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大停電の夜に

9月6日夜中の3時過ぎ北海道胆振(いぶり)地方を震源とする地震発生。震度7。その時私はベッドで熟睡。地震などには全く気がついてません。それもそのはず震源地から美幌町までは300キロ越え。車で5時間半。遠すぎてあまりこの辺は揺れてません。

これでいくと高崎から大阪くらいの位置関係です。大阪あたりが震源地。(とおーーーーーー北海道ひろーーーーー)
*9/11追記 大阪ではなく津の少し上あたりかな震源地の位置的に。(あまり変わってないか笑)

とは言え震度3くらいはあったみたいで旦那さんは気がついたみたいですけどね。私は朝起きてスマホ見て様子が変だなと気が付きトレンドを見て地震を知りました。
その直後、あまりのまわりの静けさが気になりベッドについているランプをパチパチつけてみました。けどランプはつかなかった。寝ながら見える位置にある空気清浄機の運転ランプも消えていた。部屋の角に置いてある間接照明がほんのりオレンジ色に灯り壁に反射しているように見えたので、あれ?点いてるじゃんって思ったけどそれは朝陽が反射したものでした。その日の朝はいい天気だったから。

5分くらい経ってようやく現状を把握。トイレに行きたい。とりあえずトイレに行きたい。でも待って、うちのトイレはリモコンで流すタイプの自動洗浄トイレだ。てことは水が流せないかもしれない。。小さなバケツに水を汲みそれで流しました。むりやり。。。
あとから、手動でコックを開けて流せるんだったと気がつきます。それくらい寝起きなのと若干のパニックで頭がまわりませんでした。

電気は止まった。停電している。それも全道的に。全部ツイッターで情報を得ました。でもここは断水していない、水は出る。そのことがかなり救いでした。
その後いい事を思いついた!とばかりに私はワイヤレスのテレビをつけてみました。冬にインフルエンザになった時それを2階のベッドに運びオリンピックを見ていた便利なテレビでした。充電してあるから停電でもつくはずだ!って。
結果、テレビはつかなかった。なぜなら、チューナーから電波を飛ばして見る方式のテレビだから。チューナー部の電源が入らないことにはこのテレビは作動しません。混乱のためそんな事すらわからなくなっていました。
お腹は空く。でも停電している。この朝何を食べたんだろう。プロテイン飲んだんだっけ。いや、コンビニに行ったんです。食糧を買いに。

でもこんな感じでした。おにぎりやパン、お弁当は完売。カップ麺とオレンジジュース、バームクーヘン、豆大福などを買った記憶があります。

その後は、当店での対応に追われました。7時過ぎからお客さんが来店。乾電池やラジオ、懐中電灯に車のシガーライターから充電するケーブルなどが売れて行きました。爆速で。そして、まもなく売り切れました。携帯電話の充電器を買いに来る方達も多く、店の発電機を稼働し電源ドラムを引っ張りそこで充電してあげたり、その都度いい方法で対応しました。

無我夢中で昼間の営業は終わりました。あまり記憶もない。
そして夜が来ます。

停電は解消されていなくてこれがいつまで続くかもわからない。まだ明るいうちに料理しました。カセットガスコンロで卵を焼いたりナスを焼いて味噌と絡めたり肉も焼いちゃわなくちゃ!とか、パプリカを塩もみして塩昆布和えにしたりなんだかんだと冷蔵庫の食材で対応しました。

