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「お酒」(アルコール)という魔法


過度の飲酒は避けなければならない。

そして依存症や「本来の自分」が攻撃的な場合は控える必要がある。

しかし、「お酒」の魔法は偉大なものである。

ただ、魔法は続かない。続くためは「当たり前」にしなくてならない。


アルコールというものは、何もかもを鈍らせる合法的なものである。
疲れも、許せなさも、孤独も、苦しみも、過去も、未来も。
あらゆるものから自分を解放してくれるものである。

それは間違っているものなのだけど
弱い自分ならしてみれば「救い」な部分もある。

特に、一人酒を誰もいない部屋でいる場合

あの酔った、酔い初めの感情は、世界の見え方を安心してみせてしまう。
不安なものを、苦痛なものも、悲しみも、全てが消えてしまう。

この一瞬が、怖さも、絶望も消してくれて

どんな形でも許せなるような気がしてしまう。


まるで、何かもが快楽の海に浸れてしまうような。


そう、あらゆるものを鈍らさて感じさないようにする魔法である。
本当の自分に戻れるような、間違った感情や視点でいられてしまう。

優しく、穏やかで、何もかも許せるように思る。

本当の自分でいられるような、素直にいられるような気持ちでいられるのだ。

多分(一部を除いて)、そういられるのは優しい人なのだろう。
でもお酒に頼らないといけないのは間違っているよね。

でも、このふわふわとした世界がたまらなく愛おしい。

あらゆるものを許せてしまいそうな。

本当の自分はこうなんだろうか、自分はこうなのか。
そんな錯覚する快楽に飲まれていく。


友達の冷酷さも
愛されない悲痛な世界も
自分だけの世界だったとしても
壊れてしまった世界や人生それさえも
もう何もかもがぼやけて楽に思えてしまう。


そうか、これがアルコールの世界なのか。

あらゆるしがらみも、壁も、いばらも解放された世界なのだろう。
全てが一瞬で”まやかし”なのにもかかわらず。

殴ったこぶしも、放った言葉も、何も感じないとしたら
それは本当に真剣に考えなければならない。


もちろんアルコール依存やアルコールによって攻撃的な人は
本当の自分が”暴力的”「病」であるため留保や対処の必要がある。

どちらかというと自分は、穏やかになってしまう。
それだけ常日頃、神経質なのかのという話になるが。

ただ、アルコールは一種の「魔法」である。
あらゆることが、許せるようなものになってしまう。

あるいは、普段は「何よりも」嫌なものが「一瞬大丈夫」なような
気が大きくなって「経験」「失敗」になってしまうかもしれない。

アルコールによって変わった世界は、確かに気持ちよくて安定と快楽がある。けれど、それは大きく間違った世界である。

それを認識したうえでならまだしも、認識していないとしたなら危ない。それはアルコールという「魔法」に負けてしまったことである。

何事も”飲まれない”ことだけど

僕らは弱い生き物であるし、頼れるものがない場合にも頼らず追えないものの一つが「アルコール」かもしれない。

ただ、それは真剣に考える必要がある。

飲まれることなくコントロールするにも「力」が必要がある。

誰かを惑わし、誰かを傷つけ、誰かを壊したとしたら

絶対に頼ってはならない「力」である。


そんな僕も、「アルコール」には頼ってしまう部分がある。
ただ今は付き合っていけて、心を安らげるものとして仕えている。
また、世界を鈍らせて感情が休める瞬間を与えてくれる。

これが誰かを傷つけることになったときには、必ず辞めなければと思う。

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