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イントゥ・ザ・ワイルド

自由に書いた文章ほど不自由なものもない。どんなに好きに書いたものでも、文章という制約にがんじがらめになってしまう。それは文章という形式が持つ制約もそうだし、「ここではこういう書き方をするものだ」といった通念的な制約もそうだ。気づかないのである、もっと自由に、どう書いてもよいのだということに。

人の書いたものを読んだり、人の作ったものを見たりして、「なんだ、こうすればいいんだ」ということで覚える高揚がある。あれの正体は何なのだろう。書き方がわかった、そうすればいいのだという自己判明の喜びか、あるいは自分もこんな風にしたい、真似しようという模倣の道すじ発見の喜びなのか。

自由に見えるものというのはラディカルなのだ。ルールを踏襲していない。やり方を疑い、定型を破っている。そこには闘いとチャレンジがある。だから楽ではないはずだ。頭を一働きさせた痕跡が自由に見えるということだろう。プカプカのんびりが自由ではないのだ。

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