結果的に差し入れもありやたらと豪華に笑。ビールもいつも通り飲みました。キャンドルと懐中電灯のランタンで。
まだ電気温水器のタンクに入っているお湯が出るはずだからと早めにシャワーを済ませた旦那さん。そのあと私が入った時にはほぼ水に近かったけどシャワー浴びれてスッキリ出来たしありがたかった。懐中電灯に照らされながら超特急で浴びました。
その後の記憶が無くて濡れた髪を乾かすすべもなくソファで寝落ちし起きた時には12時近かったかな。めちゃくちゃ静かな夜でした。暗くて静かな夜。寝ながらも握りしめていたスマホでツイッターを開くと「夜空がきれい、星がすごいよ」って。誰かがツイートしていました。いったんベッドに入ったけれど、そのツイートがやっぱり気になり1階にわざわざ降りて行って窓を開けて外に出ました。たぶん1時くらい。先日オンデーズの小滝ちゃんに作ってもらった眼鏡をかけながら真っ暗闇の中、上を見ました。
ただただ真っ暗でした。何も見えない漆黒の空。しばらく見ていたら星が瞬いてくるかと思いじっとしていたけどただただ闇。眼鏡は完璧なのに!
まじかよ。見えないじゃん。って、そのことがひとりでなんだか可笑しくなってきちゃってニヤニヤしながらまた家の中に入りました。
本当にあそこに星は見えていたのでしょうか。私はまだ寝ぼけていたのでしょうか。
誰にもわかりません。すぐまたベッドへ潜り込むとそのままひたすら朝まで眠りました。

途中。
と言ってもいつ頃なのかもはや思い出せないけど、電気が使えないことと、電波が時折届きにくくなったことで、わたしは不覚にも息がしにくい感覚を覚えました。いわゆる過呼吸とは違うのですが、なんとなく息が苦しい。
あ。なんかやばいな、って。変に落ち着いているのか客観的にそう判断したら自然と息苦しさは落ち着きました。職業病ですね。前の職業だけど。

色々あった停電1日目が終わり次の日の朝が来ても電気は来ていなかった。またカセットガスコンロでお湯を沸かしカップスープを飲みました。携帯を充電したらお礼にーとお客さんにもらったとうきびを信子さんが茹でてくれてそれを朝いただきました。とうきびは超甘くて歯に挟まりまくりました笑。また一人で可笑しくなってニヤニヤしました。
前の日完売してしまったラジオや懐中電灯や乾電池達。今のお客さんに売るものがなくなり2日目は休業。はがゆかった。
信子さんたちは同じ敷地内に住んでます。どうやら夜中停電から復旧したみたいだと知り我が家も!と思ったけどまだ電気は通っていませんでした。お隣から電気を分けてもらい電源ドラムを引っ張って来てトイレに繋いだりして水を流せるようにして2日目は過ごしました。
そのまま夜が近づいてきました。暗い中の調理は大変なので3時半くらいから夕飯の準備をしました。全然お腹が空いてませんでした。出来上がったのは4時でした。天気が悪くなりそれなりに外は暗くなっていましたがお腹は空いていませんでした。
信子さんからホッケが焼いた状態で届きました。私もニラ玉などを作りました。テーブルに並べて写真を撮ってそのまま放置しました。
7時近くになって食べ始めました。ビールもあけました。ベアードビールの帝国IPAが激ウマでした。7時38分だったと思います。いろんなところからバチっと音がして電気がつきました。天井の照明が柔らかく灯りました。ブオーンと何かが運転を始めました。
ああ、電気が来た。よかった。ほんとに良かった。
あれほどの安堵感はありませんでした。

ありがとう電気。

約40時間の停電。こんなにも長く停電していたのは初めてでした。でも、地震による直接的な家屋の倒壊や道路の陥没などは私の地域にはありませんでした。震源地の周辺はかなり大変な状況です。停電だけでちゃんと暮らせていたのは不幸中の幸い。ほんと恵まれていました。いろんな人達にありがとうを言いたい。復旧に尽力してくれた人達がいて今こうやって電気のついた部屋でノートを書けています。
そして、この数日間沢山の友人達からの励ましのメッセージ。私のバッテリーを減らさらないようにとあえて連絡をせずに我慢してくれた友人たちも。ツイッターのリプライやインスタストーリーでのDM。私のことをわかってくれている人からの要所要所でのメッセージに涙しました。私もそんなことが出来るようになりたいと思いました。

全ての人にありがとう。

大げさに語ることでもないけど私の体験談はせめてこのnoteに記しておきたくなり書きました。ここまで読んでくれてありがとうございます。当たり前の毎日は本当にすばらしい。
スマホの携帯バッテリーを充電しながらベッドに入り、明日も朝目覚めて美味しいコーヒーを飲もう。

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