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【雑記帳】東京の郊外で感じた高齢化社会

昨年、人生の中休みを取っている時、都心(東京23区)から離れて郊外へ行く機会がありました。

幹線道路から少し外れて、住宅の多い通りで車を走らせていた時のことです。
車道脇の歩道を歩く人たちが老人ばかりということに気がつきました。
他には、小さな子供を連れたお母さんが、たまに自転車で通り過ぎるくらい。
そんな光景が何kmも続きます。

その時は平日の昼間で、午前10時から11時くらい。
子供は学校で学び、大人は会社で働いている時間帯ですから、その姿を見かけなくても不自然ではありません。

それでも、目に映る人が老人ばかりというのは、普通ではありません。
だって、テレビのニュースで紹介されるような過疎化に悩む村に来たわけではなく、都心からちょっと離れただけですから。

「高齢化社会」という言葉は飽きるほど聞いていたのに、ここまでリアルに実感したのは初めてでした。

そして、ふと思ったのです。

学校や会社に行っている人達の姿が見えない平日は、1週間の半分以上あります。
つまり、1週間の半分以上、日の当たる場所のあちこちが、老人中心の世界になっているということです。

外を遊びまわる子供も、そんな元気な子供の相手をするお父さんたちも、その姿を見るのは7日間の内の2日くらい。
もし、ぼくが宇宙人で、地球を調べにUFOでやってきた時、こんな世界を目にしていたら、なんて元気のない星なんだと思ったでしょう。

「平日」という言葉の意味は「ふだんの日」です。
ふだんの日は、老人が自由に外を散歩して、若者や働き盛りの大人は家やビルに閉じこもっている日。

ヘン...いや、異常じゃないですか?

そういえば...「休日」って言葉はいつできたんだろう。
その言葉の裏を返せば「休日以外は、休む必要があるほど疲れる日」ってことですよね。
「ふだんの日」よりもずっと、現代の平日を表している気がします。

それ、嫌だなあ。

毎日のように子供達のはしゃぐ声が聞こえたり、親子で遊ぶ姿を見たり、働き盛りの人たちの元気な姿や笑顔が溢れる日中は、ずっと週2日なのでしょうか。

ぼくたちはこのまま、平日の日中をビルや家の中に閉じこもり続けて、生活の為に働き続けなくてはならないのでしょうか。
100歳になっても、120歳になっても。

そんな社会から脱する力は、今の人類にはないのでしょうか。

そうは思えません。

どうやら、ぼくたち人類は、自分たちの能力の使い方や力の入れどころを、どこかで間違えているようです。

ぼくは、まず自分のボタンのかけ違いを見つけて、正していこうと思っています。
少しずつ、少しずつ。

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