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自分についてのQ&A その1 死について他


このQ&Aにおける質問は、後藤繁雄「skmt」から一部引用している。つまり坂本龍一に投げかけられた質問だけを拝借しているわけだが、これはひとえに「決められた質問があれば何かを書くことはずいぶんと容易になる」という自分自身の経験則によるものである。ちなみに元のQは同氏の「千のナイフ」になぞらえたのだろう、なんと1000もの質問がある。だがとてもそんなには答えていられないので、無作為にチョイスした質問だけに答えてみた。なお、1エントリごとのQ&Aはわずかである。例えば今回は15個に留めている。そして今後は書きたくなったら不定期に書くという無責任形式を採らせていただく。あしからず。


たった今考えていたこと
足元が冷たいなということ。早く冬が終わってほしい。


自分自身について、どんな映像的イメージ?
鏡で見たり写真で見たりする自分の姿が小さい頃から嫌いだった。30代のある時に少し折り合いがついたが、それでもあまり気に入っていない。最近はやはり歳を取ったと感じている。白髪もほとんどなくまだハゲもないが、髪のハリとか弾力とか、あとは口元が歳を取った。以前誰かと話したことがあるが、いろんなものが口元にあらわれる。品性とか、年齢とかだ。


今、まわりを見渡して気になるものは?
とりあえずMBPが古びてきたので、新しくなると嬉しい。でも、まとまったお金は子どもとか家のことに使いたい。自分のことは後回しだね。


自分が支配するもの、自分が支配されるもの
自分が支配しているものはない。自分が支配されていると思うことはたくさんある。支配という言葉がよくないのかもしれない。それのせいで自分の何かが決められてしまう、不自由さをかこっているというのは無数にある。広義では死への恐怖や不安感もそうだろうが、行動を制限されてるという意味では、お金なんかもそうですね。お金があれば自由、とは言わないが、お金があれば不自由から逃れられるということはある。


死について
誰もがいずれ通過することのわりには、それについてイメージすることがタブー視され、「縁起でもない」とか言われるのが不思議だと思う。死んだ気になればなんでもできるという。ある意味でそれは真実かもしれない。逆説的だが、死をイメージすると元気が湧くということはある。現世的なレベルでとらわれているさまざまなモラル的な価値観が、実は小さなことだと思わせてくれる。
肉親の死は、父親の臨終に立ち会いました。生きている最後のほうの時期はつらかったと思うので、父のとっての死は解放だったと今でも思っています。


友情・友人について
先日、学生の頃の友人と久しぶりに連絡をとった。年賀状経由。古い友人との繋がりってもうあまりないので、嬉しかったですね。僕にとっての友人関係はネット以前と以後に大別される。ソーシャルによって友人は作りやすくなったと思う。ソーシャル独特だなと思うのは、会わなくても友人たりえること。むしろその時に何を考えているかというのはテキストのほうが発しやすかったりする。会うと、どちらかが話している時にはどちらかが聞き役になる。また、時間的制約がとても限られたものになる。ゆえに、Twitterのような独特の形式のソーシャルがもっともその人の価値観が浮き彫りになったりする。


苦痛なものは?
抑圧的なことは苦痛です。


くつろぎの時は?
休日の朝、家族の中で一番早く起きて、インスタントコーヒーをいれて過ごすひとりの時間。あと、休日の午後に散歩しながら写真を撮って、インスタ経由でソーシャルにアップしているが、その「きれいなものを探すための時間」という時のありようにとても癒される。いいねがついてもつかなくても別によくて、陰影のきれいなお気に入りの空気感が撮れることに満足する。あとはこの10年間ずっとそうだが、娘と過ごす時間はまったくそうですね。


反抗的?
納得できないことには結構NOを言います。


何に似ている?
何に、というのはないが、わりと有名人に似ていると言われることが多かった。一重のタレ目というのが特徴的なのだろう。今まで言われたことのある人をこの機会に思い出して挙げてみる。笑福亭鶴瓶、布施博、長州力、武豊、テイ・トウワ、井浦新、ペヨンジュン、しりあがり寿、最近では中村倫也。


「鏡」から連想すること
「問題。鏡はなぜ左右を逆に映すのに上下は逆にならないのか?」


小学校の思い出は?
ずいぶん前に廃校になったと聞いた。子どもの数が減りすぎたのだ。もともと過疎的とも言える地域に住んでいたので、当時から1学年1クラスという感じだったが、とりわけ僕の年代は人数が少なくて、男子11人、女子が7人の計18人のクラスだった。もちろんこれで1学年。僕はと言えば、クラスで一番脚が遅くて、クラスで一番勉強はできた。頭でっかちなタイプでしたね。あと、先生に気に入られやすい子どもだった自覚がある。先生が何人か当てて誰も答えられない問題があると、よく先生が僕を指名して答えさせる、というシーンが多かった。学級委員長は基本的に立候補なんだけど、6年になった時には特例的に先生の指名で委員長になった。学級発表の演し物では演者が三人だけの狂言をやったが、セリフの覚えがいいということで主役だったし、あまり可愛げのない子どもだったかもしれない。卒業の時に6年の教室のロッカーの裏に、こっそりマジックで名前を書いていた。廃校になったと聞いて、あの落書きも一緒になくなったかと感慨深かった。


イデオロギーとは?
不死なるものの象徴として、人が追い求めるものが2つ。それは神とイデオロギー。あと、今「イデオロビー」とタイプしてしまっておかしかった。イデオロビーってなんだ。


自分だけの儀式は?
このあいだ社員旅行で人生二度目のハワイに行ったのだが、今後の人生についてのちょっとした決意をする機会があった。その時に、10年ちょい前にハネムーンで泊まったモアナサーフライダーのベランダの揺り椅子に座っていた。自分の中では「ビーチバーの誓い」と呼んでいる。かように、何かを決意する時に、自分の中でちょっと特別なイベントを設けたり、場所を紐づけたりすることは結構好き。


家族とは?
血の繋がった存在と血の繋がらぬ他人が混ざって、ある種の役割に自分の人生を真剣に重ねていく。不思議と言えば不思議だ。共同体という意味での家族は、もっと雑多で大家族的でもいいかもしれないと思うことがある。でもそれはちっとも現実的でない。エゴが過ぎても迷惑だし、遠慮が過ぎても息苦しい。クローズドな価値観。家族って難しい。


今回はここまで。このQ&Aは不定期につづく。

やぶさかではありません!