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大勢の人のなかでの「天涯孤独」


誰も自分だけを見てくれるわけではない。だから、誰にも期待してはいけない。誰にも期待などしてない。

全ての人が、僕を直視して欲しいとは思わない。
四六時中、自分を感じていて欲しいというわけじゃない。

ただ自分が誰の心にも存在していないのが苦しいのだ。親でさえ、友人でさえ、誰の心にも僕はいない。

「心にいない」その意味は

大切にしてもらない、愛してもらえない、仲間だと思ってもらえない。どんな努力の上にも、構築できないものが人間関係ということである。

そもそも、何が友人なのか、恋人なのか、家族なのか・・・


それさえも分かっていないのが原因であるけれど

僕にとっては、その三者とも「相互関係」だと思っている。

現実では、自分から「自分のキャパシティ」を超えた関わり方をしないとならない。誰も答えてくれないという時点で、その関係性は破綻しているのだろうけど。

気軽に誘うこともできず、場を整えて、手取り足取り教えて、予定合わせは全て自分のみ、自分のことを優先してもらえるわけではなくて、発信も行動も僕だけになって、僕だけが走り回って・・・

それも友人であり、家族であるとしたら、なぜ僕にはそうしてくれないのだろうか。
考えれば考えほど、自分が「本当に存在していない」のだと理解しなければならなくなる。

よく「自分を大切にできないから、他者に大事にされないのだ」と聞くが、どうやって自分を大切にしていいか正直わからない。自分を大切にする方法って、他者から教えてもらうものだと考える。

孤独であっても、常に相手重視で考えてきた。自分の言い分は抑えてきた。自分のやりたいこともできないなかで、どうやって自分を大切にすればいいのだろうか。

あまりにも追い込まれると、自分から壊してしまおうとする気持ちが出てくる。そうしなければ、自分はずっと相手達を思い続けないとならなくなる。


自分だけを押し殺していけなければならない。
相手に何かを求めれば、それが破綻すると知っているから望むこともできない。

たくさんの人が世界にいるし、間接的に自分の周りにもいる。確かに直接的関わってくれる人もいるけれど、無理をしなければ続かない関係である。それは正しいことではないし、捨て去れないといけない。でも捨ててしまえば、本当に本当に・・・。恐怖が勝ってしまう。

そういえば、この自分の世界を端的に表現できるものがあったではないか。

こういう感情や状況を封印していて表現できないでいた。忘れていないと自分が自分として存在できなくなってしまうから。

でも、そうか忘れてはいけないことだったんだね。

僕の世界は、スクランブル交差点の中央で誰にも認識されずに、車も絶妙な感覚で通り過ぎる世界。

あらゆる祝福を受ける者たちのなかで
あらゆるものが存在しているなかで
あらゆるものが希望を見つめているなかで
あらゆるものが何かを交換し合えるなかで

僕が苦しみ続ける理由

それは、大勢の人々がいるにもかかわらず、僕は「天涯孤独」だということだ。
だから、言葉も涙も届かないのだ。だから、許しも愛も幸せもないのだろう。

草木も花も何も咲かない世界に、僕は何を思って生き続けているのだろうか。

何も期待していないとしながらも、何を期待して生きているのか。それは多分、僕が「人として」世界に組み込まれたい。

それだけなのだ。


夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。