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「どうせ夢は夢のまま」なんかじゃないと、私は今なら思う

同い歳の幼馴染から、連絡がきた。

彼女がそう連絡をくれた理由。わたしが新しい家で一人暮らしを始めたから……はたぶん、2番目。一番は、聞いてほしい話がある、だ。

新卒2年目の彼女は今、賃貸物件を売る仕事をしている。シンプルに言うと、不動産の営業だ。切望して入社したわけではない。就職活動に悩んで、ひとまず入社した、といった方が感覚としては近いだろう。

入社してから、今年の春で丸1年。その1年間で、わたしは彼女に4〜5回ほどは会っている。連絡自体も比較的多くの頻度で取っている。ただ、その間、彼女から「仕事が楽しい」と聞いたことは、たったの一度もなかった。


会う度に、悩んでいた。「営業に向いていない」「職場の人間関係が大変」「やりたい仕事も見つからない」「転職活動も面倒」。解決したいだなんておこがましくは言えないものの、ずっとそばで見ているのも辛かった。なんとか、少しでも力になりたいと思った。

そうして、引っ越しを言い訳にして自宅に呼んだ。わたしも、手持ちの仕事のほとんどを終わらせて。彼女のキャリアに、真正面からとことん向き合ってみたいと思ったからだ。

前日の夜に渋谷で待ち合わせて、夜ごはんにスープカレーを食べ始めるやいなや、相談会は始まった。ゴングが鳴った瞬間からフルスロットルで悩みを語り始める彼女の姿を見ながら、わたしも一緒にその悩みをまるごと受け止める覚悟を決めた。


話の内容を、箇条書きにまとめてみるとこうだ。

● 営業に向いていない
● とくに、ひとりと深く長く付き合う営業は辛い
● しかも家の契約はライフスタイルの変化を伴う大きなものだから、そこに関わることがストレス
● 「向いているかどうかなんてまだわからない」と周りの大人は言うが、感覚的に向いていないとわかる
● 努力して営業成績を上げたいとも思えないし思わない
● ただ、転職活動を頑張れるほどの熱量もない
● そもそもやりたいことや続けたいことがわからない
● 過酷な条件で働くのは嫌だし、固定給が少ないのもストレス
● 過去に2度「辞めたい」と上司に切り出しているものの諭されていて、3度目を言うのはためらってしまう

彼女の気持ちが、痛いほどよくわかった。なぜなら、わたしもそうだったから。

世の中にはあまりにも情報が多すぎる。わんさかある選択肢の中から、向いていることや好きなことをスパッと見つけるだなんて、いささかハードモードすぎる、と思う。

だからわかる。現状をどうにか変えたいけれど、どう変えていいのかわからないことがどれほど苦しいのかを。「どんな道が」「どこに」「どのくらい」あるのか、そのすべてを知らない状態で「走ってみなさい」と言われてしまうことの、苦しさを。


わたしは、彼女のメンターなんかじゃない。彼女と同じように、23年間分の人生しか生きていないのだから。

ただ、わたしは幸いにも「この道で歩きたい」と感じられる道に3年半前に出会って、今ここにいる。だから、彼女を昔から知っている友人代表として、一緒にワクワクする未来を探したいと思ったのもまた、事実だった。

そうして、スープカレーを食べ、自宅で話し込み、次の日。ランチをしようと入った新宿のカフェで、再びキャリアの話をひとしきり語り、その後、ずっと気になっていた問いを単刀直入に聞いてみた。

「本当は、やってみたいことがあるんじゃないかな? どうせ無理だ、仕事にはできない、と思っているだけで」

彼女は、少しだけ口をつぐんだ後、そっとこう答えてくれた。

「文章に関わる仕事がしてみたい。校正とか、校閲とか」

「その業界にいる手頃な友人を目の前に、どうして1年半もそれを黙っていたんだよ(笑)」と冗談を交えつつ返す。彼女の回答は、わたしの予想とドンピシャだった。

というのも、彼女と一番多くの時間を一緒に過ごした中学時代の3年間、彼女は今文章を仕事にしているわたしから見ても引くほどの、本の虫だった。

暇さえあれば図書室にいるし、休み時間の度に本を読んでいる。家に遊びに行っても、なぜか遊びといえば読書。わたしも、そんな彼女から教えてもらって本をたくさん読んだ。

もちろん、だからといって彼女が文章を仕事にしたいと思うかどうかは、正直なところわからない。ただ、わたしから見た彼女が「文章が好きな人」であることには間違いがなかった。

まあ、文章を仕事にしている幼馴染を目の前に、しかも、まあまあハードワークで駆け抜けている姿を見ていたら「文章を仕事にしたい」とは恐ろしくて言えないような気もした(わたしがワーカホリックすぎるだけ)。


この話し込んだ2日間で、彼女の考え方に変化があったのかどうかはわからない。結果的に仕事を続けるかもしれないし、あっという間に退職して新しい道を歩き始めるかもしれない。

その答えはどちらでも良いと思うし、選んだ道を正解にするしかないって、尊敬している人が言っていたのでたぶんそういうことなのだとも思う。


カフェを出て、温泉に向かう山手線の中で、彼女はわたしに言った。

「話を聞いてもらってばかりでごめんね。しのは悩んだりしてないの?」

ーー何言ってるの。悩むことだらけだよ。フリーランスですごいね、なんてたくさん言ってもらってきたけれど、全然すごくなんかない。自分のキャリアにも覚悟を決められていないと思うし、ずっと怖くて不安。不甲斐ない自分に泣きそうになるけれど、誰に話していいのかわからないし、悩む暇なく納期がやってくる。そんな毎日だよ。

そう返すかどうか迷って、やめた。今話すべきは、わたしの悩みではないと思ったから。

でも、考えてみたら、わたしは言うほど悩んでいないのかもしれない。いつも、先を歩く人たちの背中を見ながら、自分らしい道を模索することを選んできたような気がする。

この文章に、わたしは何度も心を拾い上げてもらってきた。文章の仕事に興味を抱き、憧れ、ゆるりとした気持ちで飛び込んで。知ったのは、文章を仕事にする喜びと辛さの両方だと思う。

それでも、なんだか3年間走り続けられた。そんなものだと思う。あのとき抱いたふんわりとした夢は、決して憧れだけには留まらなくて、ちゃんと形になって手元にやってきてくれたから。

好きなことや興味のあることが、必ずしも仕事にするべきことじゃないと、わたしは思う。でも、少しでも仕事にしたいと思ったのなら、少しだけ歩んでみるのだって悪くない。迷ってしまったら、また新しい道を探したらいいじゃんね。


(最後になりますが、今回は、幼馴染に許可をいただいたので記事として公開してみました)

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