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人が人に対して持つ力の大きさと小ささに震える

子どもがもうすぐ10才。この10年間、私のせいで子どもを危険にさらしたことが何度かあった。

良く覚えているのは、まだ生後数ヶ月だった娘がテーブルから落ちたこと。娘は、寝返りができるようになったくらい。オムツを変えようとテーブルの上に置いて、一瞬 目を離したら「ドスン」という音と大きな鳴き声。そして床にうつ伏せになって、まさしく火がついたように泣いている娘。イタリアの床は硬い。その家の床は大理石のタイル。冷たい硬い石のタイルの上で泣き叫ぶ娘を抱いて救急病院に走った。その晩は様子見のため入院となったんだけど、本当に長い夜だった。

他にもいろいろある。全部書いたら多分自分が泣いてしまうから書かないけど。最近だって泣きたくなるような出来事があった。

子どもを傷つけてやろうとか懲らしめてやろうとかそんな意図を持っているわけでは全くなく。不注意、不適切、不なんとか…間が悪かったとか無知とかいろいろ。まとめ的にはバカ親とかなってしまうんだろうなーというようなこと。そんなので世界は満ちていて、ふっと気を抜いたころに「忘れるなよ」と顔をだす。子どもを殺してしまう可能性が全くないなんてことはない。逆も同じ。

自分の失敗を正当化する気もないけど。そういうことってあるよな。とつくづく思う。防げたはずの事故。過失。子育てでも植物を育てるのでも仕事でもある。

マンチェスターのテロの事を知った後、そんなことを思っていた。やっとチケットのとれた大好きなアイドルのコンサート。そんな夢のような場所で テロに巻き込まれてしまった子どもたち。もし、自分の子どもがアリアナ・グランデの大ファンでそのコンサートにどうしても行きたい!と言ったら、私は反対しなかっただろう。むしろ楽しんで!と送り迎えするくらいだったと思う。そして、そのことを後悔しつづけるのだろうか。

つらつらと考えてたら暗い文章になってしまった…。まとめると・私の好きな人たち、先に死なないでということ。

おわり。

追記・やってみてごらん。と言ったことで大怪我になりかけたこともあります。止めどころ、難しい。


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