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おそロシヤ

いまの若者はだいぶ違うでしょうが、夫世代のロシア人は、日本の昭和初期のようなたくましさ、「鉛筆でなんとかするぞ」的なところがあって好きです。

いかにも技術が発達した、すました現代日本より、まだなんだか泥臭さを感じるロシアの雰囲気がおもしろかったりします。

ロシア人とつきあっていると、現代日本の常識なんぞ通用しなくておもろいことが多々あるのですが、なかでも自分としては強烈に印象に残っているのは、はじめてロシアにいくときに、4歳の女の子を託されたことです。

アンナというロシア人女性がおりまして、ロシア人の夫が京都で仕事のために来たのについてきたのですが、その夫が彼女と小さな子どもを置いてアメリカに行ってもうた。前後で、離婚しました。アンナは、裕福な日本人と結婚したロシア人の友人の、その裕福な夫が持つ離れに住まわせてもらったり、ちょこちょこ助けてくれる日本人男性をつかまえたりして頑張っていましたが、やはり小さな子がいるとなにかと動きにくいということで、子どもはロシアにいるお母さんに預けることにしました。で、白羽の矢がたったのが、ロシアへの渡航を予定したわたしたち家族。

当時こどもたちは3歳と7歳、それに4歳が加わって…わたしにとってははじめてのロシア行きなのにこの状態だったので、かなりテンパってしまいました。しかも、それまでは関空から就航していたアエロフロートが運行を取りやめたため、京都から成田まで行かなければなりません。大きな荷物と3人のちいさなこどもを連れて、京都から新幹線で東京~成田エキスプレスと走り回るのは、ほんとうに大変でした。

救いだったのは、アンナの娘のイリーナが、飄々としていたことです。
翌日はやくの出発だったので、アンナは前日にイリーナを連れてきたのですが、うちに来てさっそくうちの娘たちと遊びはじめ、母親のアンナはこれからしばらく会えないのだから別れを惜しむのかと思いきや、夫とず~っとしゃべっており、そろそろ帰るとなると
「じゃあね、イーラ」
「バイバイ、ママ」
と親子はあっさり別れ、イリーナは全然寂しがる様子もなく(もともと、普段の生活からほっとかれていたのかもしれません)わたしたちと一緒に過ごしました。

さて、無事に飛行機にのり、離陸したところで夫に
「そういえば、モスクワの空港に迎えにくるという、アンナのお母さんの連絡先知ってる?」
と問うたところ
「いや、知らない」
「!もし、会えなかったらどうするの?」
「ぼくたちが育てるしかないね」
こういう、いい加減かつ適当なところがロシア人にはあります。
北の方の人だけど、気質ラテンじゃね?という明るさと適当さ。
ただやはり、ラテンにはない、ちょっと暗さを背負った明るさというか。
長いこと政府からの圧力があり、生が苦しいなか、開き直らないとやってけないだろ~、という感じなのかなあ、と勝手に思いました。

そして、イーラのおばあちゃんはちゃんと空港に迎えにきていて迎えの群衆の最前列、「おおイーラ」とイーラを抱きしめていました。

めでたしめでたし。

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