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戦争の惨禍を忘れないためにー振り返りながら今を考えるー


参考に画像があります。もしよかったらご意見をお聞かせください。

①あの日に何が起こったのかー原爆投下のあの日ー


今日はどんな日か覚えていますか?

74年前(1945年 昭和20年)の8/6 午前8時15分に
広島に原爆が投下されました。

当時の広島の朝は、快晴でとても暑い日だったそうです。
原爆が投下された当時は、広島に35万人前後の人がいました。

住民から軍関係者、疎開者、植民地だった朝鮮・台湾などの強制徴用者、少数の留学生、アメリカ人捕虜などの多岐にわたる人間が生きていました。

相生橋のほど近くにあった、島病院の上空で原爆は炸裂します。

爆心地から半径1.5キロメートルは、全壊・全焼し、半径4キロメートル以上の地域が甚大な被害を受けます。目もくらむほどの閃光が、3000度以上の熱と風で一体を焼け野原にしてしまいます。

爆発後、「原子爆弾の炸裂と同時に、放射された高温の熱線により市内中心部の家屋が自然発火し、続いて市内のいたるところで、倒れた家屋の台所で使われていた火気などを原因とする火の手(広島市 高熱火災による被害より一部引用 http://00m.in/Q6anF URLは短縮しています。)」が終日に渡って続きます。

また、黒い雨という放射線を大量に含んだ雨が、「広島市の北西部で大雨が降り始めました。被爆後の調査では当初、爆心地から北西方向の長さ約29キロ、幅約15キロの卵形のエリアで降った(ヒロシマ平和メディアセンター 広島用語→黒い雨 http://00m.in/u50yJ URLは短縮しています。)」とされています。

原爆の爆発によって、多くの人が亡くなりました。生き残った人も多くいましたが、後遺症と闘い、差別や偏見に苦しみました。

惨劇も間もない数日後(8/9)、長崎にも原爆が投下されます。

そして、1945年8月15日に終戦を迎えます。

終戦20年ほどで原爆投下前までの人口に戻り、約40年後には政令指定都市にまで劇的な復興を遂げます。

しかし、都市は復興しても人の心は完全に戻ることはありません。どれほどの苦しみはあったのでしょうか。当時を語れる人々も少なり、原爆投下の事実さえ遠い日の記憶になっている若者は多い。そして、日本だけでなく世界は、第二次世界大戦が繰り広げられた恐ろしい日に戻ろうとする片鱗が至る所にできています。

②身近に感じてこそー各都市の地図からー

その恐ろしい日に戻らないためには、何ができるのでしょうか。

その一つに、当時の状況を身近に感じるという視点が大切だと思います。原爆投下の被害範囲を見てみたいと考えました。広島の中心部で爆心地半径1.5キロメートルと半径4キロメートルの地域を現在の地図に当てはめました。

そうすれば、別の場所に住む人もピンと来るかもしれません。

以下の地図は、中心の円は半径1.5キロで外円が半径4キロです。こちらのサイトより使用http://r1web.realwork.jp/index_c.html



横浜駅を中心としてみる。

東京駅を中心にしてみる。

新宿駅を中心にしてみる。

大阪(梅田駅)を中心にしてみる。

福岡(博多駅)を中心にしてみる。

最後に北海道(札幌駅)を中心にしてみる。


いかがだろうか、これだけの範囲で原爆が投下されたのです。
もし現在と照らし合わせてみた場合、どうなるでしょうか。

横浜駅であれば、みなとみらいや有名な商業施設は来てしまう。
東京駅や新宿駅だったとしたら、どれだけの人が被害を受けるだろう。
自分の住んだ場所が、楽しく旅行した、帰省した場所が焼土となったら一体に何を考えるだろうか。

原爆だけでなく、大都市には大空襲が行われました。

戦争は、偉い人たちだけの言い合いや間接的(代理戦争…経済などの)だけで終わるならば再建は容易かもしれない。しかし、これがまた同じような形で繰り広げられるとしたら・・・。

自分たちの小さな疑問せいで、自分たちが真剣に向き合わずに決めた選択で、自分だけよければ無関心でいいと思ったことで、情報を正確に選択しないせいで、楽しい仕事、恋愛、セックス、遊び、お酒などの一部だけの幸福を独占したせいで

一部の人間と人間で決めてしまった世界の先には何が起こるのだろうか。

③最後にーこれから世界にー


人が”生きていく”というのは(もちろん起こらない人も多いが)

恐ろしいほどの出来事が、いつも前触れなくやってくるものである。
また、人生が狂ってしまうほどの悲しみは、突然身に降りかかる。

ただ、戦争は違う。戦争は、常に「計画者と実行者」がいる。
人生の死神のように、なりふり構わず急に”生活”に鎌を振り下ろさない。

綿密な計画と究極にまで膨れ上がった愛国心、そして己の正義に反する者(人や国)を罰する強固な意志の名のもとに進められる。

人間は、自分自身がうまくいっていると世界を真剣に見ようとしない節がある。自分だけよければいいと考えてしまう。

戦争が起こらないためには、格差や差別、そして富の独占、一部の世界のみに所属しない・生きない。ということが必要になってくる。いじめというのも戦争が形を変えているだけで同じかもしれない。

今、生きていて、楽しくいられて、孤独ではなく、愛されていて。そういう世界があり続けるには「世界が平和である」ことが必要になる。もちろん平和であっても「誰かの犠牲」の上に成り立っている。

小さな犠牲や小さないざこざ、そして自らの幸福のみを望むことの先には、戦争という形で破滅が生じてしまうのではないだろうか。

人権を語らない・知ることをしない者、人権に関わりながらも「本当の意味」で手を差し伸べない者など多様さがより世界を複雑化にしていることも否めない。

今一度、歴史を振り返りながら、自分だけという「自己中心的」になっていないか、自分の生きている環境や国がどうなればいいのか、どうあればいいのか、この1~2週間は考えてもいいのではないだろうか。

ー参考ー

図録 広島平和記念資料 ヒロシマを世界へ

ヒロシマ平和メディアセンター http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?lang=ja

広島市HP http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1111642624044/index.html

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