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おばさんのマドレーヌ

誰かを思い出す時それはその人の表情だったり匂いだったり感触だったり味だったりする。

もう会えないけれど大好きだった叔母さん。おばさんの作るごはんはどちらかといえば濃いめの味付けであり、ヘルシーとは対極にあるようなザ・おふくろの味的ラインナップばかりだった。それが全部美味しかった。お正月に親戚がたくさん集まったときには、「煮しめ」という方がしっくりくる筑前煮も大量に作ってあったし、紅白なますは大根と人参が甘さ強めで子供の頃からおいしいと感じた。豚バラブロックをカットして串に刺して焼いた焼き鳥ならぬ「焼き豚」は口の周りをアブラでベトベトにしてたいらげた。

おばさんがお菓子作りも得意だったのかどうかは不明だけど、時々作ってくれたマドレーヌが世界一おいしかった。

天板を2枚上下に入れられる最新のオーブンではなくターンテーブルがくるくる回る方式の小さなオーブンレンジで何回にも分けながら焼いてくれた。生地をマドレーヌ型に入れて4個ターンテーブルに並べて焼く。鍋つかみなど使わずに焼きあがったそれらを取り出しながら、また型に入れた生地を焼く、の繰り返しで何十個ものマドレーヌが淡々と焼けていくしあわせな匂いの中おばさんと2人の時間を過ごした。私はその様子をただぼーっと眺めながらベランダに腰掛けてマドレーヌをひとつ頬張った。上に乗せてあるアーモンドスライスが歯を当てるとパキッと割れて香ばしい香りがさらに鼻をついた。

前から思っていたんだけどなんでこんなにしっとりおいしいの?
私はおばさんにある日聞いてみた。
バターかな。
それだけ言うとおばさんは口頭でレシピを話し出した。
小麦粉が何グラム、砂糖が何グラム、バターが、、、
私はとっさになにかの紙の端っこに聞いたレシピの分量をペンで殴り書きした。

その日から何年か後におばさんが亡くなった。

あの日以来私はずっと探してる。あの日殴り書きしたレシピのメモを。アレがないとおばさんのマドレーヌをもう食べられないじゃないか。再現しようにもレシピがないと無理じゃないか。
おぼろげに覚えているのはバターが想像の遥か上をいく量が使われていること。そんなに入れたらいったい何キロカロリーになるんだろうって思ったこと。でも、じゃないとあのおばさんのマドレーヌは完成しない。

メモをなくしたことに気がついた時、また聞けばいいやって思ったあの時の自分を往復ビンタしてやりたい。

とりあえずバターを大量に買って来よう。夢の中でおばさんに会えたらまたレシピを聞くんだ。今度はボイスメモに録音するよ。

2個目に自然と手が伸びてしまうマドレーヌ。もう一度食べたい。

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