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バイリンガルは諦めた。これからはコミュ力でやっていこうと思います。

ウチの子どもはイタリア語と日本語のバイリンガルだ。こうなるまでにははっきり言ってお金も時間もかかっている。日本に毎年帰って学校に行き、こっちでも日本語学校に毎週土曜。しまじろう先生には、もう何年も課金してる。天才ではない子どもがお金または時間をかけずして、バイリンガルになるなんてありえないんですよ。(この本を読んで膝を打ちまくった。)
(でも、漢字はあまり書けない。娘の作文のひらがな率の高さに涙目になることもしばしばだ。)

振り返って自分。語学に時間もお金も彼らほどかけてない。最初の数年はイタリア語の学校に行った。しかし、今ではネットで日本のラジオを聞きっぱなしだから、耳も脳も日本語環境。困らない以上、複雑な話未満の語学レベルだ。

イタリアに来る前はコミュ力が高い方では全くなかった。いろいろこじらせてたから、大学の友達も一人しかいない。高校は論外。「私のことわかってくれない人とは、付き合わなくていいやー。一人楽しいし」くらいに思っていた。やばかったなー私。

しかし、イタリアでの暮らしは「コミュ障ですから」ではやっていけなかった。語学力ゼロの私は、ここでは人に頼ること無しには生活できない。病院にも一人で行けなかった。そのうえインフラが悪いから、ちょっとしたことでも人に頼る必要がある。(ex突然の停電・急に水道から出る茶色い水・待ってても来ないバス・届かない宅配便…)

日本でやっていたみたいに自分でちゃちゃっとできなくなってしまった。ググろうにもイタリア語ではうまくググれない。何でもかんでも「ググれカス」と思っていた自分が「ググれもしないカス」になってしまったのだ。

それから月日は流れ、日常生活には困らない程度の語学力はついた。そして、それ以上に自分のことをコミュ障とも思わなくなっていた。おばちゃん化したのももちろんある。コミュニケーションは技術だと気付いたからだ。以下のことに気をつけるようにしたらなんだかうまくいくようになったのだ。(日本でこれが使えるかはわからないけど)

・声を大きく
まずここから。相手がイタリア人だから。

・絵文字は心の増幅装置だ
ニッコリとか投げキッスとかいいねとか多用。照れずに大げさにやる。文脈でうまく伝えられない人間は、「私は喜んでますよ」とか「面白いと思ってますよ」とかを絵文字で伝える。自分が投げキッスの顔文字を使う人間になるなんて思ってなかったよ・・・

・嫌なことはその場で断る
誘いとか頼まれごととか、できない・やりたくないことはその場ですぐ断る。理由は「できないから」でオッケー。

・嗜好の好き嫌いは はっきり言う
嗜好の問題は、その人には何にも関係ないから。相手が好きなものを自分が嫌いでも、その逆も全然問題ないからはっきり言う苦手なものは苦手と言っておく。その後同じものを勧められて困ることもなくなるし。

・最初に親切じゃない人は、その後も親切じゃないから近づかない。逆に親切すぎて、距離を詰めてくる人は宗教かネットワークビジネスだから警戒しておく。
外国人が苦手な人、知らない人が苦手な人はたくさんいる。でも、それを初対面で出しちゃう人は、仲良く慣れないことが多い。未知の人に親切にできない人、もしくは親切すぎる人は避ける。親切なおじいさんが目を醒ましなさい!といったタイトルの小冊子を持ってきたりするから。

こんなことばかり書いていると、すぐに3ヶ月でこんなに稼いだ!とかいうようになりそうだな。ア・メ…ブロにいくか・・・・

おわり



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