「努力」が報われると信じたい


ついこの間行った職場の性格診断の項目に、「良い結果を出せなかったとき、それを自分の努力不足のせいだと考える。」という内容のものがありました。その項目においての私のグラフは満タンでした。

私は、努力は必ず報われるものと信じています。昔からです。

だから、この項目の内容の通り、頑張った結果それが良くない方向に向いてしまったとき、それは運とか自分の才能とかよりも、純粋に努力が足りなかったんだな、と思うことが多いです。

漫画の風潮から感じる努力感の変化

私は少年漫画が大好きです。

最近は、堀越耕平さん原作の「僕のヒーローアカデミア」に心奪われる日々を送っています。

総人口の約8割が何らかの特異体質(個性)を持つという超能力社会で、個性を持たない主人公、緑谷出久くんが、周囲に馬鹿にされながらも、一生懸命努力してNo.1ヒーローを目指すという漫画です。

ヒロアカ叱り、他にも王道だと、NARUTOやone-piece、ハイキュー‼︎など…登場人物たちが夢に向かって切磋琢磨しながら努力していく少年漫画が大好きです。

しかし先日、こんな記事を見つけました。

今の子どもたちは、努力するのが好きじゃない。

「友情・努力・勝利」は、週刊少年ジャンプの三大原則として知られていましたが、6代目編集長の鳥島氏は、「努力は子どもは大嫌いだ」と言っていました。

それを代弁しているかのように、最近では、主人公が異世界に飛び立って最強のチート能力を手に入れる主人公無双漫画なんかがよく流行っています。

もちろん私も、主人公最強漫画は大好きです。だってスカッとするし。かっこいいし!

そう考えると、ヒロアカのように地道に努力をして頂点を目指していく漫画は今は珍しいのかも。

いくら努力をしたって、夢が叶うとは限らないことをみんな薄々わかっている。ヒロアカは努力ファンタジー。現実では叶わない「努力」の先の勝利を、ファンタジーの世界に求めながら、どこか諦めて生きている。

確かにそうなのかもしれないなと思いました。自分ももしかしたら心のどこかでは、努力ではどうにもならない現実を知っていて、努力で主人公が底辺から這い上がっていく漫画を読むことによって、その現実を逃避していたのかもしれないです。

でも、やっぱり、それは寂しい。

私は、努力で夢は叶えられると、ずっと信じていたいです。

NARUTOから学ぶ、努力の天才とは

NARUTOの登場人物ロック・リーは、忍術が使えなくても忍者になることができました。彼はとても努力家です。

「自分を信じない奴なんかに、努力する価値はない」

リーの師匠、マイトガイ先生がリーに送ったこの言葉は、今でもとても印象に残っています。

努力は時に、天性から授かった人の才能を上回る力を発揮することができる。「自分ならできる」と信じられる人こそ、努力する才能があり、努力の天才になれる。

誰だって、自分を信じれば天才になれるんです。

努力は報われると信じたい

努力が全て報われないなんてことは、きっとないです。綺麗ごとなのかもしれないけれど、心折れそうになった時は、ガイ先生のこの言葉を思い出しています。

努力は、泥臭くて、つらくて、苦しくて、つまらないことが多いもの。

でも、夢に向かって、あるいは自分のことを信じてする努力は、うまく言葉にできないけど、いいものだなって思います。

だって、なにかに向かって一生懸命な人ってかっこいいから。確かに初めから才能に溢れていて、どんな敵でもバッタバタ倒していける最強の主人公は、それだけで強くてかっこいいです。

でも、夢のために一生懸命努力して、ひたむきに、前向きに、時につまずきながら進んでいく「強さ」には、また違ったカッコよさがあると思うんです。

だから私は、それぞれの夢に向かって泥臭い努力を惜しまない少年漫画の登場人物たちが好きだし、わくわくするし、憧れます。

わたしもこんな風に、夢に向かって頑張りたいなと思えます。そういう意味で、ファンタジーから力をもらって、現実と向き合って、今日も生きていこうと思います。

努力が報われるって信じたい!

だから今日も、自分のできる最大限を。Puls Ultra!


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