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戦争は繰り返してしまうものなのかー社会的排除は戦争の種?ー


いかに必要であろうと、いかに正当化できようとも、戦争が犯罪だということを忘れてはいけない。ヘミングウェイ(米国の小説家、ノーベル文学賞受賞 / 1899~1961)


日本は2都市の核攻撃を受けたことで

8月14日に「ポツダム宣言」を受諾し

1945年8月15日の正午ごろ

昭和天皇が、玉音放送をもって国民に降伏を知らせた。

そして約15年間続いた、「戦争」に幕を下ろした。


日本において、人口約7000万人ほどに対して約310万人(軍・民間含む)、そして世界中を合わせれば約7500万もの人々(軍・民間含む)が、第二次世界大戦で命を落とす・奪われた。

この第二次世界大戦は、約90年前ほどに幕を開けることになるが、まだ100年も経っていない出来事であることを忘れてはならない。そして、自分たちと同じぐらいの若者や子どもたちが、戦場に行き、殺し殺されの中にいたのだと深く考えなければならない。

戦争は、お互いの正義と理想(思想)がナショナリズムの中で絶妙に混ざり合い、そして暴力的に作用することで始まる。文明が発達すればするほど、優劣があるようで優劣がなくなり、言葉と言葉が無意味に思えた結果が戦争に行きつく。また、小さな行き過ぎた愛国者たちが、混迷と失望のなかで、一つの偏った「思想と過剰性」を武器に変革していく過程ともいえるだろう。

どんなに世界中で多くの犠牲が出した戦争を起こしても、現在もなお形を変えて”戦争”は続いている。命を奪うことだけが戦争ではない。経済や文化などで行われる「代理戦争」も同じことである。

しかし、どうして人間は同じ過ちを繰り返そうとするのだろうか。それが人間だろうという言えばそれまでかもしれないし、そうしていかなければ進歩・発展することが不可能になるからだろうか。

そもそも、人間は小さな戦争を繰り返す生き物である。いじめや優劣をつけて排除することは「戦争への対応」を高めるための行動なきがしてならない。いじめも優劣をつける行為ことも、必ず勝者がでなければ終わることない。

いじめや排除などに勝つことできれば、自国の防衛ー自分の世界や環境の中で能力や人という資源を使いーを上手く対処することができれば侵略(環境や心を壊れること)されることはない。しかし、負けてしてまえば、文化も思想(これまで積み上げてきたもの全て)そのものが勝者のものになってしまう。その結果、占領され、文化文明を焼かれてしまい、あげく”国”自体(自分自身)がなくなってしまうこともある。

我々若者は、戦争そのものを否定していても、社会で繰り広げられている「戦争の種(いじめや優劣・排除など)」や国家間の「代理戦争」、そして「戦争に繋がるも)もの」には、愚かなほど無関心である。

一方で、最近のドキュメンタリーでは、今まで口を開かなかった者たち(戦争経験者)が少しずつ語り始めている傾向がある。もちろん、本当に語り継がなくてはならない話を墓場まで持っていこうとする人もいる。しかし、それでも語ろうとする語り手たちは、自身の高齢化や人間としての寿命が近づいてきているからこそ使命感として口を開くことが増えたのかもしれない。


我々、戦後の日本国で生まれて育ってきた者は「戦争」を知らない。もちろん、世界中をみれば「戦争(紛争)」が起こっている地域はある。しかし、私たちは”テレビの中の出来事”としてしか認識できていない。

でも・・・どうだろうか。

現在、香港では「逃亡犯条例改正案」を巡り行政と民衆で攻防戦を繰り広げている。中国への引き渡しが行われてならないように主張している。

しかし冷静に眺めてみれば、香港政府(現在は共産的?)と民衆(民主主義)と闘いになっていて戦争とも見える。そして、中国軍の介入がもしかすると始まる可能性もある。台湾ほどではないかもしれないが、これだけ近くの国?で正義と理想(思想)の衝突が起こっていることに、より目を向けるべきだと思う。

そうやって高みの見物をしている我々だけれど、今の日本は、少しづつ見えないように昔の日本に戻りつつある。言及することはしないけれど、法律や政治をしっかりとみれば自ずと見えてくるのではないだろうか。

毎年毎年、我々は第二次世界大戦でなにが起こったのかを考えていかなければならない。考えたくない、面倒臭いとして放置した先には、取り返しのつかない未来が待っている。そして、自分の意思なんて関係なく「戦争」に駆り出されて命を落とすかもしれない。

自分の夢も自分の生活も全てが、大きな何かによって消費され、その大きなものに自分自身も盲目的なってしまう。

そんな恐ろしい日は来るとしたら・・・

僕らは、もう少し世界に興味を持つ必要がある。ただ、今が楽しければいいとした先には、どんな世界がまっているのだろうか。


夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。