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制服が似合わない子どものために

卒業式の時期だ。小学校・中学校・高校と12年間も制服があった。本当に制服が着たくなかった。(私の住む地域には私服の学校は無い)

制服の似合う可愛い女の子がいて、制服の似合わない可愛くない女の子がいる。同じものを着るからこそ浮かび上がる個体差。傷つく自意識。

雑誌のグラビアにのる、制服を着こなす読者モデル的な女の子たち。イケてる子たちとでもいうのだろうか。

とはいえ、私はキューティ・オリーブ・岡崎京子・電気グルーヴといった、王道モテない系だったのでモテとはかけ離れたところにいた。ジェーンバーキンのベリーショートに憧れて髪を切ったのは高校の時。

恋愛とか異性とかがあまりにも遠い生活をしていたので、モテるためにこれをしようみたいなことがなかった。(共学だったのに、男子と喋った回数少なかったなぁ。)

とはいえ、モテをあまり意識しない青春というのはそれはそれで悪くなかったんだなと今なら思う。結局のところ特定の人ではなく異性全体にモテたいということは、評価の軸を自分ではなく、誰か他の人に預けてしまうことだから。

(とはいえ高校生ぐらいのときに、モテたい!とか可愛くなりたい!的なことをやっておかなかったせいで、いろいろ後からこじらせた)

・・・・・・・・✂️ ・・・・・・・ 真似してみた

まとめ

制服が似合わないと感じていた人は、いくつになってもどんな制服を着るはめになっても、ずっと似合わないと思い続ける。そういう人は、自分の着るものは、自分で選ばないと納得できないのだから。

ええ、、自分にしっくりくるものは、自分で決めたいんですよ。

これって、制服だけでなく役割とかでもそうなのかもしれない。会社員とか親とか若い女とかおじさんとかおばさんとか。この年代ならこうしてください!って決められると走って逃げたくなりますよね。と呼びかけておわる。


こじらせていた頃の話はこちらから↓


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