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連載小説「クラリセージの調べ」2-3

 母屋の庭には、お義父さんが孫のために作った2メートル四方の砂場がある。子供用の小さなシャベル、スコップ、バケツが揃い、皇太郎くんは砂団子づくりに熱中している。できた砂団子は、砂場の縁の木枠に並べられている。

 頬に夏の陽ざしを感じながら、実家の近所に砂場のある公園があったことが脳裏をかすめる。友達と時間を忘れて遊んでいるうち、周囲が暗くなり、呼びに来た祖母と一緒に帰宅した。あのころ見た夜が昼を飲み込もうとするような空の色が好きだった。蝙蝠こうもりの巣がある雑木林が近くにあり、そこに帰る蝙蝠が頭上を飛び交っていたことを鮮明に思い出す。

 私はバケツの水を混ぜてやわらかくした砂を手に取り、砂団子を作ると、乾いた砂の上で転がす。
「お団子を作ったら、周りに乾いた砂をつけると、しっかりするよ。こんなふうに」
 皇太郎くんが、私の真似を始めてくれたのが嬉しい。

 指先のじゃりじゃりとした感触に、懐かしさの混じった鮮烈な感覚を覚える。砂遊びをするのは本当に久しぶりだ。子供といると、少女時代の記憶と現実の刺激が混じり、二つの時間を行き来する不思議な感覚に包まれる。

「お団子いっぱい作って、どうするの?」
「まわりをぜんぶ、だんごでかこむ」
 皇太郎くんは水を含ませた砂をスコップで手に取りながら言う。
「すごいね。おばちゃんも手伝おうか?」
 皇太郎くんが頷いてくれたことが嬉しく、私は砂場にしゃがみこむ。首筋に照り付ける強い日差しを感じながら、日焼け止めを塗ってこなかったことを後悔する。

 不意に頭上にひんやりとした感覚を覚え、恐る恐る砂だらけの手を伸ばす。
「ひゃあ……!」
 頭の上に泥団子が乗っているのに気づき、慌てて払い落とす。皇太郎くんは、細い目ににやにや笑いを浮かべている。その目は絹さんにそっくりだ。
「こらっ!」
 私は悪びれる様子もなく、顔いっぱいに笑みを広げている皇太郎くんと、かがんで目線を合わせる。
「そういうことは、家族にもお友達にもしちゃだめだよ。お友達が嫌がることをしたら、嫌われてしまうよ」
「せんせいみたいなこというなよ!」
「先生は、してはいけないことを教えてくれているんだよ」

  私が厳しい顔で皇太郎くんと向き合っていると、窓ががらりと開き、お義母さんが顔をのぞかせる。
「皇太郎、澪さん、おやつにしましょ! 手を洗って、上がってらっしゃい」

 お義母さんは、しかめっつらをした私に気づいて尋ねる。
「どうかした?」

「皇太郎くんが泥団子を私の頭に乗せたんです!」

「あらま。まあ、男の子は、それくらい元気なほうがいいわね。うちでシャワー浴びてもいいわよ」

「ばあちゃん、みて~! だんごいっぱい」
「うわ、いっぱい作ってすごいね~。皇太郎は本当に器用だねえ。お母さんに似たのね」

 私はつむじの辺りについた砂をタオルハンカチで払いながら、皇太郎くんを注意しないお義母さんに違和感を覚える。先日も、襟ぐりからはえの死骸を入れられて悲鳴を上げた。身内だから大胆になっているだけならいいが、お友達に同じことをして、嫌われないか心配になってしまう。

 庭の水道で皇太郎くんに手を洗わせ、服についた砂を払ってやる。しゃがんで肩を貸し、小さな靴に入った砂を出すのを助ける。こうして、皇太郎くんにできることが増えれば、自分の子供にできることも増えると割り切る。


 エアコンの効いた部屋に入ると、一瞬マスクを外して深呼吸する。ただでさえ湿気が多く息苦しい夏日は、マスクをかけているのが辛い。

 居間のテーブルには、麦茶のグラスと私の作った小ぶりのピザパンが用意されている。以前作って、お義母さんも皇太郎くんも気に入ってくれたので、今日は具にマッシュルームを加えてみた。

 皇太郎くんは相当喉が渇いていたらしく、こくこくと麦茶を飲み干し、パンにかぶりつく。お義母さんが、口の周囲についたピザソースを自分で拭くよう注意すると、ティッシュを受け取って乱暴に拭う。いつもは一つしか食べない皇太郎くんが、2つ目に手を伸ばしたのを見て、思わず口元がほころぶ。

「澪さん、これ美味しいわ。この前、作ってくれたとき、絹にも持たせてやったのよ」

「お口に合ったなら嬉しいです」

 口元に笑みを張り付けつつも、今まで何度も皇太郎くんのおやつを作ったが、絹さんから一度も御礼を言われていないことがひっかかる。私が自主的に作っているものなので文句を言えないが、材料費のことを考えると、一言くらい御礼が欲しいと思ってしまう……。

