1. ソ連との出会い①

「東京特許許可局」とならんで、「朝鮮民主主義人民共和国」や「ソビエト社会主義共和国連邦」などの国名を覚えるのはたのしかった。

小学校~高校は抑圧的な母親のもと、ほぼ学校と家の往復しかしておらず、箱入り娘というより、閉じこもり娘だった。大学のために地方にある実家から遠く離れ、京都にでてきてはじめて解放された反動でこんなことになってしまったけれど。
中学校を卒業するまで住んでいた広い平屋建ての一軒家の、父親の書斎にずらりと並べられた「ゴルゴ13」を読むのが数少ないたのしみで、そこに出てくる冷血なソ連人、あるいは血の通ったソ連人の悲劇などにそそられたものだった。また、ゴルゴ生誕説のひとつに、ロシア人と日本人とのハーフというものがあった。わたしとソ連、ロシアとの関係はそこからはじまった。

わたしの高校入学に合わせて、それまで住んでいた、田舎の山を切り開いてつくられたニュータウンから隣の市である県庁所在地に引っ越して、するととたんに住居は狭くなったわけだけれど、そこでも変わらず、いやますます家と学校の往復のみで、たのしみは当時流行っていたMTVやら、なにを思ったか、NHKのロシア語レッスンも観ていた。拙いキリル文字をノートに書きつけたり発音してみようとしたりして、思えばそこにもロシアに縁があったといおうか、ゴルゴで既に素地ができていたのでロシアに興味をもったのか。

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