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夏も僕も、はずれ者同士


去年の今頃は、夏の暑さのなかで仕事に勉強に忙しかったと覚えがある。
でも、今は秋の夜のような気温と匂いがする。

まるで「夏が仲間外れ」にあっているような。


僕と一緒だね。


世界から外れた場所で歩くことって

人生の余暇とか、世俗から自分を切り離して見詰め直す。
そんなポジティブな意味もあるけれど

失敗を重ねたり、うまくいかないことが続いたり
周りのように円滑に動かせなかったり、長いものに順応できなかったり

一時の休息以上の長いインターバルは
排除にも似た感情を抱かせてしまう。

他者と比較するからこそ生まれる感情だけではない。


はずれ者だけが知ることになる、言い表すことのできない虚無感がある。
例えば、こんな感じだろうか。


その場から動けないのに
景色だけがすごいスピードで駆け抜けていく感じ。


「待って、置いていかないで」


大きな声を出しているはずなのに
風が通り過ぎていくように気が付いてもらえない。


命だけがあっても意味がない

声が出せるだけでも意味がない

夢があるだけでは意味がない

ここにいるという存在があるだけでも意味がない


人として生きていくことは、
たくさんの意味が必要なのだと気が付いていく。

それも「当たり前」という基礎があってこそのもの。
当たり前の上に、たくさんのものが積み上げられていく。

どんなに傷ついている人がいても
どんなに運命という苦しみに打ちひしがれている人がいても

綺麗事だけを並べて、味方の振りをする人ほど
世界に組み込まれているだけで、幸福だと説いてくる。

そしてさらに追い打ちをかけるのがセオリーだ。


話せること、家があること、歩けること、進めること
服を着れること、食べ物が手に届く範囲にあること
戦争がないこと、清潔な水が飲めること・・・


そういうものを持っていると言い聞かせてくる。

そうじゃない。そうじゃないんだよ。


僕らが必要なのは


あなたが、今、見せびらかしながら持っているもの。
それが僕らに必要な”生きるために大切なもの”なんだよ。

うまく説明のできない「幸福」を手に入れられないということは
簡単に自分自身を見失うことになってしまう。

世界から排除させられてしまう。


何度も繰り返しているけれど

人は幸福になることで、これまでの地獄を簡単に忘れてしまう。
人として生きるためには、必要な防衛手段であるが。

けれど、説明のできない幸福を手に入れた者たちは

忘れたことさえ気づかないのに
「過去の乗り越えた出来事」を振りかざして押し付ける。

気づかずに振りかざす剣は、誰かを殺しかねないものだ。

自分が人を傷つけていることにさえ気が付けない。
それが、幸福になる、報われるということでもあるんだけど。


説明のできない幸福を手に入れるためには
当たり前にならなくてはならないという意味不明なロジックである。

世界から排除された者たちは
名前のない幸福や現実を探し求めなくてはならない。

一度、外に出れば多くの人が持っているのに
自分だけが得ることができないものがありふれていたとしてたら。


はずれ者たちは、常に考えている。
何度も立ち止まるたびに、何度も挫けるたびに、何度も戦うたびに。

自分に欠けてしまった「当たり前」を探している。

はずれ者たちは、常に考えている。
何度も立ち止まるたびに、何度も挫けるたびに、何度も戦うたびに。

たくさんの当たり前を持つ強者たちからの押し付けに怯えている。

はずれ者たちは、常に考えている。
何度も立ち止まるたびに、何度も挫けるたびに、何度も戦うたびに。

名前のない「幸福」を取り戻そうとしている。



夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。