 食べ終えた皇太郎くんは、炎天下の砂遊びで疲れたのか、マットに腹ばいになってタブレットをいじりはじめる。最近は、文字の書き方も、時計の読み方もタブレットで学ぶのを知り、自分のときとの違いに驚かされる。

 私は皇太郎くんに、口の周りに残ったピザソースをウェットティッシュで拭うよう言うと、テーブルの上を片付けて布巾で拭く。

「澪さん、助かるわあ。澪さんがいると、落ち着いて食べられるわ」

「お役に立てて嬉しいです」
 私は皇太郎くんが落とした具を片付けながら答える。

「そういえば、澪さん。来週水曜の午後、何か予定ある?」
 お義母さんがいま思いついたかのような口調で尋ねる。

「特にありませんけど……」

「それなら、ちょっとお願いしていいかしら?」
 
「何でしょう?」

「ママさんバレーのメンバーが、何か深刻な相談事があるっていうのよ。話を聞いてやりたいから、2時間ばかり、皇太郎を見ていてもらえないかしら?」

「ここにお友達がいらっしゃるのですか?」

「ううん。ファミレスで会うのよ。子供がいるところで、ゆっくり話なんてできないでしょう」

「え、私一人でお世話をするんですか? 何かあったらと思うと、自信ありません……」

「そんなに難しく考えなくていいのよ。澪さん、たいていのことはできるようになったじゃない」

「絹さんは了解しているのでしょうか?」

「いいのよ、ほんの数時間なんだから。澪さん、あたしが台所にいるあいだ、いつも見ててくれるじゃない。遊び相手になってやって、おやつ食べさせてくれればいいのよ」

「何かあったら責任取れませんし……」

 義母の顔に苛立ちの色が強く浮かぶ。
「ああ、もう。そんなに難しく考えなくていいのよ。何かあったら、お父さんが二階にいるんだから」
 お義母さんはテーブルに身を乗り出し、諭すような口調になる。
「家族なんだから、協力するのは当然でしょう。あなただって、いずれ子供ができるんだから。そのときは、私も助けるし、絹や紬も相談に乗ってくれるわよ。子育ての先輩なんだから」

 お義母さんは断るなんて許さないと言いたげな眼差しで私を見据える。

「わかりました……。念のために、お義母さんの連絡先を教えてください」

「いいわよ。LINEを交換しましょ」

 LINEに入ってきたお義母さんのアイコンは、いつにも増して押しの強い笑みを浮かべていて、思わす目をそらしてしまう。


               
                
               ★
「お義母さんから、来週の水曜日、ママさんバレーの友達と会うから、そのあいだ皇太郎くんを見ててと頼まれたの。お友達が深刻な相談があるんだって」

 結翔くんは豚の生姜焼きを箸でつまみながら尋ねる。
「ああ、娘の夫が男性不妊だと騒いでるおばさんだろう。で、留守番、引き受けたのか?」

「うん。家族は協力しあうのが当然と言われると断れなくて……」

「そうか。おふくろは強引だからな。嫌なら俺から言うから、無理するなよ」

「ありがとう。2-3時間て言ってたし、多分どうにかなると思う」

 私は結翔くんにご飯のおかわりをよそいながら、さりげなく尋ねる。
「そういえば、お義父さんは皇太郎くんの世話を手伝わないの? 私に頼まなくても、お義父さんがいるのに」

 結翔くんは、伏し目がちに茶碗を受け取る。
「実は、皇太郎のしつけのことで、絹姉ちゃんとおやじは何度かぶつかったんだ。ぎくしゃくしてるとき、おやじが皇太郎と公園で遊んでいて背中を痛めた。以来、おやじは積極的に皇太郎と遊ばなくなった」

「そうだったんだ……」

「おふくろは皇太郎の世話を一手に引き受けて、平日は自由時間がほとんどない。夜と土日は、ママさんバレーの指導とか子供食堂に出てるけど。本当は、夏休み中だけ、平日の昼に弁当を届ける子供食堂の活動にも参加したいらしいけどな」

「それなら、仕方ないね……」

「すまない、苦労かけるな」

「いいよ。子供ができたときのために勉強させてもらうつもりでやるから」

 なかなか子供ができないことに話が向かうのを避けたくて、咄嗟に話題を変える。
「そういえば、最近、絹さんと話してる?」

「いや、全然」

「そう」

「何か気になることでもあるのか?」

 私は少し迷ったあと、味噌汁のお椀を置いて口を開く。
「私、皇太郎くんのおやつを何度も作ってるけど、一度も御礼を言われたことがないんだよね。まあ、私が自主的に作ってるからいいんだけど」

「姉貴、知らないんじゃないのか? 嫌ならもう作らなくていいぞ」

 お義母さんは、私が作ったパンを絹さんに持たせてると言ったけどと続けたいのを抑え、「そうだね」と無難に答えておく。

 とにかく、来週の水曜日を乗り切らなくてはと気持ちを切り替える。