かただ しんのすけ

通信制高校→大阪大学大学院修了(人間科学)/いじめ・不登校・DVなどを経験した10代/…

かただ しんのすけ

通信制高校→大阪大学大学院修了(人間科学)/いじめ・不登校・DVなどを経験した10代/様々な社会問題や語りにくいことを一緒に考えてみませんか/猫犬好き/お酒好き/ラジオ配信中/仕事依頼:shinnosuke.k.info@gmail.com

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自殺をしようとしている人、自殺を考えている人などへ①

2021/10/1現在、7.3万pv以上になっています。色々な方に読んで頂けていること感謝致します。また、同時に多くの方が悩まれている現実だと思っています。これから、更に混沌とした時代になると考えます。この文章を読んで何か色々と感じて頂ければ幸いです。 今後の執筆活動を応援していただけると嬉しいです。 サポートをお願い致します。 ーーーーーーーーーーーーー 長いけれど、一緒に考えてもらえたらと思います。 綺麗ごとばかりの言葉に惑わされないで欲しい。 僕自身も「考えて

    • ずっと昔からある「青春コンプレックス」に思いを寄せて

      コロナ禍によって、従来の学生生活が送れなかったことから、様々な体験不足や経験不足からくるコンプレックスを「青春コンプレックス」と呼ぶらしい。 この言葉を聞いた時 という感情でしかなかった。 青春コンプレックス自体に共感できないわけでなく、むしろよく理解できるものである。しかし、学校に通えなかった経験や人よりも幸福な経験がない者からしてみれば、コロナ禍よりも前から苦しみ、誰にも理解されず、未だに悩みもがき続けているものである。 常に言葉や文化、それこそ「問題」は、言語化

      • 31歳になっても-あの頃と変わらない日々-

        まさか31年間も生きてしまうとは思わなかった。 13歳で死ぬはずだった僕の人生は18年も過ぎてしまった。 ずっと動き出すことのない時計は 僕を社会や世界から遠ざけるという呪いを与えた。 そして幸福や安寧というもの享受できないように守っている。 それでも諦めたくないという気持ちは 呪いを凌駕する力を持っていた。もちろん限界があったけれど。 30歳前後から、少しだけ呪いから解放される兆しもあった。 一人ではなくなってきたり、少しだけ安心できる生活を手に入れることができつ

        • 年を重ねるごとに取り返しがつかなくて

          2023年 新しい年になった。 去年は自分の嫌な部分に注目し、改善しようと投資したお陰なのだろうか 自分のことを極端に嫌いになることはなくなった。相変わらず醜いかもしれないけど、自分では「そこまで」悪いというようには思わなくなった。 そして不思議と自分自身への妥協が、一人ぼっちを解消させることに繋がることになる。 あー、なんだかこんな日々でもいいのかも そんな風に思えば世界は色を取り戻す。自分自身も捨てたものじゃない!なんて思い始めて… しかし、それは大きな間違

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        自殺をしようとしている人、自殺を考えている人などへ①

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        • (公社)アニマル・ドネーション AWGsプロジェクト
          3本
        • 戦争について考えてみよう
          3本
        • 僕の生きてきた世界
          44本
        • 社会の関心事ついて語るー事件・広がりのあったものなどー
          13本
        • 孤独を知る人へ、孤独を知らない人へ
          16本
        • 10代の詩
          14本

        記事

          見える部分しか評価できない世界のなかで生きること

          人なんか他者のことを10%も知っていない 表面上のさらに表面上の上の方しか見てなどいない。 しかし、それなりの関係性であったり、情報の交換条件と自己開示をすることによって30%ぐらいは知ることができるかも知れない。 あるいは、「褒めて欲しい.見せてみたい」気持ちが強い人たちから、聞いていないし、知りたくもないけど話してくる人もいるだろう。 ある程度、清潔感を保ち、ギリギリではないけどギリギリ辺りの生活水準を保ち、メディアリテラシーを高めるよう努力して、ある程度ほどでい

          見える部分しか評価できない世界のなかで生きること

          他人と自分を比べてもキリがないと気が付くまで

          他人と自分を比較するは、自分自身と他人が同じラインにいると勘違いしているからである。 そもそも他人は、自分と同じラインにはいない。 ずっとずっとずっと先にいる。だから比べることなんてできない。 なら自分だけを見てあげることの方が、いいのかもしれない。 どうしても他人と自分を比較してしまうことは多い。 自分自身の人生が、うまくいかないほどに比較しては苦しむことになる。 比較を力に変えられることもできるけれど、長くは続かないし続けられない。 確実にそれが手に入るなんて

          他人と自分を比べてもキリがないと気が付くまで

          自分だけ仲間外れになったとき-人間関係における永遠の課題-

          誰しも人間関係のつまずきや悲しみは一定以上に存在する。 多かれ少なかれ強弱がどうであれ人は経験する。 そこにどう解決して、どう乗り越えて、どう対処して、何を学び、何を得たのか・・・etc. でも、それってとても正直難しい。 人間関係が落ち着くまでは、いくつもの段階があって、そこに辿り着くまでは苦難の連続になる。自分がどの段階かなんて見極めるのは難しいし、気が合う人や不快な思いをさせない人に出会うまでには、長い長い道のりを超えていかなくてはならない。 そもそも不快なこと

          自分だけ仲間外れになったとき-人間関係における永遠の課題-

          ゴールの見えないなかで頑張って生きること

          どういう風に頑張れば「ゴール」するのかは やはり自分にはよく分からないことだし、向いてないなと感じる。 自分にとって必要なものは、3つあるけど それを手に入れることは到底叶うことはないのかもしれないと思う。 自分だけが頑張っても幸せになれない。 1つ目と2つ目は、同じようなことだから叶うことはないのだろう。 3つ目は、幻想にしか過ぎないのだろうかと思う。 いかに自分を変えたところで何も変わることはないだろう。 とてもとても疲れてしまっている。 みんなと同じになるなん

