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すこし小さなお祈りを

広くなった道や美しいサイディングで整えられた壁の建物が並んでいる町にはいると、すこし悲しくなり、すこし寂しくなる。

ここは戦時中空襲で焼かれたから、爆弾を落とされたから道幅が広くきれいに整えられているとか、ここでは大きな地震ののちに区画の整備が行われたから建物がどれも新しいとか、大きな火事があったからその後消防車が通れる道幅になり消火設備が整えられているとか、ここには大きな津波がきてすべてをさらっていったからとか、戦前から平成の世まで生きた祖父母と戦中に生まれた親から聞いた話や、自分が目の当たりにした災害を思い返すから。

街並みが美しく整っている影には、災難に見舞われたたくさんの方がいらっしゃることが、たびたびある。

なので、美麗で清潔で安全になった見通しのいい新しく美しい町よりも、むかしの天王寺や京橋や十三の面影が重なる、いろんな人がたくさんいるごちゃごちゃっとした古い商店が並ぶ狭い街並みをみると、日本でも外国でもすこしほっとする。

そして、そこで地震が起こったら建物はどう倒壊するのか、火事になったら火はどう燃え移り、どこから消防車が入れるのか、消火設備はどこにあるのか、海や川や山からどれぐらい離れているのか、住んでいる人は無事に避難することができるのか、すこし心配になり、あたりをみまわして、それらを探し、確認する。

そして、この先みんなが住む場所を追われるようなことは起こりませんように、少々汚かろうが、朝からお酒の香りのする少々あかんおっちゃんおばちゃんらがたむろしてようが、ごちゃごちゃっとしたまま、みんなが平穏にくらせますように、わいわい賑やかにすごせますようにと、すこし小さなお願いごとをしてその場を通りすぎる。

そんなことをしながら、神戸の震災から明日で23年。

ふたたび涙で贖うようなことがおきませんようにと、すこし小さなお祈りをします。

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