僕とカゲプロの話

 8月15日、少年少女たちのとある物語を想起する。かつて一大的ムーブメントを起こした『カゲロウプロジェクト』。コンポーザーであるじん氏を筆頭としたボーカロイド楽曲を元に展開される彼らの世界観は巷のネットユーザーを魅了した。そしてその歴史は長く、代表曲『カゲロウデイズ』にちなんだ8月14日と15日には毎年一種の盛り上がりを見せる。僕も勿論その一人であり、この日になると作中で主人公が飲んでいたあの黒い炭酸飲料を無性に呷りたくなる。

 そういえば昔の僕はコーラを含む炭酸飲料が飲めなかった。喉を刺激する炭酸のシュワシュワ感が酷く苦手で、コーラに至っては味も好きじゃなかった(初めて飲んだ時に苦く感じた朧気な記憶がある)。夏の祭で売られているラムネならちびちび飲める程度だった。その不得意を払拭したのがライトノベルである『カゲロウデイズ -in a daze-』だった。本屋で見かけた時、既にボカロ曲を定期的にニコニコ動画で漁って聴いていた僕は「あの『カゲロウデイズ』がノベライズされたのか」と思わず購入。その後は続きの発売が毎日の楽しみになった。気づけばコーラを愛飲するようになっていた。真面目に学校に通っていた(?)人間が引きこもりに憧れてその真似をし出すというのは滑稽ではあるが、少なくとも炭酸飲料を克服しコーラを日常的に飲むという行為は僕にとって『カゲロウデイズ』作品への愛情を体現しているに等しかった。ファンブックやグッズも買い、カゲプロ新楽曲が投稿されれば鬼リピし、その様子はもはやメカクシ団の模範的な下っぱだった。友人とのハロウィンには登場人物であるカノのコスプレしてカラオケでカゲプロ曲を歌おうか悩んだ事もある(結局しなかった)。アニメ化された時も盛り上がったが​────この話はよそう。つまり僕の中でカゲプロは大きな立ち位置にあり、オタクとしての人生の時間軸でもかなりの幅を占めている。しかし僕には唯一メカクシ団の下っぱ及びカゲプロ厨として模範的で無い部分がある。それは『カゲロウデイズ -in a daze-』を完読していない事だ。これには明確な理由がある、僕が弱虫だからだ。楽しみであった最終巻が発売された時、僕の中で一つの恐怖心が芽生えたのだ。それは「好きな作品が一つの終わりを迎えてしまう」事への恐怖だった。当時購入こそはしたものの僕は結果として最終巻を読まない事で自分の中では完結していない状態を創り上げたのだ。これは作品に真摯に向き合っているが故の逃避ともいえるし、作品への冒涜ともいえる。だが全ては己の弱さに起因していることは確かなのだ。酷いものでシンタロー達がどういう結末を迎えたのかを知らないままでいる。その癖、毎年毎年8月15日になればカゲプロ楽曲を聴いてノスタルジーに浸っているのだ。やっている事は作中の悪役とあまり変わらない様な気がする。そうやって歪な幸福を味わって、願わくば誰か助けて欲しいとも思っていながらも現状に甘えている僕は今年もコーラを飲んでカゲプロ楽曲を嗜んでいる。

 余談だが、『カゲロウデイズ -in a daze-』で忘れられない箇所がある。それは何巻であったか覚えていないが作者じん氏のあとがきである。やたらと「チンチン」が出てくるその内容は僕には抱腹絶倒で印象に残っている。と同時にこんな面白い人が作った作品なんだから面白くないわけがないとしみじみ思った記憶がある。ちなみに僕が一番好きな曲は『ロスタイムメモリー』です。