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「良い店」はどうやって探す?

病理医ヤンデルさんが今朝のブログで良い店に出会うことの難しさを書いていた。

多くの店がインスタ映えの手管を上達させたことで、写真の印象だけでは店の良さがわからなくなっているという話だ。言ってみればセールストークは魅力的だが実際の商品はそうでもない、という「羊頭狗肉」的な打ち出し方をする店が多いということだろう。

インスタではないネットのお店サイトといえば食べログが有名だが、例えば接待などで外せないお店を探したいとき、自分も食べログを参考にすることがある。口コミが全てではもちろんないが、レビュー評価が3.5以上だとある程度以上のクオリティは望めるだろう…みたいな基準にはなっている。母数のそれなりに多い評価というのは誤魔化せないものが出てくるからである。

個人的な話になるが、結婚して子どもが生まれてからのこの10数年の期間、外で飲むという機会は激減した。というか、それまでの人生(20歳くらいからだから約15年間)と比べると外飲みは皆無になった、と言っていい。独身時代は本当によく飲み歩いたし、さまざまな店にも行った。ベンツが買えるほどは飲んでいないと思うが。

そして当時、ネットで店を探すという文化はほとんどなかった。だから自分の店の探し方というのは、圧倒的に「通りすがりに店構えを見た印象」や、いくばくかの雑誌メディアでの紹介にとどまる。知り合いに良い店を教えてもらうこともあったが、これは比率としては本当にわずかだろう。

言わば「ジャケ買い」で店を選ぶ頻度が高かったのだ。物事はくり返すことで修練度を増す。つまり、良い店を探し当てる妙な勘のようなものが養われるのである。事実、一時期は「嗅覚で良い店がわかる」的なことを、冗談半分ではあるがうそぶいたこともあったのだ。

だが今振り返って考えてみると、外見だけで良い店を当てるなどということは勝率の低い綱渡りだったはずだ。もちろん当たることも多々あったし、良い店は外観からわかるというのはある程度の事実である。人間の第一印象はそれほど間違わないという法則に似ている。「外見は一番外側の内面」というやつだ。でもそれは一種の賭けである。賭けの勝率が高いというのはあり得ない。

飲み歩きは浪漫のある行為である。酒に酔いながら、行為に酔っている。まだ若く視野狭窄な当時の私は、自らエイヤと選んだ店が良い店であったと思いたい、事後の認知バイアスのようなものがあったのではないかと今にして思うのである。

今となってはもう確認しようもない話だけれど。


ちなみに冒頭で紹介したヤンデルさんのブログだが、一度私のことを取り上げてくれた日があった。それをシェアしてこのエントリを閉じようと思う。
それでは、どうか良い飲み歩きライフを。


やぶさかではありません!