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連鎖 3-(4)

 フルートが華やかな祭囃子のソロを奏で、和太鼓が腹に響くリズムを刻む。

「もっと楽しそうに! 座って聞いている人の腰が浮き、思わず踊りだしたくなるように!」

 文化祭のために香川が選んだ曲は、「八木節」と「星条旗よ永遠なれ」。 どちらも勢いがあり、ノリがいい曲だった。香川は以前のように細かい注意をせず、ビートを感じること、強弱のメリハリをつけることに重点を置いて仕上げていた。

 合奏で気になる点があると、各楽器がパート練習をしている教室をまわって指導した。合奏中に厳しい注意をして、部員に飛び出されないための配慮に見えた。凪には、彼が合奏を通して、ばらばらになった部員の心を一つにしようとしているのが痛いほど伝わってきた。

「次は星条旗!」

 香川の指示で部員は譜面をめくった。香川がこの行進曲に情熱を注ぐのには理由があった。吹奏楽部は、新入生歓迎会や体育祭、夏の大会前の壮行会などの学校行事で行進曲を演奏してきた。だが、ここ数年の演奏があまりにもひどく、部員がさぼっているのが目立つので、教諭たちから学校行事での吹奏楽部の生演奏をやめさせようという声が上がっていた。コンクールにも出ないのに予算を多く割り振られる吹奏楽部には、大会で結果を出している運動部の顧問から特に強い不満が出ていた。

 香川は、校長から文化祭で行進曲をしっかり演奏できなければ、今後の学校行事での演奏はさせないと言われたと部員に警告した。凪は、新入生歓迎会で、吹奏楽部が演奏していた行進曲が途中で崩れてしまったことを思い出した。主旋律が崩れ始めると、打楽器も伴奏も支えきれなくなり、とうとう立て直せないまま終わった惨めな演奏だった。
 身に覚えのある2年は苦笑いして顔を見合わせた。不真面目だった先輩も流石にやばいと思ったようで、心なしか部の空気が引き締まった。


 桐原と東は、八木節に第1トランペットのソロがあると知ると、2人で第1を吹くと決め、凪には第3の楽譜を渡した。真面目に練習に来るようになった2人は、「また、第1を盗られるわけにいかないからね~」と聞こえよがしに嫌味を言った。

 あの夏の日以来、2人は凪と口を聞かず、凪がそこにいないかのように振舞っていた。ひどいときは凪をおいて、2人でパート練習に出てしまう。凪は歯を食いしばって耐えていたが、置いてきぼりの姿を香川に見られるのが辛かった。

 あの日から数日、凪は熱に浮かされたように、香川のことばかり考えていた。だが、凪は経験から、それが一過性のものだと知っていた。以前にも、塾の男性講師に優しくされ、同じような状態になったが、その熱は数日経つと冷めていった。

 香川への思いも時の流れとともに、温かい尊敬へと変わった。彼は自分の傷を晒すことで、凪がつくっていた壁を壊し、手を差し伸べてくれた。大人の男の大きさを見せつけられた気分だった。先輩の冷たい仕打ちは続いたが、限界になったら香川を頼っていいと思うと気が楽になった。

 凪は尊敬できる指揮者と音楽をつくれるのが幸せだった。もっともっと練習して上手になり、香川のコンクールの全国大会で金賞という夢は無理でも、県大会で金賞を取るくらいは、在学中に一緒に叶えたいと思った。


 文化祭の舞台で、凪は香川の指揮で演奏できる幸せをかみしめた。1曲目の「八木節」では、トランペットとフルートのソリストを立たせる演出で、体育館中の生徒を引きつけた。香川はソリストにスピードコントロールを任せ、それに合わせて振っていた。

 桐原と東の歌うようなソロがきまり、軽くお辞儀をして座ると、ヒューという歓声と拍手が起こった。悔しいけれどかっこいい。できのいいソロに、香川も満足げに頷いた。凪は、来年は自分がソロを吹き、香川を満足させたいと闘志を燃やした。

 「星条旗よ永遠なれ」の注目の的はピッコロの前原だった。トリオで、小鳥がさえずるようなソロを奏でる彼女を際立たせるために、他の楽器は音を抑える。前原も危なげなく吹ききって拍手喝采を浴び、香川の切れの良い指揮で、最後まで崩れずに行進曲が終わった。

 その瞬間、校長が立ち上がって、大きな拍手をするのが見えた。校長につられるように、体育館中からうねりのように拍手が湧き起こった。凪はA中吹奏楽部が一段高いところにのぼったと確信した。

 

 文化祭が終わると、香川は夏のコンクールへの出場を見据え、マラソンや腹筋による腹式呼吸の強化と基礎練習に力を入れた。

 夜の帳がおりるなか、肌を刺すような木枯らしを受けて学校の周囲を走るのはきつく、風邪をひきたくない、塾に遅れるなどの理由で、参加する部員は日に日に減っていった。凪は、香川のバランスよく筋肉のついた身体が、無駄な動きのない美しいフォームで走る姿を遠くに眺めながら、毎日息を切らせながら走った。太田たちに誤解されないように、彼と十分距離を取ること、会話を控えることを忘れなかった。香川と並走したことのある同級生から、彼が学生時代、陸上部の長距離の助っ人として大会に出たこと、いまでも週末はジムで鍛えていることを聞いた。


 文化祭の興奮が冷め、士気が落ちた部員は練習にも身が入らず、香川がいくら引き締めようと心を砕いても徒労に終わった。2年生は、部活よりも塾やお稽古を優先し、香川のいないときは、松山時代のように部室に溜まっておしゃべりに耽っていた。こっそり、お菓子を食べていることもあった。

 1年生は、先輩によって松山時代に揺り戻されつつある部に失望し、ますます強化される伝統に甘んじていた。部活終了後に先輩の悪口を言ってストレスを発散しながら、はやく春が来て、先輩が引退することを心待ちにしていた。

 真面目に練習に励んだ凪は、安定してきた音が香川の目に留まり、目を細めて褒められた。マラソンや腹筋、基礎練習の成果が少しづつ出ているようで、嬉しかった。俄然やる気になったものの、同級生から「いつも吹いてるね」と皮肉を言われた。再び、太田たちに締められるのが怖いので、居残り練習はできず、煮え切らない日々が続いた。