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連鎖 1-(1)

※扉絵はさくらゆきさんの作品です。この場を借りて御礼申し上げます。


 なぎは、紺地に白い縦線が2本入ったジャージの前ファスナーを一番上まであげると、上部に指3本を横にしてあて、きっちりその分だけ下げた。ズボンの裾は2回折り返す。肩までの髪は黒ゴムで一つに束ね、束ねた位置が耳より上になっていないかを鏡で入念にチェックした。

 紺ジャージは、凪が通うA中学校の体育着だ。この体育着は容姿のいい生徒が着れば、多少は見栄えがするかもしれないが、小柄で平べったい顔の凪が着ると田舎っぽさが目立つ。20歳年上の叔父が、凪の体育着を見て、自分も同じデザインの体育着を着ていたと笑ったので、その頃から同じデザインなのだろう。A中の生徒は、朝礼がある月曜日以外は体育着で登校し、中学生活の大半を体育着で過ごした。

 A中の四方を見渡すと、幾重にも重なる山の稜線が臨め、学区には田畑が広がっている。春風と共に肥やしの臭いが漂い、初夏の晩には生暖かい風に乗って蛙の合唱が響き渡る。秋の夜風に乗って虫の音が届き、冬にはからっ風が肌を刺す。最寄り駅に新幹線が停まるようになったので、駅前は分譲マンション建設のラッシュだが、A中にはまだ都会の風は吹いてこない。

 A中の1年女子は、先輩から脈々と受け継がれてきた「裏校則」に苦しめられてきた。

 1年女子が女の先輩とすれ違うときは、面識のない先輩でも、お辞儀をするのが鉄則だった。肩につく長さの髪は、黒、茶、紺色のゴムを使って耳より下で束ね、三つ編みや編み込み、リボンやヘアバンド、髪留めは禁止されていた。

 体育着の前ファスナーを全開にすることや首まで上げて折り返すことも許されず、上から指3本分だけ開ける不可解なきまりがある。ズボンの裾は軽く2回ほど折ることだけが許され、だらりとなりがちな裾をスポーツ用の裾止めを使って絞る「ツメ」は厳禁だ。

 制服を着るときはジャケットの前ボタンを開けてはならず、靴は黒か紺の運動靴、靴下は白の短いもので、柄やブランドのロゴ入りのものは制裁の対象になる。

 裏校則の情報は、小学校のうちに先輩や友人を通して伝わる。だが、伝わっていくうち、どうしても伝え間違えや独自の解釈が混じる。誤った情報を信じたがために、先輩に目をつけられてしまう悲劇もあった。そして、裏校則を知らなかったという言い訳は一切通用しない。

 入学式の日、空色のゴムで三つ編みをしてきた女子は、友人を通して色ゴムと三つ編みはやめたほうがいいと警告された。次の日、彼女はその2つこそやめたが、ポニーテールで登校してしまい、先輩の逆鱗に触れた。派手な先輩集団が彼女の教室にずかずかと侵入し、「そのポニーテールを止めないなら、手ぇ出すよ!」と怒号を轟かせた。この女子に反抗心があったわけではなく、周囲から浮いていて裏校則を知らなかっただけだ。それでも、同じクラスの女子は、彼女と一緒にいて目をつけられるのを恐れ、彼女を仲間外れにした。先輩や級友のいじめに耐えかねた彼女は、夏休み前に登校拒否になってしまった。
 

 A中の女子は、1年の間は裏校則を守り、ひたすら小さくなって過ごす。そして、2年になって先輩の許可が下りたら、溜め込んだ鬱憤を晴らすかのように服装や髪型の自由を楽しみ、後輩には裏校則を徹底させる。

 

 こうして、悪しき伝統は先輩から後輩へ、そのまた後輩へと連鎖のように受け継がれてきた。教諭たちは、先輩の嫌がらせがひどければ報告しろと言うが、彼らは裏校則を先輩への礼儀の一種と解釈していて、本格的な撤廃に乗り出す気はなさそうだった。1年女子が教諭に訴えたとしても、先輩が告げ口をした子を血眼になって探し出し、血祭りにあげるのは想像に難くなかった。