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「終着駅」も「途中駅」もない線路


どこまでも続く電車。誰も乗ってこない電車。
窓の外に映る光景だけを追うだけの時間。
眺め続けていると、僕は僕としての「存在」が溶けてゆく。

もう何も期待はしない。
もう何も望みはしない。
もう何も思いはしない。

揺られる”人生という名のレール”の上をただ進む。

人生が壊れたからこそ、何かを得るものがある。
そんな美談を語れるほど、世界は甘くない。

けれど、失ったからこそ壊れたからこそ

何が足りなくて、何をしなくてはならなくて
これ以上、自分が嫌な気持ちになることはしたくない。

そして、僕は、やはり譲れないものがあると。


あの子たちのようにはなりたくない。
あの子たちよりも幸せにならないと。
あの子たちよりも上に絶対行くんだ。


やはりそれだけは譲れないものなのだ。

今の自分には、到底彼らを追い越すことなんてできない。

所属のない自分には進むこともできない。
本当に得たい所属を得るまでは闘い続けるわけだ。

ただ、僕の得たい場所は、年齢制限もある。
そして、それを得るためには、僕の力では難しい。

今こうして社会と断絶しているからこそ
そこに向かうための力を蓄えていると楽観視できればいい。

そう、楽観的になれればいいのに。
確実に得られるものじゃないからこそ押しつぶされてしまう。


終着駅も途中駅もない人生は、とても疲れてしまう。

新幹線や寝台特急のように揃っているのならいいかもしれない。

しかし、僕の人生は田舎の古い電車である。

そして自動運転という誰も乗務員が乗っているわけでもない。
倒れたら自力で起き上がるしかない(今、そんな感じ。)

車内はきっと血の海かもしれない・・・


少しでも状況が動くのならば、物事が飛躍的に動く気がする。
でも、たぶん、それは、ただの思い過ごしかもしれない。


こんなありえない世界はおかしいと
不平等という暴力を、どのように乗り越えるのか。

命と人生に「エチュード Op.10-3 ホ長調 「別れの曲」」が流れながら

途方に暮れながら世界に揺られて奈落へ進む。

夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。