られてもいます.

建築計画がその標準価格を超えた負担を担うことで節約された土木工事予算を,その負担に再補てんするためのルートが,現行の公共事業発注プロセスの中には存在しないというのです.結果,標準価格でブリッジを実現する重荷を背負うことになった設計の苦労は想像を絶するものです.けれどもその挑戦は,「茶色いから茶色い」の反復を乗り越えるための実践として,全国の土木,建築行政に広く参照されるべき重要な示唆を与えてくれるものだと思います.


あえて「茶色」を着てそっと紛れ込む


一方,乾さんの実践(釜石市立唐丹小学校・釜石市立 唐丹中学校・釜石市唐丹児童館)は,造成と建築の形式的な関係を基本的にはそのまま踏襲するかたちを採用することで,同じ摩擦を回避しています.

造成は造成,上物は上物.つまり「茶色いから茶色」であることが反復され,再生産されるシステムの内に,乾さんはあえて「茶色」を着てそっと紛れ込むのです.

造成と建築.このふたつの自律したシス テムがあたかもそれぞれに作動しているかのようにふるまうその裏で,建築階高はぴたりと,敷地勾配を斜辺に,短手プランと「ニワ」を底辺にした時の,タンジェントの値を取るのです(!).

ラストですべての伏線を回収し終えたその裏で,そっと茶色いマントを脱いで画面の外へと立ち去る乾さんの姿が目に浮かぶようです.


これからの日本の風景を問う


「段ボール」のたとえを反復するなら,CAtの採った道がそれが「茶色」であることの意味の不在を叫ぶことであるのに対して,乾さんの採った道はその規格化が広範に行き渡った社会への接続を図るものである,と言えるかもしれません.

もちろん,当然のことながらそのこと自体は目的ではなくて,結果として誌面にある風景を3月号に見る,そのことは僕の,そしてきっと多くの読者の心に,熱を帯びさせるものです.そしてさらに重要なのは,この2作品を巡る建物と造成の関係を遡る思考は,それが「震災復興」であることを超えて,これからの日本の風景を問う批評に触れるものであることです.

巻末を締めくくる記事:パブリックな水辺のつくり方にある問題意識との完全な呼応は,その証左として読まれるべきものであることは編集意図なのか, それとも僕の深読みでしょうか.


グレーの段ボール箱

ところで冒頭の話ですが,同じその場所でグレーの段ボール箱を見せてもらいました.何からできているのかというと,新聞紙だそうです.

新聞紙もまた新聞紙からつくられた再生紙ですが,紙と印字のコントラストを平均化した灰色にはどことなく, その出自をそのまま体現したような廉直さを感じま す.さらに面白いのは段ボール箱と新聞紙が,それぞれまったく異なる流通系に属しながら,梱包作業など日常的な場面でしばしばペアになって登場することです.

自己再生リサイクル,という両者の共通項を生産過程で交差させるこのアイデアは,グレー段ボール箱単体の意匠性を超えたところで, たとえば「ガムテープはなぜ茶色いの?」といった 別の問題系を呼び覚ましながら,私たちの日常的な風景のトーンにまで波及する予感を抱かせるものでした.


ヨコミゾマコトさんの釜石市民ホール TETTOと近藤哲雄さんの七ヶ浜みんなの家きずなハウスは, 規模こそ違いますが,どこか似た姿勢を感じさせる建築です.

地産材によるルーバーや記号的な地域性のシンボル化など,近年の公共建築にしばしば見られる特徴はここにはありません.

代わりにそこにあるのは,気積の大小と明暗の差異,移動と停滞や開放と閉鎖のリズムといった状態の偏在が, 絞り込まれた構法とサイレントな既製品によって, 構造的,機能的な要請に極限まで最適化されたプロポーションで配置された建築の姿です.それをまるで新聞紙のグレーのような廉直さだとしてしまうのは,少しこじつけがすぎるかもしれませんが,まだ活動の宿っていないよそ行きの竣工写真には, 本当に段ボールみたいな素っ気ない淡泊さすら漂っています.

けれどもたとえばTETTOの配置図を見ると,横丁や屋根付き広場,ホールといった属性の異なる,しかし人がいなければ空隙でしかない要素が貫通的に並列されているなど,都市的な活動の同時存在性を建築が個別化し,それぞれをフレーム化してしまわないための仕掛けが張り巡らされていることに気付きます.

建築が特別さをまといすぎないことは,敷地境界線外にある別の問題系との呼応を呼び覚ます作用をもたらすための, 戦略的選択であるとしてしまうのは,やはり僕の深読みでしょうか.公園の一角に建て方を終えた木造の架構がただ置いてあるようなきずなハウスでも, 同様にプランニングによる矩形が活動の偏在を分類しすぎないことへの意識を見て取ることができます.

小さく紹介されている外構の育った様子を描いたパースを見ると,これを大きく表紙に使うまで待ってもよかったのにとすら思うのですが,やはりこの号でなければと思い直す3月の新建築でした.



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