信頼って共有によって生まれるのかもしれない

阿吽の呼吸に憧れていた。誰かの気持ちを察して、先回りして行動しておく、みたいな。でも、今はあんまり憧れていない。なぜなら、それでうまくいくケースをあまり見ないから。

最近、信頼とはつまり共有なのではと思うことがある。わたしはなかなかに苦手で、それがきっかけで仕事がうまくいかなくなったことがあるからなおさら。

言わずにやっておこう、みたいなのは一見良いように思えるけれど、大して素晴らしいことではないなと思う。

「あれ、やっておきました」
「ええ? それは〇〇にしたいから触らないでほしかった…」
「ええ? そうでしたか、すみません…」

みたいなやり取りを、まあまあの頻度で目にする。良かれと思っての行動が、ことごとく裏目に出てしまうみたい。なんなら、その結果、信頼できないと評価される方も見てきた。

それなら、ルーティンや役割分担の決まっていないことに関しては、共有から始めたらいいのでは…? それが信頼を作るのでは…?

信頼って、なにも口出ししなくても円滑にコトが進むこととつい思ってしまう。ただ、そんなにスペシャルでミラクルなことはなかなか起こらない。

それなら、ひとつずつ共有したらいい。誰かが、じゃなくて全員が。言った言わない論争も大変そうだから、できればテキストで。スタンプとか一言くらい、受け取ったほうも返して。

そんなふうにしたら、小さな信頼がコツコツ積み重なるのではないかな。わたしはできれば、そうしたい。

ついでに言うなら、苦言も悩みも、できたら全部共有したい。言いたくないことも言えちゃうくらい、信頼の生まれた人間関係を作りたい。まあ、なんでも言ってねの一言だけでそんな関係が作れるのなら、ひとつも苦労はしないのだけれど。


(最近、いろいろなことを考えるようになってきたので、短い文章で細々とアウトプットしてみようチャレンジをしてます。つい長くなってしまうので、1テーマで短くできたら最高)


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鈴木しの

文章の人。ビジネス系のライターだったり、写真メディア「Photoli」の編集者だったり、旅と仕事にまつわるコミュニティのマネージャーだったり。あと、おおむね旅してます。

#あふれる思いの言語化ブース

ふだん言葉に残す時間がなくて、いつの間にか消えてなくなりそうな感情を、その瞬間に少しでも残すための場所。
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