“普通”だけを追い求めて生きている人へ
そろそろ向き合わないと嫌な思いをしてしまう。
「向き合うこと」は、自分を強制的に変えることではない。諦めることでも、歩みを止めることでも、自分だけが割を食うものでもない。
自分だけが傷つく必要はどこにもない。自分を押し殺して無理をしながら、みんなと同じようにしなくていい。
理解してくれない人、簡単に縁を切る人を、自分の責任にしなくていい。
でも
ずっと「普通」になることだけを求めてきた
みんなのようになりたかった。でも普通なんかになれないと気が付いた。普通にはなれないんだね。
ずっと普通になることが“正解”だと思っていた
雨に濡れたときの気持ちも、春の風のにおいも
冬の高く澄み渡る空を眺めることも、全て同じはずなのに、どうして自分だけ「違って」しまうのだろうって思った。
一度、失敗してしまうと、二度と元に戻れないことを理解したくなかった。戻るために努力すれば、ちゃんとレールの上に戻れば、普通になれると信じていたね。普通になれば、幸せになれると頑なになっていたね。
自分が悪くないのに、たくさん傷つけられたね。
自分だけが嫌な思いをして、悪いことにされて本当に辛かったね。
一つ一つ乗り越えていることを褒められたかったね。僕だけにしかない素晴らしいものを大事にしてほしかったね。生きているだけで「ありがとう」と思われたかったね。
確かに自分自身でさえ
ちゃんと自分の人生を通して、自分と向き合ってきたかと言われれば避けてきたね。だって味方も、理解者もいないのに、自分を見てしまえば
僕は僕としての形を保てなくなってしまうから
だからいろいろなことを見ないように見ないようにしていたね。でもそうすればするほど、みんなにあって自分にないものが見えてしまったね。
「ないもの」を見ないようにするために生きるエネルギーを大量消費した。
誰も味方がいない、誰かが助けてくれるわけではない。だから余計に自分の身を守ろうとすると体力や精神力が失われて。
友達が作るのも、人間関係を続けていくためにも「普通」であることは必須条件だった。しかし、それを求めようとすれば自分をたくさん傷つけないといけなかったね。無理をすればするほど、わからないことをわかったふりをするほど
話を合わせようとするほど、嘘で塗り固めようとすればするほど
自分の気持ちも、自分自身も見えなくなってしまったね。
どこにもいない自分を どこまでも自分だけがいない世界を必死に生きる自分をどうか嫌わないで
まだ向き合うのが怖いね、なんで自分だけなんだろうね。おかしいね。
でもそこまで悩まなくていい。一人でいる自分を否定しなくていい。
自分の世界を壊されても、自分の世界を作っている自分は凄いのだから。
それでも辛いのなら、もう頑張ることをやめればいい。おかしい世界で生きていなくていい。
壊された世界で好きなものを探すのもおかしい話だものね。
ただ一つ思うんだ。
苦しんだ自分を、馬鹿にされて自分を、傷つけられた自分を守ってもらえなかった自分を、泣きながら走り続けた自分を、必死になって世界を取り戻そうとした自分を
普通になることに向き合った自分を自分で否定しないで欲しい。
それぞれの自分に嘘でもいいから、感謝とねぎらいをしてから元の自分の世界に戻ればいい。
それをしてから、あるべき世界に戻るのも悪くないんじゃないかな。
苦しいね、悲しいね、おかしいね、なんで自分だけなのかね
それには必ず意味がある
周りの人間よりも、世界の苦しみを知っているのだから。
夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。