見出し画像

たたかうもの、みとるもの

2018年12月

 数日前、母が世話になっている施設へ防寒着を届けにいった。「足が冷えるからレッグウォーマーが欲しい」と頼まれていたのだ。

 母の下肢は長いたたかいで神経をすり減らし、今はぴくりとも動かない。
 ちょっと毛の生えた太めの大根足はすっかりしなびているのに、つやつやとむくんでいて、しっとりと冷たかった。

 施設のルールで、私物には持ち主の名前を書くことになっている。レッグウォーマーに母の名を書こうとしたらペンのインクが切れていた。一度持ち帰って私が記名してまた持って来るよと提案したら、母はよほど寒いのか「いますぐ履きたいから、このまま置いていって」と言う。

 次に来るときに、ペンを持ってきて欲しいと頼まれた。
 足はもう動かないけど、まだ手は動くのだから自分で書きたいと。

ALSという病

 先ほどから何度か、「母が○○と言った」と記述しているが、正確には「母が○○と書いた」である。

 月並みな言い方だが、母がわずらっている神経難病は現代医学では治す術がなかった。病はゆるやかに確実に進行し、最初に足を、やがて舌と口と耳と呼吸と表情を動かす筋力がなくなり、いまは残された手で「書く」ことで意思表示している。

 先日亡くなった有名な天才数学者と同じ病気だった。
 知能と感情はいたって正常で、熱さも寒さも痛みもカユミも感じている。母のカラダは少しも動かせないのに、骨が重力で神経を圧迫するせいで、つねに強い痛みと戦っている。ただ眠るためだけに、毎晩モルヒネを投与する。

 手が動かなくなったら、まばたきで意思疎通するしかない。こまかいニュアンスを伝えることは困難になるだろう。

 あるとき、母が走り書きで「もう死にたい。殺してほしい」と言った。
 私は手書きのブギーボードを見つめながら「それは無理」と答えた。


泣かないでね


 またあるとき、母が「泣かないでね」と言った。

 もし急に亡くなっても悲しまないでね。
 動かない体から解放されて自由になるのだから。
 良かったねと、笑いながら見送ってほしい。

 私は母を見つめながら、「それは無理」と答えた。

 ヒトは死んだらそれで終わりじゃない。
 意識が肉体を離れて自由になるのは分かっているよ。
 それでも、縁があって親子になったのだから、現世での繋がりはこれで終わりなのだから、「死」は、やっぱりお別れに違いない。

 私はきっと悲しくて泣くと思うよ。
 同時に、楽になれて良かった、自由になって良かった、とも思う。
 ウン十年ぶりにおばあちゃんに会えるよ、良かったね!ともきっと思う。

 母が亡くなったら、私は悲しくて泣くだろう。
 安堵もするし、喜びもあると思う。
 死とはそういうものだから。
 もし、私や他の誰かが泣いていても、心配しなくていいから。


残り時間


 少し肌寒くなってきたころ、母は単刀直入に主治医にたずねた。
 残り時間は「この冬が最後になるでしょう」と言われて、母は終活を始めた。

 それよりも少し前。
 まだ暑かったころ、私はひそかに主治医に呼ばれた。
 母の残り時間は「今年いっぱいになるでしょう」と言われて、私は腹をくくった。

 主治医の見立ては正しかった。
 きょう、年末の仕事納めをしてから会いに行くと、母は今生の命を、その灯火を吹き消して待っていた。

 私は泣くだろう。間に合わなくてごめんと。
 母は笑うだろう。死に至る姿を見せたくなかったんだよと。

 母は事切れていたが、頬も手も足もまだ柔らかくてあたたかかった。

 黒いペンの代わりに、今度は赤いリップを持って来よう。
 動かない唇をほんのり色付けるために。

あとがき

 2018年12月28日。母を見送った日の夜、突発的に書いた話です。
 同日中に、小説家になろうで1話完結の短編として公開しました。

最後までお読みいただきありがとうございます。「価値がある」「応援したい」「育てたい」と感じた場合はサポート(チップ)をお願いします。