          ゴールの見えないなかで頑張って生きること

          1人が恥ずかしい・苦しいと思った時に〜子ども大人に惑わされないように〜

          1人は恥ずかしいことではない 1人は苦しいことではない もし、1人でいることや行動することを悪としたり、悪だと思い込んでしまうのならば 一旦、周囲を確認して欲しい。 きっとあなたがおかしいのではなく、周りがおかしいと気がつくはずだから。 あなたの行動や言動に制限や善悪は存在しない。 本当の友人や大人の人ならば、あなたが傷つけることをせず、大人であるあなたを賞賛するはずだから。 この社会には、常に相反する考え方が蔓延っている。 正常の裏側は、常に異常であることの

          1人が恥ずかしい・苦しいと思った時に〜子ども大人に惑わされないように〜

          いつまでも一緒にはいられないから

          急なことでぽっかりと穴が空いてしまった。 事実として受け入れることができるのは、もう少し先になるだろう。 本当に自由な子だったけど、それが君らしさなんだよね。 家に一人でいるとき、どこにも居場所がないようなときも君という存在がいたことに、どこか当たり前過ぎてしまった。 どんなときでも「命」が存在しているというのは、大きな意味を持つ。 決して大きくない家でさえ「何もいない」というのは寂しさを増幅させる。でも、小さな存在がいるだけで安心を覚えるものである。 君と出会っ

          いつまでも一緒にはいられないから

          希望も夢も抱けない日々のなかで

          希望も夢も抱けない日々のなかで何ができるのだろうか。 恵まれた人しか「笑えない」社会を変えるためには 希望も夢も抱けない日々のなかで生き続けて証明するしかない。 本当に必要なのは「自分自身」であることを。 春だからと言って、何もかも希望や夢を抱けるほど簡単な世界ではない。 世界では戦争が起こり、貧困が加速し、病に倒れる人々が溢れている。 もちろん、自国でさえ「苦しみ」が広がっているものの、この季節は見えにくくなる。 多くの人が希望に夢を膨らませて 恵まれたなかでの努

          希望も夢も抱けない日々のなかで

          期待せず諦めた先にある日々や未来とは

          何もかも期待せずに、夢や希望さえも諦めた先になど何も無いと思っていた。 ただ「死」という漠然としたものだけではないかと考えていたところもある。 走り続けて、もがき続けて、苦しみ続けて それでも戦えば何かあると信じていた日々は、特に輝しくも変化を与えるものでもない。 文字通りの「しんどさ」しかなかった。 周りだけが幸せになっていく。周りだけが大人になっていく。周りだけが欲しいものを手に入れていく。 そんな毎日抗いたい、自分も手に入れたいとしていたのは、本当に無駄だっ

          期待せず諦めた先にある日々や未来とは

          成功者の語る「報われない努力」の影に

          報われた努力を重ねた人だけが 「報われない努力」を語れるようになる社会って 凄く凄く凄く恐ろしいことではないだろうか。 「努力」は基本的に報われるものではない。 その人の置かれた環境やどれだけ投資(教育や恵まれなどを)をしてもらえたかによって大きく左右されてしまう。 だからこそ、目に見えない”運“が関わってくると考える。 命がある以上、何かしらの目標・目的がある以上は、 努力という名の「生きる」という行為は続けないといけない。 ただ努力というものが、根本的に実る人と

          成功者の語る「報われない努力」の影に

          AbemaTVに出演してみて〜語ることの難しさの再認識〜

          とてもとても貴重な体験でした。 ただチャンスを活かすことが出来なかったな…と反省もあり…。 オファーして頂いた方にも申し訳ないな…と。 そして、改めて芸能人やメディアに出る方々は、強い言葉や力などを持っていると感じた。 だからこそ、世の中で潰されがちな言葉や思いが伝わる。そして、発信できる力のある人達が声を上げ、疑問を呈することで社会が少しずつ変わる。 それはとてもとても必要なことである。 でも一般人?のような人が、当事者で今直面している物事や過去の傷を、力のある

          AbemaTVに出演してみて〜語ることの難しさの再認識〜

          自分を自分で見捨てないために~これからの自分へ~

          自分のことを好きになれないのも 自分のことを守ってあげられないのも ずっと・・・どこか別のところに問題があると思っていた。 容姿や性格を直しても直してもダメなのは、これらに問題があったわけじゃない。今まで、どんな人や環境に属してきたかを真剣に振り返らなくてはならなかった。 煌びやかさ、地位や名誉、外見、金銭の多さ・かけかたなど・・・ そうしたものを重視しかできない人の中にいては、自分自身を卑下するしかなくなってしまう。 その人たちは危うさを見栄えで隠して、よく見せて

          自分を自分で見捨てないために~これからの自分へ~

          2021年の出来事と来年への願い

          今年も自分自身にとっては苦しいことの連続であった。 13歳から続く地獄には、未だ終止符は打たれないのかと思うと辛いものがある。 自分にとっての幸せは、「安定と普通」というものが必要だから 永遠に得られないのかもしれない。 公務員試験に落ちて、新しい場所で働こうこと活きこんだ先は なんともまあ最悪な場所であった。 そこで出来事やプライベートの裏切りのようなものがあったからこそ 自分のことを深く考えることができたと思う。 自分の思いを伝えても、同じことの繰り返しを言われ

          2021年の出来事と来年への願い