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いいねされた数だけ全部嘘の自己紹介100

Twitterのハッシュタグ、#いいねされた数だけ全部嘘の自己紹介 のまとめです。現状、いいねの数に全然追いついていないので、書き足したらまた更新する所存。

※改訂内容:ツイート埋め込みからテキスト表記のバージョンに変更です。


001

チェコスロバキア共和国ゼムプリーン県ストロプコウ郡ミコー村から移民したルシン人の父オンドレイと母ユーリアの三男として、米ペンシルベニア州ピッツバーグでこの世に生をうける。

002
ツイッタラーとしての主題は「人間の心理、古典や説話のオマージュ、人間の宿痾、ダジャレ」

003
10年かけて名作のシナリオを書き上げると宣言して南西諸島の小島に引きこもったが、持ち前の怠惰な性格が災いしてトロピカルなアトモスフィアに身を委ねていたらあっという間に9年以上が過ぎていて、慌てて1週間でシナリオを書き上げたが安心感からか港のトイレに置き忘れてそれっきりに。

004
三交代制でツイートを生成しており、アシュラマンのごとくに一人一人の個性が違うため、同一アカながらツイートの傾向は、マジツイートとダジャレツイートと写真ツイートの三極に別れている。

005
明らかに一桁では終わらないだろうに〜⑨までしか表示できない丸数字で書き始めてしまったことについて、自分のバカバカバカ!などとは微塵も思っていない。(このnoteでは変更しました)

006
ツイートに関しては無類の記憶力の良さを誇り、重複となるツイートは過去に一つしかない。

007
早くもめんどくさくなって軽く後悔などしていない。

008
リアルでの口ぐせは「(ノ∀`)タハー」である。

009
高校時代は文芸部に所属し、ペンネーム「オサイ・ダザム」を名乗って一部に人気を博していた。

010
「なるほどですねー」という相槌をこよなく愛する。

011
アメリカ時代にポルノ雑誌を創刊して成功し、37万5000ドルの豪邸を購入するも、わいせつ裁判で散々な目に遭う。

012
帰国してからはインティライミ姓を名乗り、ミスチルのツアーに同行した。

013
はすっぱだった時代のクセが抜けず、一人称が時々「あたい」になる。

014
格闘家のチェ・ホンマンとは幼馴染で、自分の方が年長ということもあってよく泣かせていたが、その時に「ちぇっ、ホンマに泣いてんの〜?」と自分がよく言っていたことから、彼は後年チェ・ホンマンを名乗るようになった。

015
ハンブルグ時代のビートルズのメンバーでマラカスを担当していたが、ポールに音楽性の違いを指摘されてビートルズをクビになり、音楽からは足を洗った経緯がある。

016
いいねしない人は全員許さない

017
クラシック音楽に精通し、小平市在住時には「小平のコダーイ」と呼ばれた。

018
Twitterのbioにはいつも「おもしろきこともなき世をおもしろく」と書いている。

019
しいたけが好き。

020
「アメリカ横断ウルトラクイズ」の常連だったが、グアムの「突撃○×どろんこクイズ」で5年連続で逆を引き、人知れず引退した経緯がある。

021
実は三人兄弟で、三人ともTwitterをやっていた。長兄はイッパイ、弟はサンパイで、ニンパイという名前はそこからである。イッパイは情報商材を扱う商売をしていて炎上しBANされ、サンパイは「Twitterに張りついていないで現実を生きたい」ということで垢消しして旅に出た。ニンパイだけが残った。

022
「北極料理人」という映画の企画を温めているが、北極だけにいっこうに温まりきる予定がない。

023
1912年に沈没したあのタイタニック号に、曽祖父が音楽家として乗っていた。曽祖父の最期の言葉は「ユリイカー!」だったと言われている。

024
フランス南部のアルルで「ゴッホカフェ」を開き、料理は沖縄とのコラボでミミガーを出して「ゴッホの左耳」として売り出したが、さすがに趣味が悪かったのかゴッホの生前の絵のごとくにまったく売れず、一ヶ月で撤退した過去がある。

025
本名のイニシャルはJ・Cで、もちろん由来は「ジーザス・クライスト」である。

026
泪橋のたもとのボクシングジムで練習に明け暮れた時代があるが、不衛生さにキレて当時のコーチだった隻眼の男性をタコ殴りにして近代的なジムへ移ったが、のちにバレて練馬の東京少年鑑別所に収容された。


(「いいね」は100以上もらっていたはずなので、100くらいまで随時更新…あくまで予定)



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